フォト

カテゴリー

2025年1月16日 (木)

言葉と染織と音楽と(志村ふくみ展を訪れて)

Img_1192


本との出会いの不思議さやありがたさを、よく思う。
染織や着物についてまったく無知で、「染色」と「染織」の違いも分かっていなかった私が染織家・志村ふくみ氏のことを初めて知ったのは、十数年ほど前になるだろうか、本屋さんで偶々目に留まった『色を奏でる』(ちくま文庫)を手に取ってのことだった。

その柔らかく精緻な言葉と自然や技芸に注ぐ眼差しに魅了されて、以来、志村氏の随筆や書簡や対談などに親しんできた。これらの言葉の機微や肌理はおそらく氏の作品と響き合ってもいることだろう、と想像しながら。

私の心に深く残っている言葉の中から、少しだけ抜書きしておく。

抜書1:
ある人が、こういう色を染めたいと思って、この草木とこの草木をかけ合わせてみたが、その色にならなかった、本にかいてあるとおりにしたのに、という。
私は順序が逆だと思う。草木がすでに抱いている色を私たちはいだだくのであるから。どんな色が出るか、それは草木まかせである。ただ、私たちは草木のもっている色をできるだけ損なわずにこちら側に宿すのである。(志村ふくみ『色を奏でる』ちくま文庫 p.16)

抜書2:
色(ハーモニー)が先なのか、間(リズム)が先なのか。両者に追いつ追われつ、そんなときは手にふれた杼をそのまま投げている。(・・・)無意識ではなく、意識のかたまりのような。その中心に入ると、思わず織れてしまう。次は何色を入れようなどと考えるひまがない。手の方が先に杼にふれている。(志村ふくみ『色を奏でる』ちくま文庫 p.61)

抜書3:
人間の狭小(せま)い考えなど問題にもならないほど天蚕の糸はそのままで多くを語っている。語る以前の、無言の力である。併し、人間がそれをあつかうことは至難である。なにより私に重大なことは、織り上がったものが天蚕を汚してはいないか、ということである。(志村ふくみ『ちよう、はたり』ちくま文庫 p.127)

抜書4:
手の中に思考が宿るといってもいい。(志村ふくみ『母なる色』求龍堂 p.119)

抜書5:
志村:ですから緯糸を入れます時に、ちょうど経糸に指がさわるか弦がさわるかわかりませんが、音色が鳴るんです。それが糸が布になる瞬間でもあるわけです。宇佐美英治・志村ふくみ『一茎有情 -対談と往復書簡- 』ちくま文庫 p.113)


ひとまずこの辺りで止めておこう。
今ここでは音楽に触れられている言及を特に選んでみた。

たとえば抜書2や4からは音楽のフリー・インプロビゼーションを思わずにいられない。
ピアノを「弾く」という能動態で語り得る行為ではなく、意思に先立っておのずと生まれてくる音の連なりに全てを委ねる、というような中動態で語らざるを得ない現象ないし境地を自分なりに見つめようと、(並べるのはおこがましいが)以前に私もこんなことを書いている。
→ 参照: 音楽を深く感じるために(2006.6.2)

また、抜書3での「織り上がったものが天蚕を汚してはいないか」との畏れは、私の経験に照らしてみれば民謡をアレンジする際に抱く畏れとよく似ているように思う。「新たなものを付加することによって失われるものもある。そして、その失われるものこそが、それにとって本当に大切なものであるかもしれない」と私は書いた。
→ 参照: 伝承と創出のあわいに(民謡のアレンジについて)(2015.11.30)

抜書5は対談の中の口話である。(文学者・宇佐美英治についてもいずれ別稿に改めたい)
音色が鳴り、糸が布になる瞬間。その瞬間を私も空想してみる。言葉以前の世界からあらゆる存在が言葉とともに生じるその刹那へと、それは重ね合わせられるのではないか。

そして自然と創作の関わりを語った抜書1は、作品づくりに留まらない、あらゆる生活つまりは生き方の全体を捉えていると私は思う。自然に対する向き合い方を、現代社会は一層鋭く問われている。「私は逆だと思う」と力強く言い切られた一言は、確かな重みを持って私の心に置かれた。


かように共感と畏敬の念を志村ふくみ氏に私は抱いていたのだが、先日は氏の100歳を記念した志村ふくみ展(at 東京・大倉集古館)を訪れて、初めて作品の実物を目にすることが叶った。

