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2021年10月24日 (日)

「鷲見坂(ワシン坂)〜2021年初秋。それは一通の手紙から始まった〜」/調草子 Kaori-ne

 

2021年秋。
モノとコトのあいだ。生命と非生命のあいだ。その深遠な謎に惹かれ、いのちと出会いの不思議さ・ありがたさを日々思います。

この度、ネオ・ハイブリッド民謡ユニット「調草子 Kaori-ne」の新しいミュージック・ビデオを制作・公開しました。
神奈川県が主催する文化・芸術振興イベント「バーチャル解放区2021」への参加作品としてレコーディング・動画制作したものです。
当イベントの今年のテーマは「コロナ時代を生きる!」とのこと。

そのエントリーに際しての私たちメンバーからの解説を、以下転載します。


【動画解説】

2011年より活動している音楽ユニット「調草子 Kaori-ne」(シラベノソウシ カオリネ)です。このコロナ禍下で私たちの生活を支えてくださっているすべてのエッセンシャルワーカーの皆さまに感謝の気持ちを込めて、神奈川県「バーチャル解放区2021」にエントリーいたします。

当ユニットのアルバム 『一の巻 Daikoku mai』の中から、オリジナル曲「鷲見坂(ワシン坂)」をこの度リテイクしました。
鷲見(ワシン)坂は横浜市の中区山手町にある坂で、歴史を思わせてくれる長い石垣と今も麓で湧き続ける清水はこの地のシンボルマークとなっています。小高い丘の上からは本牧の海をまたぐ横浜ベイブリッジも見渡すことができます。

この映像作品では、「バーチャル」とは対極にあるであろう「手書きの手紙」を物語として織り込んでみました。人とのリアルなふれあいが包んでくれていた大切なこと、そしてバーチャルな世界が拓く可能性。そのいずれをも、このコロナ禍によってあらためて深く感じずにいられません。
私たちなりのそんな思いを込め、リモート作業による個々の演奏録音と撮影を合わせて作りましたビデオ・クリップを、どうぞ皆さまに楽しんでいただけますように。

 

“調草子 Kaori-ne”
「鷲見坂(ワシン坂)〜2021年初秋。それは一通の手紙から始まった〜」

原案:木津かおり
脚本・監督:海沼正利
音楽:内田充・木津かおり

【出演】
唄い手:木津かおり
笛奏者:佐藤錦水
ギター奏者:内田充
ピアノ奏者:中村力哉
パーカッション奏者・のげやまのたぬき:海沼正利(ダブルキャスト)

【演奏】
調草子 Kaori-ne

録音・映像制作:2021年9月
Photo of band members by 林建次

 

・・・というわけで本記事の冒頭の動画を、どうぞ楽しんでいただけますように。

 

● 「調草子 Kaori-ne ってなに?」という方へ
 当ブログ内のこちらをご覧下さい。
 ↓
調草子 Kaori-ne 1stアルバム『一の巻 Daikoku mai』リリース

 

 ↓ こちらは上記アルバム『一の巻 Daikoku mai』のPVです。

 

by りき哉

2021年3月 1日 (月)

“Radiant Waves” 中村力哉 musical composition 01

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自作曲を録音して、YouTubeにアップしました。

2005年の冬のある晴れた日の午後、美ら海の洋上をゆく客船のラウンジで、営業時間外に一人でのんびりとピアノを弾いていると、携帯メールが着信しました。見ると「無事に生まれたよ」と、甥っ子が誕生した知らせでした。

ラウンジを囲む窓の外は見渡す限りの海と空。真っ青な空には雲がぽっかり浮かび、陽を受けた海面がきらきら輝いて眩しいほどでした。このメロディとハーモニーは、そんな至福の中で生まれてきたものです。

