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2017年5月 2日 (火)

「すみません、ちょっといいですか?」

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今年ももう新緑の季節です。

2年前の6月、「疑う人と疑われる人」というタイトルの記事をアップしました。

それは、私のある日の甚だたわいのない日記を公開したものだったのですが、その記事の文末に(2年越しとなりましたが)続きを書きました。

「続き」というよりも、実際のところは「本題」です。

どうぞご一読ください。

こちらです。
↓↓↓
疑う人と疑われる人 (2015.6.30)


by りき哉

2017年1月 2日 (月)

2017年 丁酉/年頭ご挨拶

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ことばにより抽象されるものと、捨象されるものをいつも思います。

ピアノの音の消えゆく余韻に耳を澄ますように、ことばの網目のゆらぎに目を凝らす。

何かを語ろうとすればするほど語り得ないものの大きさに圧倒され、つい沈黙を選びそうになる。

おいおい、しっかりしろよ、と自分に言い聞かせて、またことばを探す。

その繰り返しの日々ですが、自分のペースで歩み続けるよりほかありません。

時には道草食いながら。

というより、そもそも何が道草になるのかは事後的にしか判ろうはずもなく。

ただ、その網目の一つ一つへ当て続ける光を大切に。


・・・と、何やら独り言のようになってしまいました。


あけましておめでとうございます。

当ブログは開設十周年を迎えます。引き続き、愚考を丁寧に巡らせていきたいと思っています。

本年も、どうぞよろしくお願いいたします。


photo:
家にあった(飛騨高山で買ってきた)文鎮を撮ってみました。
(PENTAX K200 +smc DA 35/2.8 Macro Limited)


【年頭ご挨拶の追伸】
過去ログの中より、改めて一つだけご案内します。

「今日は雨だからコーヒーには味噌を入れましょう」と言われたら (2015.5.9)


by りき哉


2016年12月16日 (金)

親方より、愛弟子だった Y U さんへ

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「親方、これからもずっと、すてきな音楽をたくさん作り続けてください。それだけどうしてもお伝えしたくて」

そう言って電話をくれたのは、今年の春、いや、梅雨の頃だったろうか。
唐突にそう言われて、「うん、ありがとう」くらいしか答えることができなかったのは、半年後には新作のアルバムを聴いてもらえる筈だと、そう思いたかったから。

もう10年近くになるんだっけ?
レッスンを通してたくさんの言葉を交わしてきたけれど、本当にそれがお別れの言葉になってしまった。


あなたはいつもスタジオに来るや、堰を切ったように身近な出来事や感じたことをいろいろと報告してくれて、それで毎回のレッスン時間は随分と長いものになった。初めて来た日も自己紹介を丁寧にしてくれて、百万人に一人くらいの発症率だという病気のことも詳しく話してくれた。

レッスンで何か一つ教わってそれができるようになると子供みたいに喜んで、与えられた宿題は嬉々として持ち帰って・・・。
親方のトリオや「タカオバンド」、それに「bando-band」や「調草子 Kaori-ne」や「あわいびと」、どのライブにも必ず来てくれて、メールでも、次のレッスンでも感想をたくさん熱く語ってくれた。

それに、このブログのたわいない一つ一つの記事をいつもじっくり深く読み込んでくれていたことも、とても嬉しかったよ。
そうそう、だから今ここに書いているんだよ。あなたがきっと読んでくれるだろうと。


とりわけ、ピアノ・フリーインプロビゼーションの録音をここにアップした時には、あなたはその音楽をとても気にってくれて(「気に入る」という言葉では圧倒的に不足でしょうけれど)、それを自分の英語塾で一人一人の生徒に聴かせて、のみならず、その一人一人から感想を聞き出して、それをぜんぶ紙に手書きして、紐できれいに綴じてプレゼントしてくれたこと。

それを、本棚から取り出してきて読み返したよ。
日付を見ると、2008年の12月とある。
中学生から年配の方までそれぞれに、この抽象的な音楽からこんなにも様々に何かを感じてもらえたんだね。何よりその言葉の豊かさに驚くよ。さすがあなたの生徒さんたち、なのだろうか。
これは親方の一生の宝物です。