言葉や写真を通した想像上のものであった作品のひとつひとつに見入り、その深い響きの余韻や揺らぎ、そのあわいに耳を澄ますような至福と覚醒に包まれるままに、静かな時間を過ごした。
それは私にとって音楽体験であったと言っても、決して言い過ぎではない。ベートーヴェンのバイオリン・ソナタ9番「クロイツェル」に由来したという同名タイトル作品も含めてどの作品からも、はっきりとした旋律やリズムやハーモニーというよりは、音色や響きや余韻にこそ焦点の置かれた静謐な音楽が、私には聴こえてくるようだった。たとえば、モートン・フェルドマンのような。

こうした感慨は言葉の中に収まるものではないが、それでもその端切れを書き残そうとするのは、自分の胸に少しでも強く刻み込んでおきたいと願うからである。
志村ふくみ氏の作品のような音楽を、私も目指してゆきたいと。


Img_3979
Img_3983


この正月を百歳でお元気に迎えられた志村ふくみ氏の、ご健康と長寿を念じています。


【外部サイトのご紹介】

【展覧会 1/19まで】「特別展 志村ふくみ100歳記念~《秋霞》から《野の果て》まで~」(大倉集古館・東京)(しむらのいろ - 志村ふくみ、志村洋子公式ホームページ | SHIMURA NO IRO by Fukumi Shimura & Yoko Shimura)


by りき哉




2025年1月 7日 (火)

理解と感嘆

Img_1136

ブログ『「わかる」と「わからない」のあいだ』より断章のひとつを掲載。

※ 全文はこちら→ 「わかる」と「わからない」のあいだ(全文)


【1】 理解と感嘆

「素数」という数を教わったのは小学校の5年生くらいの頃だったろうか。
いわく、「1より大きい自然数のうち、1と自分自身以外に約数を持たない数」と。

2, 3, 5, 7, 11, 13, 17, 19・・・

なるほど。たとえば6という数は1と6以外に2でも3でも割り切れるが、7は1と7以外に割り切れる数がない。こういうのを素数というのか。

べつに難しい話ではない。なんの疑問もなかった。
それゆえ、特に何も思うこともなかった。
それは、単に、ある性質を持った数に名前が与えられたに過ぎなかった。
いや、いま思い返せば、「なぜその性質をことさらに取り上げて名づけるのか」という疑問は感じたはずだったのだが、疑問は育つことのないまま、私は「素数」なるものを、教わった説明そのままに「わかった」と思ったのだった。そして、その後に中学生になって「素因数分解」を教わっても、素数に対して思うものは何も芽生えなかった。
もし迂闊でなかったなら、この「素因数分解」を知ったときに多少なりの閃きがあったに違いない。

中学校では物質が原子から成り立っていることも教わった。なぜそこで「素数」を思い起こさなかったのかと、今は思う。
「物質の成り立ち」の話が「数の成り立ち」の話へとリンクする契機を見逃したまま、やがて私は大人になり、たとえば「史上最大の素数が発見されました」とのニュースに触れても、そこで素数なる概念をあらためて反芻することはなかった。


息子が生まれ、彼が小学校4年生くらいの頃だったろうか。
私は彼に「素数」を説明した。

「1より大きい自然数のうち、1と自分自身のほかでは割りきれない数を、素数っていうんだよ」

そのとき、ふと思ったのだ。
そして口をついて出た。

「まるで、数の原子みたいだね」

自分で説明しながら、自分の説明にハッとした。
素数って、数の原子みたいだ。個々の素数は、切り分けることのできない、ひとつのかたまりなんだ。水の分子が水素原子ふたつと酸素原子ひとつとからできているように、28という数は2という素数ふたつと7という素数ひとつとが掛け合わされてできている。
素数は、素数は、素数は・・・、「数の原子」だ!

初めて「素数」を教わった頃の光景が思い浮かぶ。
田んぼでザリガニを捕った夏。野原で凧をあげた冬。駄菓子屋で買ったコマやメンコを友だちとぶつけ合った日々。
あれから40年近くの月日が経っている。いろんなことがあった。

もしかすると、学校の先生も、そして教科書や参考書も、「素数」という概念をさまざまな喩え話をもって説明してくれていたのかもしれない。原子と分子の関係に倣った喩えも、きっとその中にあったろう。私は自分の迂闊さを反省する。

素数の定義を「理解」できていなかったわけではない。その面白さや奥深さに「感じ入る」ことがなかったに過ぎない。
けれども、何かが「わかる」とは、こういうことなのだ。
それは深い感嘆を伴う。
それは他者から与えられるものではなく、必然の刹那におのずから生まれてくる。