曲名につけた 「Radiant Waves」は直訳すれば「輝く波」で、「waves」には実際の海の波とともに、生命の鼓動や波動といった意味合いも込めています。

2021年2月、東日本大震災から十年という時間が過ぎようとし、昨年からはコロナウイルス禍が続いている今、自身の作品の中からこの “新たな命を祝福するポジティブな曲” を録音してシェアしたいと思いました。

録音にはすばらしい演奏家に共演いただきました。
岩谷耕資郎 (guitar)、早川哲也 (contrabass)、池長一美 (drums) の各氏です。(どうもありがとうございます)

シェアしたいのは音楽なのですが、YouTubeにアップするにあたっては(折角なので)レコーディングを映像としても記録して音楽と合わせた動画にしてみようか・・・と。

コロナ禍で「3密」を避けるため、レコーディングは私の「HOCOLA Studio」に演奏者お一人ずつ日を分けてお招きし、録音も撮影も(その後のミックスも動画編集も)すべて私一人で行っています。
(動画の撮影と編集についてはこれまで何の経験も知識もなく、初めての手探り作業でした。「 “初めての動画撮影&編集” としては上出来」としておきたいと思います)

子どもたちに、あるいはこれから生まれてくる子どもたちに(もちろん大人たちにも)、穏やかな風がそよいで温かな陽が降り注ぐ明日がいつも開けていますように。

 

【レコーディンング・データ】

composition & piano: 中村力哉

guitar: 岩谷耕資郎

contrabass: 早川哲也

drums: 池長一美

Recorded at HOCOLA Studio, Tokyo
on Feb. 2021

piano tuning: 堀本幸隆

recording & mixing: 中村力哉

musical composition title:
“RADIANT WAVES ”
(Jan. 2005)

 

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by りき哉

2016年3月 2日 (水)

福島の四季に移ろう風景と、相馬地方に歌い継がれてきた唄

Fukushima

 

 

 

“どんな西洋音楽にも無いような深い悲しみがひしひしと伝わってくるのはどうしてなのか。たぶんそれは、その土地土地に伝わる旋律が、魂の奥底から発せられるものであればあるほど、陽が一瞬のうちに陰に転じるからかも知れない。”
(佐々木孝氏のブログ記事「汚れちまった悲しみに…」より)

東日本大震災から間もなく5年が経とうとしています。

過日、スペイン思想研究家で南相馬市にお住まいの佐々木孝氏が著した『原発禍を生きる』(論創社)を拝読しました。

屋内退避指定区域で周囲がほとんど自主避難し「音もなく無人の境と化した」ご自宅に、佐々木氏は認知症にある奥様とともに震災後もずっと留まり続けました。

本書は、氏がウェブに日々綴ってきた随想録「モノディアロゴス」より、2011年3月10日からの4ヶ月間分を纏めて書籍化したものです。

それまでの暮らしを守り、屋内退避指定区域での非日常をくぐり抜ける氏の体験と思念を、自分なりに一端でも感じ取れたら・・、と念じつつ読みました。
氏の「魂の重心」の低さに圧倒される思いでした。

 

“今回の大震災で問われている大きな問題の一つが、私たちにとって「くに」とは何か、という問題であることは確かである。私たちにとって「くに」とは現政府でも現行政でもない。私たちにとって、真の「くに」は先祖たちの霊が宿るこの美しい風土(あえて国土とは言わない)であり、そしてそこに住む人間たちなのだ。”(同書 P51、2011年4月4日の日記より)

“つまり人間が生きるということは、ウナムーノという思想家によればおのれの小説を書くこと、つまりおのれの物語を作ることなのだ。個人レベルでも言えることは、町のレベルでも、国のレベルでも言える。つまりこの南相馬の真の復興は、たんに経済的な復興ではなく、町の物語を創出することなのだ。”(同 P246、2011年7月1日の日記より)

 