あなたもまたいつでも読み返せるよう、音も聴けるよう、ここに載せておくね。


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あ、あと音源をアップした元記事のリンクもね。

音楽を深く感じるために (2008.6.2)


ずっと前に「親方に似合う」と言って教えてくれた“Excellence is a thousand details”という言葉と、先の電話で伝えてくれたことを心に留めて親方もがんばるので、今年の1月に伺ったお宅で出した宿題を、あなたもそちらできちんとやっておくように。

あなたの大切な(おそらくは密かに覚悟も抱いていたであろう残された)時間を、こんな親方のピアノレッスンと音楽に注ぎ続けてくれて、本当に、本当にどうもありがとう。

そうそう、あなたの大好きだった『五月の唄』をピアノトリオで録音したアルバムが、無事に完成したんだよ。
そちらで氷取沢のような森をゆったり散歩しながら、どうぞ聴いてみてください。


親方・りき哉

2016年7月 7日 (木)

2016年七夕に思うこと

2016年の七夕に、今思うことをあらためて記しておきます。
(今に限らず、取り分けこの3年ほど常々思っていること、そしてここで折々に繰り返し書いてきたことです)

今年のお正月に、私は「言葉を大切にしたい」と書きました。
 (こちら:2016年 丙申/年頭ご挨拶

言葉を大切にしたい。

ともかく、これに尽きます。

その文脈で、2月にはこんなログをアップしました。
子どもの言葉の軌跡(お父さん日記・2008-2009)


さて、「言葉を大切にしたい」などと(社会人として当然のことを)私がわざわざ表明するのはなぜか。

それは、昨年アップした下記ログ(の文中に貼ったリンク先)を多くの人と共有したいからです。

「今日は雨だからコーヒーには味噌を入れましょう」と言われたら

「言葉を大切にしたい」というのは、言葉遣いを丁寧にするとか(そういうことも無関係ではありませんが)そういうことを言いたいのではなくて、もっと根源的に、「他者と解り合おうとする気持ちを持つか否か」の話をしています。

つまり、他者と解り合うために論理を丁寧に踏まえたい、ということです。

そういうわけで、上述の記事をここに全文再録しておきます。

(以下転載)

「今日は雨だからコーヒーには味噌を入れましょう」と言われたら

(2015年5月9日)

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もしも、晴れた日に「今日は雨だからコーヒーには味噌を入れましょう」と家人から言われたら、どうすれば良いだろうか。


「いや、今日は晴れている」
 と言えばよいのか、

「天気が雨であることがどうしてコーヒーに味噌を入れる理由となるのか」
 と訊くのか、

「味噌入りコーヒーは異常だ」
 と諭すのか。

私はコーヒーに味噌を入れたことはないが、実際に試すまでもないだろう。
そもそもそれは「コーヒー」とは言えず、どちらかと言えば「味噌汁」と呼ぶべきものになる可能性も充分にある。


つまり家人の主張は、前提と、論理と、結論の、すべてがおかしい。(※1)

しかも、いずれを指摘されてもただ「雨が降っているからコーヒーに味噌を入れる必要がある」と持論を繰り返すばかりで、それが家人にとっては「丁寧に説明する」ということであるらしい。(※2)

・・・

近頃、こうした弁舌が日常に溢れていることに驚いている。


そしてマスメディアはこれを、「あなたはコーヒーに調味料を入れることに賛成ですか?」という問いにしてしまう。(※3)


このコミュニケーションの不調を前にして、どう応じればよいのだろうか。


photo:
PENTAX LX+planar50/1.4+PRESTO400 (self development)


・・・という次第なので、この「コーヒー」とは何かについて、多くの人とシェアしたいと私が思うリンクを二つだけ紹介します。


憲法って、何だろう?(解説版)

↑奈良弁護士会による、絵本「憲法って、何だろう?」の解説。なんて平易で丁寧な語り口でしょう。「丁寧に説明する」とは、正にこういうことではないでしょうか。


そもそも憲法がわからない:立憲主義と自民党憲法案

↑『静かに「政治」の話を続けよう』(亜紀書房)より、著者の岡田憲治氏が一章分をまるまるweb公開されています。ウィットに富んだ名調子に、思わず引き込まれます。




蛇足ながら・・
パロディを解説(してしまっては何のためにパロディ化したのか分からなくなりますが)しておきます。

今日は雨だからコーヒーには味噌を入れましょう
という主張と、
あなたはコーヒーに調味料を入れることに賛成ですか?
という設問は、

「今日は雨」→「現憲法はGHQに押し付けられたみっともない憲法」
「コーヒー」→「憲法」
「味噌を入れる」→「立憲主義をやめる」
「調味料を入れる」→「内容はさておき現憲法をとにかく変える」