※ 全文はこちら→ 「わかる」と「わからない」のあいだ(全文)


(photo: 2024年夏、福島県は磐梯山の近くにて)


by りき哉


「わかる」と「わからない」のあいだ(全文)

Img_1169


※ 本稿には、折々に新たな断章を足していこうと思っています。
※ 断章ごと個別にもアップしていくつもりです。


【目次】(2025年1月現在)
(各リンクは単独記事として別ページに飛びます。全文はこのページを下へ)

【0】 はじめに

【1】 理解と感嘆

【2】 虚数とピーマン(近日公開予定)

【3】「1+1=2」という神秘 (近日公開予定)

【4】(以下、雑多に展開予定)

 


【0】はじめに

時に、深遠な問いがふと素朴なものに感じられたり、素朴な問いの奥深さに思い至って呆然としたりする。
あらゆる問いは、素朴かつ深遠であるのかもしれない。

1+1 は 2 である。
だが私は「1+1=2」を、いったいどこまでわかっていただろう。
どれほど「当たり前」と思えることでも、というより、それが「当たり前」であればあるほど、「なぜ当たり前なのか」は言葉の彼方に溶けてゆく。

「わかる」とはいったい何か。
そもそも人は、「“わかる”とは何か」をわかることはできるのだろうか。
(できないと思われる)

対象の中に入ってわかること。
対象の外へ出てわかること。

一瞬にしてわかること。
年月をかけてわかること。

詩がわかること。
数式がわかること。
人の悲しみがわかること。
竹馬の乗り方がわかること。

「わかる」と「わからない」のあいだで、日々いろいろな光景に出会う。

その断片を折々に書き残してみようかと、最近思い立った。
小さな断片を重ねることで現れてくる何かしらも、無いとは限らない。

 

(photo: 2024年秋 近所の公園で)



【1】理解と感嘆

「素数」という数を教わったのは小学校の5年生くらいの頃だったろうか。
いわく、「1より大きい自然数のうち、1と自分自身以外に約数を持たない数」と。

2, 3, 5, 7, 11, 13, 17, 19・・・

なるほど。たとえば6という数は1と6以外に2でも3でも割り切れるが、7は1と7以外に割り切れる数がない。こういうのを素数というのか。

べつに難しい話ではない。なんの疑問もなかった。
それゆえ、特に何も思うこともなかった。
それは、単に、ある性質を持った数に名前が与えられたに過ぎなかった。
いや、いま思い返せば、「なぜその性質をことさらに取り上げて名づけるのか」という疑問は感じたはずだったのだが、疑問は育つことのないまま、私は「素数」なるものを、教わった説明そのままに「わかった」と思ったのだった。そして、その後に中学生になって「素因数分解」を教わっても、素数に対して思うものは何も芽生えなかった。
もし迂闊でなかったなら、この「素因数分解」を知ったときに多少なりの閃きがあったに違いない。

中学校では物質が原子から成り立っていることも教わった。なぜそこで「素数」を思い起こさなかったのかと、今は思う。
「物質の成り立ち」の話が「数の成り立ち」の話へとリンクする契機を見逃したまま、やがて私は大人になり、たとえば「史上最大の素数が発見されました」とのニュースに触れても、そこで素数なる概念をあらためて反芻することはなかった。


息子が生まれ、彼が小学校4年生くらいの頃だったろうか。
私は彼に「素数」を説明した。

「1より大きい自然数のうち、1と自分自身のほかでは割りきれない数を、素数っていうんだよ」

そのとき、ふと思ったのだ。
そして口をついて出た。

「まるで、数の原子みたいだね」

自分で説明しながら、自分の説明にハッとした。
素数って、数の原子みたいだ。個々の素数は、切り分けることのできない、ひとつのかたまりなんだ。水の分子が水素原子ふたつと酸素原子ひとつとからできているように、28という数は2という素数ふたつと7という素数ひとつとが掛け合わされてできている。
素数は、素数は、素数は・・・、「数の原子」だ!