その佐々木氏がブログで、映像作品『フクシマの唄』(音楽:相馬二遍返し組曲)を、大変ご丁寧に紹介してくださっています。

冒頭に引用した一文は、その中からの書き抜きです。

“そんな意味でも、「フクシマの唄」をどうぞゆっくり見そして聴いてください。人間たちだけでなくこの相馬の美しい自然が温かく迎えてくれる。裏切られてもなお健気に美しく、しかも人間たちの不実を許し癒しながら年毎の営為を繰り返してくれる。”(同記事より)

全文はこちらです:汚れちまった悲しみに…

(佐々木孝様、どうもありがとうございます)

震災から5年を迎えるにあたり、この映像をあらためてご紹介いたします。
(ぜひ全画面表示でご覧ください)

 

 

写真:土田ヒロミ
音楽:あわいびと

 

【お知らせ】

2016年3月10日(木)中目黒「楽屋(らくや)」にて、あわいびとライブを行います。

震災から5年の節目に。
私たちの故郷のために、祈りを込めて。

詳しくはこちらをご覧ください。
2016/3/10 あわいびと Live at 楽屋

あわいびと Official Website

by りき哉

 

 

 

 

2013年2月12日 (火)

佐渡おけさ/調草子 kaori-ne

ハイパー民謡ユニット『調草子(しらべのそうし)kaori-ne』の結成一周年記念ライブ(2/28)が近づいてきました。

そしてこの度、調草子 kaori-ne のウェブサイトもオープンしました!

こちらです↓
http://www.kaori-ne.com/


今回は当ユニットのデモ・ムービーの中から、「佐渡おけさ」をご紹介します。
(この動画は昨年9月にアップされていたのですが、ご案内しそびれていたので)

例によって、リハーサルを録画しただけの、暫定的なPVです。


2012年4月5日のリハーサル風景
東京 Hocola Studioにて

 佐藤錦水 (篠笛)
 木津かおり(うた)
 内田 充 (guitar)
 中村力哉 (piano)
 海沼正利 (percussion)


この「佐渡おけさ」は、私が和声付けとアレンジを担当しました(2011年10月 初演)。

全国的に知られている「佐渡おけさ」ですが、その由来は熊本県天草市に伝わる「牛深ハイヤ節」で、ハイヤ節が北前船で物資とともに佐渡へ運ばれてこの唄になったと言われています。

あの底抜けに明るく開放的なハイヤ節が、このような哀調を帯びた唄になったとは面白いものです。

(ちなみに私は佐渡へは一度だけ旅行で訪れたことがあります)


・・というわけで、来る2/28のライブ(於:東京・四谷メビウス)、ご期待ください!

ライブの予定


by りき哉

2012年9月 1日 (土)

ピアノで織りなす千葉県民謡「九十九里大漁木遣り唄」

「一粒のちから」プロジェクトの第六弾です。

2011年3月11日、東日本大震災の津波は、九十九里浜にも被害をもたらしました。
私たち一人一人のふるさとへ想いに、この音楽が少しでも寄り添うことができたなら幸いです。

日本の民謡はもともと和声(という概念)を持たない音楽ですが、そこにピアノによるハーモニーを加え、受け継いできた伝統と文化を大切にしながら、新たな解釈とともにアレンジ・演奏しました。



この唄は、千葉県長生郡一宮町を中心とした九十九里沿岸一帯の漁師たちが大漁祈願成就の御礼、また海上安全への祈りを込めて歌ったと伝えらる海唄です。
「木遣り唄」とは、大木や岩を大勢で運ぶとき、地突き、棟上げ、祭りの山車を引くときなどに歌われる唄ですが、この唄は木遣りがミックスしためずらしい海唄で、作業唄・祝い唄としても唄われたと考えられています。


千葉県民謡「九十九里大漁木遣り唄」

(ハ 大漁だ大漁だ)
ハァ ここは九十九里(ハ ナンダコリャ)
東浪見ヶ浜は(ハ ヨイヨイ)
今日も大漁の(ハ ナンダコリャ)
ヤレ 旗の波

ハ ヨイヨイ ヨイトセ
ハ アリャリャ ハ コレワノセ ハ ヤァヤトセ 
(ハ 大漁だ大漁だ)