とそれぞれ置き換えると、今のリアルな言論風景が立ち現れる仕組みになっています。(※4)


【注釈】こちらです↓

(※1)
このように矛盾点を二つ以上含んだ論法を、憲法学者の木村草太氏は「多矛盾系」と呼んでいます。

【憲法学で読み解く民主主義と立憲主義(1)】――「多矛盾系」としての集団的自衛権
(國分功一郎氏とのこの一連の対談も読み応えがあります)


(※2)
「今日は雨」という前提と、「だから」という論理に対しては、例えばこのような反論と批判があります。

自民党の改憲漫画から「押しつけ憲法論」を考える(渡辺輝人)

明日の自由を守る若手弁護士の会: いまだに「押しつけ憲法論」とかいって…2015


(※3)
一例として。(2015.6.25追記)
なぜ読売新聞の世論調査では「安保法制賛成」が40%もいるのか? 回答誘導のカラクリ


(※4)
現政権の憲法観は以下の通りです。
日本国憲法改正草案

改正案についてのQ&A
(いずれも、自民党HPにあるPDFファイル)

その何が問題なのかについて、下記のサイトでは憲法の現行文と自民の草案を見やすく比較できるように、前文から1条ずつ全てがまとめられています。
自民党憲法草案の条文解説

(転載以上)




by りき哉

2016年2月 7日 (日)

子どもの言葉の軌跡(お父さん日記・2008-2009)

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(2009年のお父さん日記より、記録として)


 
● Episode 1

「おとおさん、ぴなおひいて」

「ぴなおじゃなくて、ピアノだよ」

「ぴなお?」

「ううん、違う。ピアノ。『ピ』」

「ぴっ」

「ア」

「あっ」

「ノ」

「のっ」

「そう! ピ・ア・ノ」

「ぴ・な・お!」

「アハハ、どうしてもぴなおになっちゃうね~」

ケラケラケラ。


・・というやり取りをしていたのは、彼が2歳半くらいの頃だったろうか。

その後、「ピアノ」が言えるようになってからもラ行の発音は難しいようで、長いことラ行はほぼア行に(例:クラリネットは「くあいねっと」に)なっていたが、3歳半になった今ではそれもハッキリと発音している。

初めて耳にする言葉も瞬時に音を正しく聞き分け、すぐにその場で習得してゆく様子は頼もしくもある一方、一音節ずつ間違えないように慎重に発話しようとする姿はとても健気だ。


 
● Episode 2

発音の習得とは別の、論理を獲得している様子に微笑んだことも多い。

2歳7ヶ月の頃、朝食の支度をしている母親に彼が尋ねた。


「おかあさん、ばななよーぐうと つくってるの?」

「ううん。バナナはないの。ただのヨーグルト」

「ただのよーぐうと?」

「そう」

「ただはいってうの? (タダ入ってるの?)」


彼は「リンゴのヨーグルト」にはリンゴが、「バナナのヨーグルト」にはバナナが入っていることを知っている。「ただのヨーグルト」にはタダが入っていると推測するのは尤もなことだ。
極めて妥当な推論に、ちょっと感心したのだった。

こうして子どもは経験と知識と推論をたくましく駆使し、言葉の世界をぐんぐん広げてゆくのだなあ。

「タダは入ってないよ」と言われた彼は、それではタダとは何だろうと神妙な顔つきで考え込んでいたのだが、いつの間にか(少なくとも半年後には)正しく(そして得意顔で)「只の」を使いこなすようになっていた。

「てにをは」、「〜から」(確定の順接)、「〜ても/でも」(仮定の逆接)、「〜だけ」(限定)といった助詞の使い方が完璧であることに感心したのも、ちょうどこの頃だったと思う。