初めて「素数」を教わった頃の光景が思い浮かぶ。
田んぼでザリガニを捕った夏。野原で凧をあげた冬。駄菓子屋で買ったコマやメンコを友だちとぶつけ合った日々。
あれから40年近くの月日が経っている。いろんなことがあった。

もしかすると、学校の先生も、そして教科書や参考書も、「素数」という概念をさまざまな喩え話をもって説明してくれていたのかもしれない。原子と分子の関係に倣った喩えも、きっとその中にあったろう。私は自分の迂闊さを反省する。

素数の定義を「理解」できていなかったわけではない。その面白さや奥深さに「感じ入る」ことがなかったに過ぎない。
けれども、何かが「わかる」とは、こういうことなのだ。
それは深い感嘆を伴う。
それは他者から与えられるものではなく、必然の刹那におのずから生まれてくる。

(断章2へつづく。近日公開予定)


by りき哉

2024年10月 7日 (月)

組曲「空と蝶」について

Img_3844


2024年秋。
委嘱されて書き下ろした楽曲が、10月6日ルーテル市ヶ谷ホールにて初演されました。
(詳細→ 「ソプラノ、クラリネット、ピアノのための三重奏曲」初演コンサートご案内

今年初春のこと、委嘱を受ける際に頂戴した条件は
・「ソプラノ、クラリネット、ピアノのための三重奏曲」であること
・長さ15分ほどの作品であること
という二つだけでした。
「あとはすべてお任せします」とのことで承り、私の作曲は曲のコンセプトを思案するところからスタートしました。
楽譜が書き上がるまでの半年間にわたる、とても得難い経験となりました。

以下はその楽曲の解説として、コンサート当日のパンフレット用に書いたテキストです。

----------

ソプラノ、クラリネット、ピアノのための三重奏曲
組曲「空と蝶」(作曲:中村力哉 作詞:大江友海)

「ただ一匹の蝶が飛ぶためにも空全体を必要とする」
 これは詩人ポール・クローデルの言葉です(註)。本作は、この言葉から広がる一片の物語をソプラノ、クラリネット、ピアノの三重奏によって描くことを試みた、三つの小曲からなる組曲です。
 音と音、音と静寂が結びついてひとつの音楽となるように、あらゆる事物は互いに結びついている。すべての存在者が互いに他を欠き、他を補い合う。だから真の孤独者は決して存在しない。「一即一切」とも重なるその世界観を調性音楽に編み、詞を友人のシンガーソングライターである大江友海さんにつけていただきました。やわらかく深い余情に包んで音楽を鮮やかに拓いてくれた大江さんに、心より感謝しています。
 第一楽章(第1曲)は「母性」から照らした、子どもたちの澄み渡る未来への讃歌です。モチーフは重複しない6つの音からなり、その最後の音を起点として次のモチーフが新たに6つの異なる音を紡いでゆきます。この仕組みが「一切の事物が連関しているありよう」を象徴し、「いのちを言祝ぐ物語」を芽吹かせました。第二楽章(第2曲)ではピアノが森の奥の泉を、クラリネットは草木たちのざわめきを奏で、歌は言葉の始原を見つめています。第三楽章(第3曲)に入ると調性のゆらぎの中でゆめとうつつのあわいに三者は混交し、第四楽章で第1曲に還り、組曲はひとつの円環を閉じます。
 この作曲の機会を得たこと、本日の初演によって楽曲にいのちが吹き込まれること、その喜びは言葉に尽くせません。
 ただ一匹の蝶が飛ぶためにも空全体を必要とする。この言葉を母胎とした本作が、平和への祈りとして皆さまの心に響くことを願っています。
(註:井筒俊彦「クローデルの詩的存在論」より)(中村力哉)
 
・・・  ・・・  ・・・

ふたつの手のひら。それらは蝶のようにちっぽけで非力に見えますが、むすんでひらいて……生み出せるものは私たちの想像をはるかに超えるように思います。近くの遠くの誰かのために、世界のために。一人ひとり(の手のひら)に秘められた力を、この曲をきっかけに思い出していただけたら、こんなにうれしいことはありません。(大江友海)

----------

以上、楽曲解説文でした。

そして、パンフレットには敢えて(音楽として伝えたかったので)掲載しませんでしたが、この歌の詞を文字でも読んでいただけるよう写真で残しておきます。
(クリックで大きくなります↓)

Img_1002

この度の初演によっていのちを吹き込まれた組曲「空と蝶」が、これから広い空へと羽ばたいてゆきますように。

また新たな進展をご報告できると思います。

どうぞご期待ください。

-----------

ソプラノ、クラリネット、ピアノのための三重奏曲
組曲「空と蝶」

【委嘱初演データ】

2024年10月6日(日)
ルーテル市ヶ谷ホールにて

“Trio di voci”
クラリネット:飯塚崇志
ソプラノ:安孫子みどり
ピアノ:水口綾子

【コンサート後記】(上記リンク先より)