(以下くり返し言葉および囃子略)

ハァ 浜が大漁で 陸(おか)万作で
村にゃ黄金の ヤレ 花が咲く

ハァ 入熊沖へと 両舵おろし
入れて出すまい ヤレ色鰯

ハァ 鯨汐吹く 小波もあるに
沖さ取り出す ヤレ鳥毛網

以上は、この演奏で唄っている歌詞です。
(他にもいろいろな歌詞があります)


【この動画の演奏者】

 美鵬成る駒(唄・当り鉦)
 佐藤錦水 (篠笛・唄囃子)
 岩谷耕資郎(guitar・唄囃子)
 三枝俊治 (electric fretless bass・唄囃子)
 秋葉正樹 (drums・percussion・唄囃子)
 中村力哉 (和声付け・編曲・Rhodes piano・唄囃子)

 2012年8月5日・6日
 東京 Hocola Studio にて録音

 正調・九十九里大漁木遣り唄(動画の冒頭51秒までの部分)
 Special Thanks to...
 公美 公基 理加 玲奈

ちなみに背景画は、美鵬成る駒が心を込めて描きました。
(2012年8月10日 18×26cm 色鉛筆)


この地で育まれてきた唄を後世へ伝えていくこと。
その力のささやかな一粒になれればと願っています。


【補足】
当プロジェクトによるその他の唄が、ここでまとめて視聴できます。
一粒のちから:ピアノで織りなす東北民謡

ピアノで織りなす福島県民謡「相馬二遍返し」
ピアノで織りなす宮城県民謡「十三浜甚句」
ピアノで織りなす茨城県民謡「網のし唄」
ピアノで織りなす岩手県民謡「釜石浜唄」
ピアノで織りなす青森県民謡「南部餅つき唄」


【補足2】
来る9月21日(金)、杉並公会堂小ホールにて、このプロジェクトのコンサートがアニドウの主催により行われます。
詳細はLIVEの予定にてご覧ください。


【補足3】
今回のレコーディングの裏舞台を、一つ前のログでご紹介しています。
Coming Soon!一粒のちからプロジェクト第6弾「九十九里大漁木遣り唄」


【追記】(2015.11.30~)
● 温かなメッセージをたくさん頂きまして、2015年秋、CDアルバムの形にしました。
 詳細はこちら

● アレンジ(和声付け)について、少し言葉にしました。
伝承と創出のあわいに

● 当プロジェクトのwebsiteを作りました。(12/20)
 awaibito.com


by りき哉


2011年11月27日 (日)

ピアノで織りなす青森県民謡「南部餅つき唄」

「一粒のちから(東北地方の民謡に和声を付けることで復興の力になれたらうれしい)プロジェクト」の第五弾です。
復興を祈る私たち一人一人の想いに、この音楽が少しでも寄り添うことができたなら幸いです。

日本の民謡はもともと和声(という概念)を持たない音楽ですが、そこにピアノによるハーモニーを加え、新たな解釈とともにアレンジ・演奏しました。

「南部餅つき唄」は、下北半島に伝わる古い踊り唄で、正月行事が発祥と言われています。
現在でも、県内のお祝いの席では祝舞として、必ずこの踊りが演じられるそうです。

これから年末、そして新年を迎える時節だということもあって、今回はこの唄を取り上げてみました。
餅米を蒸すところから始まり、杵で捏ね、そして威勢良くつきあげていく一連の流れをイメージしてアレンジ&演奏しました。
エンディングに向かって元気よく盛り上がっていきます。

青森県民謡「南部餅つき唄」

奥州 サーハーエ
奥州南部の 大畑なれや
出船入船 繁華の港
陸(おか)は豊年 みずほの宝
(ハ イヤコラ ハイハイ)