 
● Episode 3

論理の獲得の元をたどると、彼が初めて複数の語句を繋げた文をしゃべったのは、それより半年ほど前、2歳2ヶ月のある日のことだった。


「おっきいたんたんのって、ぺんぎんみう!」

(訳:大きいガタンガタン(電車)に乗って、ペンギンを見る=見に行く)


水族館に向かう電車や駅構内で、そして水族館でランチを食べている時も、ペンギンを見て水族館を後にした帰路でも、彼はこの一文を何度も何度も繰り返ししゃべった。

もちろんその文は彼が独自に作り出したのでなく、親が語りかけた一言を真似て発したものだが、なにしろ昨日まで語句を単独で発するだけだった彼の、それが最初の文だった。

「おっきいたんたんのって、ぺんぎんみう!」

初っぱなから(単文でなく)複文である。(※)
しかも前節の目的語は修飾語を伴っている。

子どもの「言葉の宇宙のビッグバン」は、こうして起きるのか。


 
● Episode 4

「宇宙」の膨張の軌跡として、彼との会話をもう一つ採録しておく。
ビッグバンから3ヶ月後、先述の「ただのヨーグルト」より2ヶ月前のこと。

居間で仕事をしていた私に、彼がにこにこ顔で話しかけてきた。


(自分の手のひらを指しながら)
「これてのひら」

「そうだね。手のひら」

(自分の足の裏を指して)
「これあしのひら」

「あはは。そうだね。でも足はひらって言わないんだよ。足の裏」

「あしのうら?」

「そう」

「あしのうら!」


彼は「手のひら」を形態素(て+の+ひら)に分解し、「ひら」は「足」に応用できると帰納的に推論し、その大発見を父親に報告した。

その発見は(惜しくも)却下されたが、彼はそれを残念がることもなく、「あしのうら」という新たな知見を得て嬉々としていた。



 

トップの写真:
「言葉の宇宙のビッグバン」が起きた日(2008.2.19)


● 付録

2歳の誕生日を迎えた頃(初めて文をしゃべる日より2ヶ月前)の、彼の語彙を辞書にしたもの。 (当人としてはもっと多くの語句を使っていた可能性もあるが、親として把握していた語句はおよそ下記の通り。2007年12月26日作成)

【あお】青
【あっか】赤
【あつい】熱い、暑い
【あった】あった、いた
【あっち】あっち(方角を示す)
【い】自分のこと
【いたい】痛い
【うま】馬、またがること
【うみ】海
【おか・おかっか】お母さん
【おと・おとっと】お父さん
【か】かぼちゃ
【がたんたん】電車
【がったんがったん】シーソー
【き】木
【き】救急車
【ぎ】鍵
【きん】キリン
【く】靴、靴下
【くぇ】クレヨン
【クェー】クレーン車
【クォー】クロワッサン
【げ】ゲーナ(アニメのキャラクター)
【ご(ぼ)】ごはん
【こわい(くわい)】怖い
【し】CD
【じ・じいじ】おじいちゃん
【しい】美味しい
【しゅ】スヌーピー
【しゅっしゅっ】蒸気機関車(→ぽー)
【す(しゅ)】座る
【ぞう(どう)】象
【だっく(だっき)】抱っこ
【たっち】立っち
【ちっち】おしっこ
【ちゅ】飛行機、ヘリコプター(根拠不明)
【て】手
【な】魚
【な(ま)】:バナナ
【な】おなら
【ない】ない、いない
【にゅ】牛乳
【にゅう】うんち(根拠不明)
【ね】猫
【ねんね】寝る
【ば】バス
【ぱ】パトカー
【ぱ】葉っぱ
【ばぁ】おばあちゃん、いないいないばあ
【はい】はい(返事)
【ばいばい】さようなら、いってらっしゃい、あっちへ行け
【びぃび】チェブラーシカ(アニメのキャラクター)
【ぶ】ブランコ
【ぶうぶう】クルマ(乗用車)
【ぱん・ぱんぱん】パン、パン屋さん
【ぺん】ボールペン
【ほ】星、月、太陽
【ぼ】帽子
【ぼ】どろぼう
【ぼう・ぼー】消防車、ボール
【ぽー】蒸気機関車(→しゅっしゅっ)
【ほん】本
【ぽんぽん】お腹、お腹がすいた
【まんまん】アンパンマン、アンパンマンジュース
【みみ】耳
【め】目
【もーも】牛
【わんわん】犬