膨らんだ期待が音になってホールに響き渡りました。この嬉しさを表す言葉を知りません。
ソプラノの安孫子みどりさん、クラリネットの飯塚崇志さん、そしてピアノの水口綾子さんによって大切に音の一つ一つに魂が吹き込まれ、作曲時に思い浮かべていた様々な情景の中にいるようでした。
ご来場の方々からも嬉しいお声をたくさん頂戴しました。
皆々さま、ありがとうございました。

 

by りき哉

2024年10月 4日 (金)

落としたもの、残り続けるもの

Img_0993

(2024年9月28日の日記)

電車を降りる人が車内に何かを落としていったのが視界に入った。咄嗟に本を脇に置いてそれを拾い、ドアから半身を出してその人の背中に大声で「落としましたよー!」と叫んだ。二度目で振り返ってもらえたのでホームの床に置いて再び車内に座った。周りの視線が集まり、少し恥ずかしかった。

親切自慢をしたいのではない。昔の出来事を二つ思い出したのだ。

ひとつは比較的最近(2〜3年ほど前か)、地下鉄に乗っていたときのこと。
読んでいた本を閉じて立ち上がり、駅で降りようとすると、後ろから肩を叩かれた。「落としましたよ」と言って女性が私の巾着袋を手渡してくれた。
リュックの中でページが折れないように本を仕舞うための、私のお気に入りの巾着袋(上の写真)。これを失くしたらとても悲しい。「ありがとうございます!」の一言では足りない気持ちだった。今でも感謝している。

もうひとつはスマホもSuicaもまだなかった四半世紀ほど前のある日のこと。
私は自転車を置くと駅へとダッシュした。切符を買って改札を入ろうとしたとき肩を叩かれ、振り返ると見知らぬ女性から「落としましたよ」と携帯電話を差し出された。見れば確かに私のものだ。
落としたのは、自転車を置いた場所しかあり得ない。彼女はハアハアと息を切らしている。
急いでいた私は驚きつつ「ありがとうございます!」と叫び携帯を受け取るや改札を抜け、電車に乗って我に返った。

ああ、お礼をもっと深く伝えたかった。それに・・・、
・・・バカな! 中高6年間バスケ部で鍛えた黄金のステップを駆使して人混みを縫って走ったこの私に、あそこからついてきたというのか? あの僅かな時間差しか開けずに? いったい何者なのか?

その謎と、何より甚だ極めて不十分なお礼を述べることしかできなかった悔いが、今も深く残っている。


あの時のあなたへ。
その折は本当にありがとうございました。あなたの息を切らした姿、あの改札口の光景は、四半世紀を経てなお心に浮かび上がります。生涯ずっと心に残り続けるでしょう。あなたのご多幸を念じています。


by りき哉

2024年6月14日 (金)

駅間で

駅間で速度がゆっくりになり、電車が少し遅れる旨の案内に続いて、「この辺りは紫陽花がきれいな場所です。どうぞご覧ください」との車内放送に思わず本から目を上げると、線路沿いに色鮮やかな紫陽花が咲き渡っていた。夕刻の井の頭線。

(日記_20240613)

by りき哉

2023年9月 4日 (月)

「わかる」と「わからない」のあいだ(序文)

Img_2264


【0】 はじめに

時に、深遠な問いがふと素朴なものに感じられたり、素朴な問いの奥深さに思い至って呆然としたりする。
あらゆる問いは、素朴かつ深遠であるのかもしれない。

1+1 は 2 である。
だが私は「1+1=2」を、いったいどこまでわかっていただろう。
どれほど「当たり前」と思えることでも、というより、それが「当たり前」であればあるほど、「なぜ当たり前なのか」は言葉の彼方に溶けてゆく。

「わかる」とはいったい何か。
そもそも人は、「“わかる”とは何か」をわかることはできるのだろうか。
(できないと思われる)

対象の中に入ってわかること。
対象の外へ出てわかること。

一瞬にしてわかること。
年月をかけてわかること。

詩がわかること。
数式がわかること。
人の悲しみがわかること。
竹馬の乗り方がわかること。

「わかる」と「わからない」のあいだで、日々いろいろな光景に出会う。

その断片を折々に書き残してみようかと、最近思い立った。
小さな断片を重ねることで現れてくる何かしらも、無いとは限らない。

 

目次(本稿はこの先、以下のように展開していく予定です)

0. はじめに(上記です)
1. 理解と感嘆(近日公開予定)
2. 虚数とピーマン(近日公開予定)
3. 式と数のあいだ(近日公開予定)
4. ・・・ (以下、雑多に展開予定)