揃た揃たよ 餅つきァ揃た
秋の出穂より 色はよく揃た
※ヨイヨホホイヨイ ヨホホーヨーイトナー
ヨイハヨイコノ舞を舞うて
よせてよせたら ヨホノホイヨホホイノホイ

臼もあたらし 餅つきゃ若い
赤いたすきに はちまきを締めて
※繰り返し

ツケタカ ツケネカ ツケタカナ
サットシアガレ ユンガオメ
サットシアガレ カンボチャメ
トコサッサ コラサノサ

ついたお供え 神々さまへ
家内揃うて 笑い顔揃うた
※繰り返し

[歌詞についての補足]
「よいはよいこの」は現在広く浸透している歌詞ですが、本来は「よいはよいとの」で、この「と」は「人」という意味だそうです。


この地で育まれてきた唄を後世へ伝えていくこと。
その力のささやかな一粒になれればと願っています。

この動画の演奏者
 美鵬成る駒: 唄・太鼓・当り鉦・チャッパ・鈴
 佐藤錦水 : 篠笛・唄囃子
 中村力哉 : 和声付け・ピアノ・タブラ(バヤン)・カシシ・唄囃子

 2011年11月12日 東京 Hocola Studio にて録音


ちなみに動画の絵は、この音楽のバックグラウンド画として描き、パソコンでレタッチしたものです。
「気は心」ということで・・。
(原画:2011年11月24日 26×34cm クレヨン)

by りき哉




[追記]

当プロジェクトの唄を、以下にまとめてあります。

ピアノで織りなす東北民謡~Pray for Japan~

その他の公開済みの唄
Pray for Japan ピアノで織りなす福島県民謡「相馬二遍返し」
Pray for Japan ピアノで織りなす宮城県民謡「十三浜甚句」
Pray for Japan ピアノで織りなす茨城県民謡「網のし唄」
Pray for Japan ピアノで織りなす岩手県民謡「釜石浜唄」


【追記】(2015.11.30~)
● 温かなメッセージをたくさん頂きまして、2015年秋、CDアルバムの形にしました。
 詳細はこちら

● アレンジ(和声付け)について、少し言葉にしました。
伝承と創出のあわいに

● 当プロジェクトのwebsiteを作りました。(12/20)
 awaibito.com


by りき哉

2011年11月12日 (土)

Rikiya Nakamura Piano Free Improvisation 080527

これは以前ここにアップした音源なのですが、「一粒のちからプロジェクト」をYouTubeに公開するにあたって、動画の編集もYouTubeへのアップロードも経験なかった私は、その練習と実験を兼ねて、こんな動画を作ってみたのでした。

これで要領を確認して、一連の「ピアノで織りなす東北民謡」をアップロードできた次第です。
(3月の「朧月夜」ソロピアノは友人にアップロードしてもらいました)

というわけなので、せっかく作ったので改めてここにお知らせしておきますね。

Free Improvisation Rikisac080527 #1~#4
2008年5月27日 東京 Hocola studio における録音
piano 中村力哉

一切何も決めずに弾いた、ピアノ・フリー・インプロビゼーションです。

ログ「音楽を深く感じるために」でアップした音源に、映像を付けてみたものです。

この映像が何なのか、ここでは内緒にしておきます。
(YouTubeの動画説明文にはタネ明かししてあるのですけど)

以下、そのログの全文も転載しておきます。

あ、そうそう、その前に・・。
今日(11/12)は「一粒のちからプロジェクト」の第5弾・青森県民謡「南部餅つき唄」レコーディングしました。
近日web公開予定です。乞うご期待!



