キャットフードを買いに某ディスカウントショップへ行って、素敵なトイピアノを発見した。
電子式のおもちゃピアノが並んだ棚の横を通り過ぎる際に、床にちょこんと置かれていたそのピアノを息子が弾き(叩き)始めたのを聴いて、おっ、それはアコースティックじゃないか、どれどれ、ちょっとお父さんに貸して・・・と。
ハンマーで金属の(板状か棒状の)振動体を叩いて発音する、アコースティック・ピアノである。
昨今はおもちゃピアノも電子式が主流だから、なかなかこういうメカニカルな方式のものは見かけない。
私は、電子トイピアノには子供に与えるおもちゃとしても全く興味なく、むしろそういうものは子供の感性を育む上でも弊害があるのではないかとまで考えているのであるが、このようなメカニカル方式のトイピアノには、こんどは反対に「おもちゃ」を通り越して「楽器」として興味津々なのだ。
だから、たった今も、このトイピアノを息子に買ってやろうかと思って見ているのではなくて、自分の趣味として、あるいは仕事の道具になるものとして観察しているのである。
息子はウチにホンモノのRhodes Pianoもグランドピアノもあるのだから、それで遊べばよろしい。
どれどれ・・・、息子から取り上げて早速弾いてみると、ガムランをも彷彿させるチャイムのような、可愛らしいくも太く芯のある音がする。
なんと言っても、実際に楽器が空気を振動させて生みだす音の「実在感」は心地よい。
素朴だが、今この空間で確かに鳴っている、慈しむべき音。
ICチップに書き込まれたビットデータから電気的に作り出される音には、リアリティも奥行きも感じることはできない。
あらゆる楽器は、その楽器特有の声(音色)を持っており、それゆえ私たちはその音を慈しみ、その音に耳を傾ける。
しかし電子ピアノには、スピーカーが鳴るより以前に「音」は実在しない。
楽器を「弾く」と言うのでなく「奏でる」と言うとき、ひと際その音を大切に聴き取り、その音を愛撫するように慈しんでいる様子が暗黙に前提されていると思う。
「笛の音を奏でる」も「ギターを奏でる」も「トランペットを奏でる」も「ピアノを奏でる」も、ことばとして自然に成り立つ表現であるが、電子ピアノは「弾く」ことはできても、「電子ピアノを奏でる」という日本語は成立しない。(と思う。)
それは、奏でるべき音を、そもそも電子ピアノが持たないからである。
あるのはビットデータとそれを演算する論理回路、そして結果を増幅し再生するシステム。
ビットデータは奏でるものではなくて、読み出され再生されるものだ。
電子ピアノの鍵盤は単にデータを再生するための電気スイッチに過ぎない。
このトイピアノは、奏でるべき「声」を持っている。
身体(の動き)と楽器は一体となって空気をじかにふるわせる。
弾くと楽器の振動が鍵盤から指先に伝わってくる。
だから心も振動する。
そしてこのトイピアノは、しかも、ボディーはすべて木でできている!
合板だけど、木製品としてとてもしっかり作られているではないか。
木はいい。木にはぬくもり、あたたかさ、やさしさがある。
これがボディーがプラスチック製だったら、私もハナから興味を持たなかった。
やはり、プラスチック製のものばかりに囲まれていると、子供の感性を育む上で弊害があるような気がする。
幼少期こそ特に、土とか、木とか、自然のものに触れて育つことはとても大切なことだと思う。
尤も、今トイピアノを見ているのは子供のためではなかった。
ともかく大人も木の手触りには心安らぐし、それに楽器として、プラスチックと木では響きがまったく違う。
このピアノは、材の厚みもあり、ずっしり感があり、単なる飾り物としても成立するくらいの質感と存在感を持っている。
これくらい良くできていると、どうして鍵盤が木と象牙と黒檀でなくプラスチックであるのか唯一残念に思えてくるほどだが、そこは仕方がないか。
鍵盤のサイズがトイピアノにしてはけっこうあって、私の手でも弾きやすい。
と思ってよくよく(手で)測ってみたら、奥行きは小さいけど横幅は本物の鍵盤と同じ、フルサイズだった。
ピッチは甘いが、それも素朴な味わいだ。
それにしても、いったいどこのメーカーだろう。
ボディー前面にはエンブレム的にKIDDY KEYSと書いてあるけど。
アコースティック・トイピアノでは、私が知っている限りでは河合楽器のものがあるが、これはカワイ製ではない。
このピアノが置いてあった近くに、1980円と書いた値札が下がっている。
このせんきゅうひゃくはちじゅう円って、このピアノのことだろうか?