【追記】
続きはこちら→ 「わかる」とわからない」のあいだ(全文)


photo:
昼と夜のあいだ。(富士山の姿もくっきり)
2022年秋、横浜の洋上から iPhone で撮影。

by りき哉

2023年6月19日 (月)

花としての言葉と音楽と


2572b9f4d1164acaa915356a4eb25071


無二の音楽パートナーが天国へ行って、4年が経つ。

白築(長谷川)純 (1970-2019年/49歳)。
闘病の中で「大好きな紫陽花の咲く頃に逝きたい」と言った通りに行ってしまったこの季節、「花びらは散っても花は散らない」の言葉を思う。

花びらは散る。花は散らない。この(元は仏教思想家・金子大栄による)言葉は、倫理学者・竹内整一の著書で知った。
肉体すなわち物質としての「花びら」に対して、現象としての「花」は、その人の為したおこないであり、また、発したことばでもあるだろう。

モノは散っても、コトは受け取った人の中に残り、それは時が経って輝きを増すことさえある。彼女は、人と人を結びつけることに何よりもエネルギーを注いだ人だった。普段の生活にも、作る詞や音楽にも、それはいつも根底にあり続けた。

老若男女誰とも出会うや和気藹々と会話を弾ませて旧知の仲のようになってしまうのは、持って生まれた彼女の天性と、それを大切にする彼女の思いが合わさってのことだったろう。彼女が移住した島根でも、音楽活動に留まらない様々な縁に恵まれ、縁を繋ぎつづけた。そうしたたくさんの人たちの中で、それぞれが受け取った「花」は世代を重ねて咲きつづけていることと思う。

私とは1993年より音楽ユニット「mcasi mcasi」として作品作りやライブ活動を行い、2002年にはCDアルバム『ホコラ』をリリースした。
二人で作った楽曲たちもまた、根を広げ、葉を茂らせ、新たな可能性を繋いでゆくに違いない。


私信:
とらきち、空から聴いててな。


【補筆】
4年が経って、私の中でほんの少しだけ言葉になりました。
「mcasi mcasi」を聴いてくださった皆さま、あらためまして、どうもありがとうございます。


photo1:
紫陽花(2019.6.30 東京で)

photo2:
mcasi mcasi CDアルバム『ホコラ』と、白築純エッセイ集『いつかまた、きっと会える!』(山陰中央新報社)

『いつかまた、きっと会える!』は、山陰中央新報と毎日新聞島根版に連載した純のエッセイを、夫の賢一さんが編集、2022年に発刊されたもの。
(賢一さん、ありがとうございます)

6e5a799f2488406e80776f30b6a0a2e2


by 中村力哉

 

2016年2月 7日 (日)

子どもの言葉の軌跡(お父さん日記・2008-2009)

Img_3545_2


(2009年のお父さん日記より、記録として)


 
● Episode 1

「おとおさん、ぴなおひいて」

「ぴなおじゃなくて、ピアノだよ」

「ぴなお?」

「ううん、違う。ピアノ。『ピ』」

「ぴっ」

「ア」

「あっ」

「ノ」

「のっ」

「そう! ピ・ア・ノ」

「ぴ・な・お!」

「アハハ、どうしてもぴなおになっちゃうね~」

ケラケラケラ。


・・というやり取りをしていたのは、彼が2歳半くらいの頃だったろうか。

その後、「ピアノ」が言えるようになってからもラ行の発音は難しいようで、長いことラ行はほぼア行に(例:クラリネットは「くあいねっと」に)なっていたが、3歳半になった今ではそれもハッキリと発音している。

初めて耳にする言葉も瞬時に音を正しく聞き分け、すぐにその場で習得してゆく様子は頼もしくもある一方、一音節ずつ間違えないように慎重に発話しようとする姿はとても健気だ。


 
● Episode 2

発音の習得とは別の、論理を獲得している様子に微笑んだことも多い。

2歳7ヶ月の頃、朝食の支度をしている母親に彼が尋ねた。


「おかあさん、ばななよーぐうと つくってるの?」

「ううん。バナナはないの。ただのヨーグルト」

「ただのよーぐうと?」

「そう」

「ただはいってうの? (タダ入ってるの?)」


彼は「リンゴのヨーグルト」にはリンゴが、「バナナのヨーグルト」にはバナナが入っていることを知っている。「ただのヨーグルト」にはタダが入っていると推測するのは尤もなことだ。
極めて妥当な推論に、ちょっと感心したのだった。