以上、言語学に関心を抱く契機となった岡本夏木著『子どもとことば』(岩波新書)へのオマージュを込めた観察記録として。


(※)
参考:[日本語教育](外部サイト)
   重文・複文

関連ログ:お父さんな日々(2008.4.5)
   「おっきいたんたんのって、しまんもしゃつかう」


【お父さん日記シリーズ】

お父さん日記・2011夏

お父さん日記・2011秋〜2012初春

お父さん日記・2012春〜師走

お父さん日記・2013

お父さん日記・2014

お父さん日記・2015春

ゲルマニウムラジオ作り/お父さん日記・2015夏休み特別編として

お父さん日記・2015夏〜師走



by りき哉


2016年1月 3日 (日)

2016年 丙申/年頭ご挨拶

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耳を澄まし、何かを感じる。

その「何か」が何なのか。それを捉えようと言葉にする。

言語化によって現前するものがあり、言語化によって失われるものがある。

捨象されるものをいつも思い、恐れ、一方で、言葉によって初めて対象を深く認識する可能性を思う。

連続する有形無形の様々な事物を言葉が切り分けるその網目は、常にゆらぎを伴い、時に編み直されて変化してゆく。

その様子を俯瞰しながら、その中を泳ぎ続ける。


大切にしたいものは、言葉と、音楽。

あるいは、言葉と音楽の間。

東日本大震災から5年が経つ、2016年の年頭に漠然と思い巡らすこと。

(備忘録として)


閑話休題。


あけましておめでとうございます。

昨年は「ひと粒のちからプロジェクト」こと「あわいびと」として、その音楽をCDアルバムという形にすることができました。(※)

たくさんの応援をいただきまして、どうもありがとうございます。

当ブログは開設9年を迎えます。引き続き、愚考を丁寧に巡らせていきたいと思っています。

本年もどうぞよろしくお願いします。


(※)あわいびと Official Website
   
   2016.3.10 あわいびとライブ at 中目黒「楽屋」のお知らせ


photo :
PENTAX LX + planar 50/1.4 + 400TMAX (self development)


by りき哉


2015年12月31日 (木)

お父さん日記・2015夏〜師走

2015年6月以降の、主に公開日記より。


【6月18日】
過日。学校から帰宅した息子(小4)が理科の教科書を開き、「ここに、電池を繋ぐとモーターが回ることが書いてあるんだけど、モーターの仕組みを知りたいのに書いてないんだよ。電気が流れるとどうしてモーターが回るのかが、これじゃ解らないじゃん」と口を尖らす。(そうか。うん、そこが知りたいよな)


【8月21日】
小4の夏休み。自由研究で「ラジオを作りたい」と言うので、「まだ電気のこと何も習ってないんだから難しいんじゃないか?」と諭そうとしたのだが、どうしても作りたいらしく・・(以下、続きは下記リンク)

ゲルマニウムラジオ作り/お父さん日記・2015夏休み特別編として


【8月23日】
夏休み恒例(4年目)となった、神宮球場でのナイター観戦。今夜5本目のホームランに喜ぶの図。

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それにしても、野球は(たまにお父さんとキャッチボールする他は)友達と一緒にやる機会もテレビで見る機会も全くないのに、年にたった一度の観戦で試合開始前からゲームセットまでよく飽きずに楽しそうに一所懸命観てるもんだな。


【10月13日】
ある唄に関する文献を求めて図書館をいくつも駆け廻る中で息子(小4)も一度つきあってくれたのだが、彼はその後日にも一人で別の図書館を探してくれていたとのこと。「Special Thanks to…」には記載しなかったけど、ありがとな。


【11月8日】
初めてツーブロックにチャレンジしてみた。「ここは短くて、ここは長い方がいい」などと注文の出始めた息子(小4)の散髪。まあ上出来かなと。
「どうだ?長さも丁度いいだろ?」
「うん」