以下ちょっと長文なので、お時間のある時にどうぞ。
(2008年6月2日のログより転載)

↓↓↓↓↓

音楽を深く感じるために

いっさい何も決めずに、心を静めて、まず最初の音を出す。
「最初の音」は、単音でも良いし、和音(重音)でも、旋律でも、リズム(の断片)でも良い。

但し、これから始まる音楽について、何も予定しないように注意しなくてはいけない。
最初の音を弾く瞬間まで調性(キー)も決めないし、そもそも調性があるかないかも決めない。
音楽に抑揚や変化を持たせるか(例えば最初は静かに始めてだんだん盛り上げていくとか)、そういう「話の流れ」みたいなことも予定しない。
風景なり感情なり、何かを表現しようという目標も持たない。

これから一体どんな音楽が生まれるのか自分自身でもまったく未知である、という白紙状態で始めるのである。
唯一のルールは、音楽として始まりと終わりがある、ということ。
いつの間にか始まって何となく終わるのではなくて、始まりの瞬間と終わりの瞬間を「明確に」持つ、ということ。

そう思って、さあいざピアノを弾こうとすると、最初の音をどうするかという葛藤がまず生まれる。
鍵盤は88ある。組み合わせを考えれば、選択肢は無限にある。
組み合わせを考えずに最初は単音と限定してみても、その一音を弾く強さ(音色)の可能性はやはり無限にある。
さて、何を弾こうか。

でもとにかく、まず静寂に耳を澄まし、ある瞬間にフッと決断して手を鍵盤に下ろしてみるのだ。
そして放たれた響きに耳を澄まし、次に弾くべき音、あるいは取るべき間を感じとれたら、それを続けていく。
大切なことは、雑念を持たずに意識を音楽の奥深くに集中することだけである。

身に染みついている音楽理論や慣習にとらわれたり、ましてやそれに頼ったりしようとすると、たちまち真の音楽に対する集中力は途絶え、明確な終わりの瞬間まで音楽を続けることは決してできない。
ちょっと油断すると、左手が何かのコードを安易に押さえてしまったりして、そうするともうその一瞬で自分の気持ちが萎えてしまうのだ。
音楽がそれまでの必然的なエネルギーの流れを失ってしまったことを、自分が明確に感じとるからである。
(まるで、素直な心を持っている間は魔法が使えたのに、傲慢な心を持った途端にその力を失ってしまった、というおとぎ話みたいだ。)
常にその瞬間瞬間に耳を澄まし、何にもとらわれることなく自分をオープンに保つことができれば、やがて終わるべき瞬間を、まさにその瞬間に感じとることができる。

いわゆる「フリー・ジャズ」のイメージとは、たぶん少し違うだろう。
「フリー」というカテゴリーが示す多くの音楽も、言ってみれば一つの方法論であり、一つのコンセプトだ。
既知のフォームなりメロディーなり、あるいは何らかの概念から離れようとすることは、それはそれで一つのベクトルを持つことになる。

いまここでやろうとしていることは、その刹那刹那に耳を澄ます、ということであって、それだけである。
だから、最初にある種のベクトルを設定することもしない。
結果として音楽が、ありふれた平凡なもの(例えばごく普通のコード進行を持ったポップスのようなもの)になっても構わない。
何か新しい視点を獲得したものであったり、既成概念に異を唱えたりするものである必要は何もない。
それに、技術的に高度なものである必要もない。
あとからそれを譜面に起こしてみたらまるで楽器の初心者でも弾けるような、簡単でシンプルな音楽になっても良い。
きたない音楽になっても良いし、美しい音楽になっても良い。

自分がその瞬間を深く感じとって、それに従ってリアルタイムに完結させた音楽であれば、そういう自覚に確信が持てれば、結果はすべて受け入れる。

というような考えのもとにやってみたソロ・パフォーマンスの録音がこれである。

ファイルは一つだが、この中に4テイクのインプロビゼーションが含まれている。
この4テイクはほんの20分ほどの間に立て続けに弾いた録音なので、全体としてひとつの共通するムードみたいなものが感じられる、ように思う。
ピアノの調律は大分バランス悪いが、それも含んだ上での自由即興演奏である。