こうして子どもは経験と知識と推論をたくましく駆使し、言葉の世界をぐんぐん広げてゆくのだなあ。

「タダは入ってないよ」と言われた彼は、それではタダとは何だろうと神妙な顔つきで考え込んでいたのだが、いつの間にか(少なくとも半年後には)正しく(そして得意顔で)「只の」を使いこなすようになっていた。

「てにをは」、「〜から」(確定の順接)、「〜ても/でも」(仮定の逆接)、「〜だけ」(限定)といった助詞の使い方が完璧であることに感心したのも、ちょうどこの頃だったと思う。


 
● Episode 3

論理の獲得の元をたどると、彼が初めて複数の語句を繋げた文をしゃべったのは、それより半年ほど前、2歳2ヶ月のある日のことだった。


「おっきいたんたんのって、ぺんぎんみう!」

(訳:大きいガタンガタン(電車)に乗って、ペンギンを見る=見に行く)


水族館に向かう電車や駅構内で、そして水族館でランチを食べている時も、ペンギンを見て水族館を後にした帰路でも、彼はこの一文を何度も何度も繰り返ししゃべった。

もちろんその文は彼が独自に作り出したのでなく、親が語りかけた一言を真似て発したものだが、なにしろ昨日まで語句を単独で発するだけだった彼の、それが最初の文だった。

「おっきいたんたんのって、ぺんぎんみう!」

初っぱなから(単文でなく)複文である。(※)
しかも前節の目的語は修飾語を伴っている。

子どもの「言葉の宇宙のビッグバン」は、こうして起きるのか。


 
● Episode 4

「宇宙」の膨張の軌跡として、彼との会話をもう一つ採録しておく。
ビッグバンから3ヶ月後、先述の「ただのヨーグルト」より2ヶ月前のこと。

居間で仕事をしていた私に、彼がにこにこ顔で話しかけてきた。


(自分の手のひらを指しながら)
「これてのひら」

「そうだね。手のひら」

(自分の足の裏を指して)
「これあしのひら」

「あはは。そうだね。でも足はひらって言わないんだよ。足の裏」

「あしのうら?」

「そう」

「あしのうら!」


彼は「手のひら」を形態素(て+の+ひら)に分解し、「ひら」は「足」に応用できると帰納的に推論し、その大発見を父親に報告した。

その発見は(惜しくも)却下されたが、彼はそれを残念がることもなく、「あしのうら」という新たな知見を得て嬉々としていた。



 

トップの写真:
「言葉の宇宙のビッグバン」が起きた日(2008.2.19)


● 付録

2歳の誕生日を迎えた頃(初めて文をしゃべる日より2ヶ月前)の、彼の語彙を辞書にしたもの。 (当人としてはもっと多くの語句を使っていた可能性もあるが、親として把握していた語句はおよそ下記の通り。2007年12月26日作成)

【あお】青
【あっか】赤
【あつい】熱い、暑い
【あった】あった、いた
【あっち】あっち(方角を示す)
【い】自分のこと
【いたい】痛い
【うま】馬、またがること
【うみ】海
【おか・おかっか】お母さん
【おと・おとっと】お父さん
【か】かぼちゃ
【がたんたん】電車
【がったんがったん】シーソー
【き】木
【き】救急車
【ぎ】鍵
【きん】キリン
【く】靴、靴下
【くぇ】クレヨン
【クェー】クレーン車
【クォー】クロワッサン
【げ】ゲーナ(アニメのキャラクター)
【ご(ぼ)】ごはん
【こわい(くわい)】怖い
【し】CD
【じ・じいじ】おじいちゃん
【しい】美味しい
【しゅ】スヌーピー
【しゅっしゅっ】蒸気機関車(→ぽー)
【す(しゅ)】座る
【ぞう(どう)】象
【だっく(だっき)】抱っこ
【たっち】立っち
【ちっち】おしっこ
【ちゅ】飛行機、ヘリコプター(根拠不明)
【て】手
【な】魚
【な(ま)】:バナナ
【な】おなら
【ない】ない、いない
【にゅ】牛乳
【にゅう】うんち(根拠不明)
【ね】猫
【ねんね】寝る
【ば】バス
【ぱ】パトカー
【ぱ】葉っぱ
【ばぁ】おばあちゃん、いないいないばあ
【はい】はい(返事)
【ばいばい】さようなら、いってらっしゃい、あっちへ行け
【びぃび】チェブラーシカ(アニメのキャラクター)
【ぶ】ブランコ
【ぶうぶう】クルマ(乗用車)
【ぱん・ぱんぱん】パン、パン屋さん
【ぺん】ボールペン
【ほ】星、月、太陽
【ぼ】帽子
【ぼ】どろぼう
【ぼう・ぼー】消防車、ボール
【ぽー】蒸気機関車(→しゅっしゅっ)
【ほん】本
【ぽんぽん】お腹、お腹がすいた
【まんまん】アンパンマン、アンパンマンジュース
【みみ】耳
【め】目
【もーも】牛
【わんわん】犬