【11月11日】
カナヘビ(トカゲ)とカマキリを息子が家に連れ帰ってきて、彼らの餌食となるコオロギを妻が業者から三百匹まとめて購入したのは夏のこと。カナヘビとカマキリがコオロギを捕食して成長するとともに、幼齢だったコオロギたちも安全地帯で生き残りが大人になって、秋口にはリーリーと鳴き始めた。

カマキリはその後近所の林に離したが、カナヘビは水槽の中で日々何を思うのか。そしてこの深秋にコオロギの赤ちゃんが誕生し始めた。カナヘビも夏より随分と大きくなったとはいえ、大人になったコオロギは捕食するには大き過ぎる様子だったから、カナヘビには朗報だろう。

コオロギもいい声で鳴くし、毎日世話をしている妻にしてみれば可愛い存在だろうと想像するのだが、その中の一匹をカナヘビの水槽に離す心境はどんなだろうか、と訊いてみたら、「可愛くないわけじゃないけど、面白いよね」と。農学部出身の研究職だったからか、そんなものかもしれない。

まあ、自分と進化系統樹的に近い方により親しみを覚えるのは当然かとも思う。尤も、夏の時分には「クモなんて入れて大丈夫?」などと煩いくらいにカナヘビを気にかけていた息子の知的好奇心なのか関心なのかは、とっくに薄らいでいるようだが。(ほら、お母さんが全部世話してくれてるんだぞ?)

「カナヘビとその生贄のコオロギたちと暮らす」完
(オチは別になく)


【11月23】
過日、図書館からの帰路に息子(9)と。
「お父さん、また言語学の本借りたの?」
「うん。面白いんだよ。なあ、言葉って何だと思う?」
「うーん、空気の振動」
「それは音でしょ。文字で書いたのも言葉だよ」
「そうか。ええと・・、言葉には話す言葉と文字で書く言葉があって、言葉というのはつまり単語」
「言葉の形は他にも色々あるけどね。じゃあ単語って何?」
「単語は言葉の・・あ、『言葉』って使っちゃいけないのか」
「ははは。考えるほど難しいでしょ」
「うん、難しい」
と進行した会話で「ウーン」と暫し黙考した息子の挙げ句は、
「考えれば考えるほどわからなくなるから、考えない方がいいよっ!」
と晴れやかに。(そ、そうか)


【12月12日】
私が玄関を出て、そして自転車に乗って走り去った後に、ベランダから「イ長調〜!」と叫ぼうとしたらしい。「この曲は何調だ?」と私に問われて片っ端から「これじゃない、これも違うか・・」と調べていた息子は「わかった!」と叫ぶや。

それでこんなにバカでかく書いてあるのか。

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【12月24日】
昨年はまだ「本当にいるのかなぁ?」と半信半疑の様子だったけれど、今年はもう何も訊いてこない。


【12月25日】
「何か置いてあった」
そう呟くように報告すると、包みを少し開けては中を覗き、少し開けてはまた覗き・・。
玄関で「サンタさん来た」と言い残して学校へ。




【お父さん日記シリーズ】

お父さん日記・2011夏

お父さん日記・2011秋〜2012初春

お父さん日記・2012春〜師走

お父さん日記・2013

お父さん日記・2014

お父さん日記・2015春

ゲルマニウムラジオ作り/お父さん日記・2015夏休み特別編として



by りき哉


2015年12月 1日 (火)

ピアノ椅子物語

まだ幼少だった息子に「この椅子になら貼ってもいいよ」と許可したため見事にシールだらけになり、「駄目だよ」と注意しても毟られ続けて座面がボロボロになったピアノ椅子。


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買い替えるより、このシールだらけなのを残しておきたくて・・



・・座面を付け替えました。

杉の無垢板です。カッコイイ!

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ちなみに家具作りは手触りにもこだわります。スベスベ!