カワイのアコースティック・トイピアノはたしか、1万5千円くらいした記憶がある。
この作りでこの値段は信じがたく、店員さんに確認した。
間違いなく1980円だった。
私はモノにこだわる性分なので、いくら安くても自分が本当に気に入らなければ買うことはない。
反対に、自分が本当に気に入れば、どんなに高額なものでも金に糸目をつけずにポンと買う。
というような懐の大きさを(財布にも心にも)持ちたいと日々願っている。
さて、このトイピアノは、安いことは間違いない。安すぎる。値段から考えると、この作りの素晴らしさは驚嘆するばかりだ。気に入った。
しかし、だからといって買うという結論にはならない。
果たして、このトイピアノは私に必要だろうか。
問題はそこだ。
どれほど割安感があろうとも、無用のものを買うほど(財布も空間も)余裕はない。
今までそれが無くてやってきたのだから、きっと必要ではないに違いない。
しかし、人生には必要なものだけがあれば良いのだろうか。
無駄を排し、合理性ばかりを求める姿勢からは、余裕のある深い音楽は生まれてこないのではないか。
音楽には奥行きと幅が必要だ。遊びが大切である。
タンスの引出しの遊びとか、ハンドルの遊びとか、部品の結合の余裕のことを「遊び」というが、そういう余裕がないと音楽も窮屈でつまらなくなってしまう。
リズムにも遊び(拍と拍の結合に余裕)がないと、グルーブしない。
10分余りに渡る、このような深い洞察と思慮の末、買うことにした。
日頃、石橋を叩いても(まだ心配で)なかなか渡らない私としては異例の即断だったと言って良い。
しかし何せアコースティック楽器であるから、個体ごとにピッチ(の正確さ)も違うだろう。
ピッチが良いものを選ぶため、店員さんに在庫をすべて持ってきて欲しいと頼んだら、倉庫から2台持ってきてくれた。
合わせて3台を試奏し、けっきょく最初の店頭品を選んだ。
取説を読んで判明したことは、アメリカ(カリフォルニア)のメーカーであること。
部品(鍵盤アクション)が壊れたりしたときは、交換パーツが用意されていること。それは心強い。
また、心臓部である振動体の鉄ロッドは、おお!ドイツ製とのことだ。
三味線や尺八がドイツ製だと言われるとちょっと心配になるが、ピアノの部品がドイツ製だと言われると何だか安心感を覚えるものだ。
どうりで良い音がするわけだ、と納得する気分になってくる。
自宅のグランドピアノとL字に配置して一緒に弾いてみたりした。
うん、楽しい!使える!
音の存在感はグランドピアノに負けていない。
アクション部がどうなっているのか見たくて、天板を外してみた。
なるほど。外見はアップライトだが、アクションにバネは使われておらず、ハンマーの自重で元に戻る仕組みである点はグランドピアノに近い。
連打にもけっこう追従するし、タッチに対する音色変化も楽しめる。
とてもシンプルかつ洗練された機構に、刺激とちょっとした感銘を受けた。
ひょっとしたら、Rhodesと同じようにロッドにバネ等(おもり)をつけてピッチ調整ができるかもしれない。こんど試してみよう。
また、プラスチックのハンマーが打弦しているが、この部分も加工すれば自分オリジナルの音色を求める余地もありそうだ。
天板は4つの木ネジで固定されているのだが、これをグランドピアノみたいに開閉できるように改造しようかな。
なんだか、家具作り職人としていろいろとアイディアが浮かんできた。
在庫全部買ってきても良かったかな。
とても賢い買い物をした気がする。
ようこそ、ナマトピ(なまトイピアノ)くん。


天板と前面を外したところ。

アクション・ハンマーとドイツ製の鉄ロッド。
左の方2つ鍵盤を弾いているのでハンマーが上がっている。
背面には合板でなく木質圧縮ボードが使われている。
by りき哉
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