以上、言語学に関心を抱く契機となった岡本夏木著『子どもとことば』(岩波新書)へのオマージュを込めた観察記録として。


(※)
参考:[日本語教育](外部サイト)
   重文・複文

関連ログ:お父さんな日々(2008.4.5)
   「おっきいたんたんのって、しまんもしゃつかう」


【お父さん日記シリーズ】

お父さん日記・2011夏

お父さん日記・2011秋〜2012初春

お父さん日記・2012春〜師走

お父さん日記・2013

お父さん日記・2014

お父さん日記・2015春

ゲルマニウムラジオ作り/お父さん日記・2015夏休み特別編として

お父さん日記・2015夏〜師走



by りき哉


2015年11月30日 (月)

伝承と創出のあわいに(民謡のアレンジについて)

Aminosiuta_s

(「ピアノで織りなす茨城県民謡 網のし唄」 26×34cm クレヨン)

 

新たなものを付加することによって失われるものもある。

そして、その失われるものこそが、それにとって本当に大切なものであるかもしれない。

日本の民謡をピアノの響きで包むことには、だから、常に大きな畏れがあります。

 

今回はその畏れについて、つまり「 ひと粒のちから:ピアノで織りなす東北民謡」(あわいびと)のアレンジについて、少し言葉にしておきたいと思います。

 

● 「ピアノで織りなす」の意味について

ひと粒のちからプロジェクトとしてYouTubeにアップした音楽のタイトルには、いずれも「ピアノで織りなす○○県民謡」と謳いました。

この「ピアノで織りなす」というキャッチフレーズですが、実はこれは「ピアノで奏でる」という意味ではありません。

では、どういう意味なのか。

 

メロディとハーモニーとリズムをもって「音楽の三要素」とする捉え方があります。その捉え方は、音楽における「無数にあるであろうモノサシの中のひとつ」に過ぎませんが、今日広く共有されているそのモノサシを当てるならば、日本の民謡は「ハーモニー(和声)という概念を持たない音楽」だと言えます。

その日本の民謡を、和声音楽の新たな響きに包むこと。
ひと粒のちからプロジェクトは、そこに音楽的な趣意を置いて始まりました。

つまり、ここで「ピアノ」は、必ずしもピアノのことではなく、「近代西洋音楽に生まれた(12平均律における)和声」の代名詞・象徴として使っています。

ピアノの代わりに(和声が表現できれば)他のどんな楽器で演奏しても成立するように、「和声音楽の世界像が日本の民謡を豊かに広げてゆく可能性」を求めて、その趣旨を「ピアノで織りなす」という言葉に込めました。

 

● 「その唄本来の姿を変えない」ということについて

音楽のアレンジには無数のベクトルがあり、たとえば「原曲を解体し、再構築していくアレンジ」も、音楽のとても意義深い営みだと思います。
一方、ひと粒のちからプロジェクトでは、民謡への和声付けの際に「その唄の本来の姿を大切にしたい」と考えています。

土地に根差して受け継がれてきた唄のかたちを、西洋音楽の美的観点によって変えてしまわない。

音楽から和声を取り外せば、その唄の古来の姿が立ち現れるように。

その上でその唄が新たに豊かに広がってゆくこと。
いつでも唄の原形を取り出せるかたちで、「日本各地の民のうた」と「(ピアノに象徴される)和声音楽の美」との両立を図りたい。
そして、両立したその「二つの世界のあわい(間)」に様々な交流が生まれたら。

そんなふうに願っています。

 

【参考】

・「その唄本来の姿を変えずに、ただ和声を付ける」ということの最たる例がこちらで試聴できます↓
 山形民謡とピアノ (2007/11/29)

・関連ログ:音楽の何に曲名をつけるのか

※ このテーマについてはまだまだ言葉足らずなので、追々、稿を重ねたいと思ってます。

● 追記(2015.12.08)

あわいびと Official Website オープンしました。
  awaibito.com

by りき哉

 

 

 

より以前の記事一覧