一年経って、だんだん良い風合いになってきました。

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おしりも長時間座っても痛くなりません。

柔らかな木の温もり。

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by りき哉


2015年10月 1日 (木)

ゲルマニウムラジオ作り

「お父さん日記・2015夏休み特別編」として
(8/21の公開日記より転載)


【2015年8月21日】

小4の夏休み。
自由研究で「ラジオを作りたい」と言うので、「まだ電気のこと何も習ってないんだから難しいんじゃないか?」と諭そうとしたのだが、どうしても作りたいらしく、ラジオ作りに無知な私も一緒に「自由研究」せざるを得なくなり、ラジオ製作入門書を2冊ほど読んだ。


彼がラジオを作りたがったのは、自分で図書館から借りてきた『よくわかる電気のしくみ』にそれが載っていたからなのだが、大人向けに書かれた『手作りラジオ工作入門』(西田和明著)や『ぼくらの鉱石ラジオ』(小林健二著)なんかをパラパラと読んでみると、なるほど面白そうだと私も思った。


それで彼と秋葉原へ電子部品の一つひとつを調達に行ったのは先々週のことで、先日はいよいよ製作に着手。
コイルを巻き、家にあった適当な箱を加工して筐体とし、バリコンとトグルスイッチを取り付けて、ダイオードや抵抗やコンデンサーや諸々をハンダ付けして・・

・・無事に完成しました。ゲルマニウムラジオ!

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果たしてちゃんと受信できるのか?
不安と期待を胸に、クリスタルイヤホンは耳に、慎重にバリコンを回す。

しかし聞こえるのはノイズのみ。
ベランダに出たりアンテナを手当たり次第に試しても放送は聞こえてこなかった。
期待は保留され、不安は募った。

でもそれはその後すぐに訪れる歓喜への序章だった。


既に夜。
マンション4階の自宅から最上階の6階へ移動し、約2メートル長のアンテナ線を私が高く掲げた瞬間。
イヤホンを耳に当てていた息子がウンウンと大きく頷きながら「聞こえる聞こえる」と。

「野球やってる。今7回の表だって」

どれどれ、おおっ、ほんとだ!よく聞こえるね。

放送が聞こえた瞬間の彼の笑顔は、私の心の宝箱に。


そして夕食が済んでからも再び6階へ上がり、ラジオ放送にひたすら耳を傾けるの図。

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承前。ラジオ放送を聴く(・・アンテナ線で電波を受信する)というのは、宇宙を思うようなこんなにロマンチックなことだったんだな、とも。


『お父さんの夏休み自由研究2015』(完)



【お父さん日記シリーズ】

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お父さん日記・2015春



by りき哉


2015年7月19日 (日)

たわいない呟き2014〜

たわいない呟き2013の続編です。

日々の呟き(2014年1月から2015年3月まで)の中から、備忘録として。


【2014.1.9】
無ければ無いで別の道が開けるであろうけどあった方が断然いいもの。あった方が断然いいけど無ければ無いで別の道が開けるであろうもの。どちら側から捉えるのか。家を出てから忘れ物に気付き、取りに戻っても間に合うかどうかの瀬戸際に立った時に、生き方が問われる(ことがある)。


【2014.1.18】
「(道の)むこっかた」という言葉はあまりにも普通に無意識に使ってたから、「あ、リッキーも『むこっかた』って言う?」と友人から訊かれても何を訊かれたのか直ぐに理解できなかった。以前に「『かた』って何?」と奥さんに訊かれたとのこと。・・あ、方言なの?これ。・・むこっかた、むこっかた・・。

承前。「かた」は「方」の意に決まってるじゃないか、と咄嗟に思ったのだけど、よく考えたらそれは違うような。「側(がわ)」が訛ったもの?「むこ(う)っかた」も「むこ(う)っかわ」も普通に言うけど「むこっかし」は自分の口からは出てこないな。(参考:むこっかた


【2014.1.19】
対象を鋭く厳しく見極めることと、柔軟に大らかに捉えることは、どちらも大切。しかし前者については「審美眼が研ぎ澄まされているのか、あるいは単に枝葉末節を気にし過ぎなのか」に悩み、後者については「大局観に立っているのか、単に観察が雑なのか」に悩む。(この右往左往は一生続くのだろうか)


【2014.1.24】
宇宙人と出会い、彼の星のAという曲とBという曲を教わる。確認のためAのメロディを私が弾いて「これは何と言う曲ですか」と訊くと彼は「Aだ」と答え、今度はBのメロディを弾いて曲名を訊くと「それもAだ」と答える。そこで再びAのメロディを弾いて曲名を訊くと今度は「Bだ」と言う。

彼にAとBを何度も演奏してもらったり、キーを変えてみたり、質問の仕方をあれこれ試しても、彼の答えに一貫性がまるで見えない。一体どういうことなのか、こちらは混乱を極める。

言葉を尽くし、散々やりとりをして判明したことは、彼の星ではメロディに曲名が付いているのではなく、音の強弱の組み合わせに(音の高低の時間的変化とは無関係に)曲名が付いていたのだった。・・という、例えばそういうようなこと、つまり、概念(この場合は「曲」の概念)がお互いに違っていてびっくり・・というような出来事が、今日ありました。

そういうわけで、異なる文化を相互に理解することの困難性と重要性を深く再認識した次第です(が、今の喩え話が今日の出来事をそれなりに正しく表現できているのか、私はまだ暫く悩まないといけません。というか、もっと自分の中で明確にしたい)。(一先ず了)


【2014.1.29】
これを許容して良いのか。と、ある一点について悩み始めると、今まで気にならなかった他のあちこちも気になり始めて、至近で凝視したり、深呼吸して俯瞰したり、お茶を飲んだり、部屋を歩き回ったりするのだが、さっきまで見えていた風景が急に色褪せて記憶の下層へ沈んでいくよう。


【2014.5.5】
それは弱さなのか、柔らかさなのか。


【2014.6.1】
行きつけのラーメン屋さんの壁に並んでいる芸能人のサイン色紙を眺めていたら、ある色紙の中に「おいしくてあたりまえ!!」という一文が添えられていて、その一言の解釈に悩んだ。店を叱咤しているのか、戒めているのか、それとも賞賛しているのか?あるいは個人的な信条を語っただけなのか。

前後の文脈が何もない中に突如としてただ「おいしくてあたりまえ!」とだけ放つ言葉が他者に与え得る意味や印象の幅に、このサインをした人は無自覚過ぎなんじゃないだろうか、ということを考えながら食べるラーメンの味はいつもより少し煮干しの風味が薄い感じがした。今日も夏日。


【2014.7.5】
自信に満ちた力強い言葉でなく、立ち止まって迷いながらそっと足を踏み出そうとする友人の姿に心動かされ、勇気づけられることってありますね。


【2014.7.27】
我が子を、家族を、友人を、思う心に「国境」はないと思う。音楽が人類に対して持ち得ている意味にも。


【2014.12.11】
一つ一つの小さな変化に気を留めることなく、何となく今までの日常がこれからも続いていくだろうと思っているうちに、気付いたときには取り返しがつかなくなっている・・ということって多いよな。無形の大切なものを失うときは、大抵そうだ。
(尤も、いま起こっている変化が「小さい」とも「ゆっくり」とも決して思わないけれど。楽観的で暢気で間抜けなこの私でも気付けたくらいなのだから)


【2015.1.31】
緑道の植え込みにはまだ雪が薄く残っていて、冷たい空気が気持ち良くて、年が明けてからのこのひと月を振り返りながら空に携帯カメラを向けていたら、いつの間にか足元に寄ってきていた猫にニャーって話しかけられた。

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【2015.3.1】
形式化することで残すことができる。一方、それにより失われるものがある。形式化を捨象と捉えるか、抽象と捉えるか。
形式主義に陥らず、形式を畏怖する。抽象されたものを見つめ、捨象されたものを想像する。


【2015.3.8】
「観察」とは対象の実態を知るために注意深く見ること、と辞書にある。人が主に視覚によって対象を知ろうとすることを「観察」というのであれば、同様の聴覚バージョンの言葉が欲しいのだが、何かないだろうか。対象を深く知るために注意深く聴くことを「観察」とは言わないように思う。

承前。未知の音楽をそのリズムや音律などの構造から文化的な文脈も含めて分析的に聴く行為は、「鑑賞」とは全く違う。かといって「研究」「分析」「解剖」といった言葉では「聴く」という行為にスポットを当てることができない。聴くという行為に焦点を当てた上で分析することを意味する熟語が欲しい。

(補記。「観察」との対応で思いつく「聴察」という言葉は、仏教では「聴いて心に察し知ること」の意味としてあるようだが、その定義では一般的な意味での「観察」と対応が成立しておらず、私が欲しい言葉とは違う。「観察」は「観て知ること」でなく「知るために観ること」だから)




by りき哉 @rikiyanopi

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