日頃、私の仕事フィールドでは「即興で完全に無制約で音楽をクリエイトする」ということは基本的にはない。
「アドリブ」と言っても、かならず何かしらの制約、言い換えれば「沿うべきガイドライン」がある。
テンポとかコード進行など音楽の構造上の制約・ガイドラインもあるし、TPO上の制約(たとえばホテルのラウンジで演奏する場合の求められる節度とか)がある場合もある。(ラウンジのソロピアノで肘打ちする時は極めてソフトに美しく響かせ、お客さまがびっくりしないよう心がけている。)
私が参加しているバンドのひとつ「BANDO-BAND」のライブでは、アストル・ピアソラの「ロコへのバラード」を演奏する際、そのイントロでピアノのフリーソロを任せられる。
しかしそこでは「暑い炎天下のブエノスアイレスの町中、頭にメロンの皮をかぶった気の狂った男がフラフラと歩いてくる様子」を描写するというガイドラインがあるし、そのフリーソロの終わりはイ短調で3拍子を提示してテーマへの導入を果たす、ということが予定されている。(でもそれ以外にはフリーなので、極めて高い集中力とモチベーションを必要とする。)

ガイドラインに沿うことは「それに如何に沿うか、どう美しく沿うか(または如何に外れるか)」という難しさ、奥深さがあるが、道や方角が示されているという点では安心感があり、ラクチンだという面がある。
それは裏を返せば、例えばコード進行やリズムをはじめとする何らかの制約・ガイドライン・手がかりがある音楽は、それに上手に沿うことができただけで一定の達成感を得てしまい、真に耳を澄ましていなくてもそれなりに形になってしまう危険性を孕んでいる、ということでもある。
小手先だけの音楽にならないように日々気をつけなくてはいけない。
(・・と自分を戒めているのである。)

完全に自由なインプロビゼーションでは、本当に意識が研ぎ澄まされていないとまったく形にすることができない。
集中せず意識が高まっていない状態でテキトーに自由にやろうとしても、それこそすぐにバカバカしくてそれを続けられなくなってしまうだろう。それは自分の出した音に何の必然性も感じられないからである。
「自由に」と言っても、「何でもアリで、テキトーにやればいい」というのではない。正反対である。
一切の制約も目的も設けずに、自分自身のアンテナをフル稼働してその空間と瞬間をキャッチしながら、あくまでも自然体でその入力に瞬時に反応していくというプロセスは、簡単なようで意外と難しい。

だから、こういうこと(無制約の即興演奏)を試してみることは、私にとって意味のある訓練になる。
実際、これを毎日いつでもパッとできるかというと、意外となかなかできないものである。
その証拠に、ここにアップした録音は数日前のものであるが、今日またやろうとしても、どうしても集中力が高まらず何もクリエイトできなかった・・。
そしてそれは、べつにぜんぜん珍しいことではない。
ひとえに、私に精神修行が足りない故であろう。
ともかく、あせらず、マイペースで精進すべし、と。

そういうわけで、録音はその時の一期一会のパフォーマンスとして日記に残しておく。
パフォーマンスのクオリティはともかくとして、本当に白紙状態から一瞬先は未知という状態で弾いているので、録音を聞き返してみると自分でも「ほほう、そう来たか、面白いね」というふうに他人事のように聴けて、けっこう楽しめる。

ところで、つい先日のログ(新郎当てクイズのピアニスト版)では「テキトーに構えることの大切さ」について考察したばかりだが、たぶん、大局においてはテキトーに、細部すなわち一瞬一瞬のできごとには極限まで意識を研ぎすます、という姿勢が大切なのではないか。
と、今思った。

(以上、ログ「音楽を深く感じるために」より全文転載)

これの関連ログ(2010年6月10日)もご紹介しておきます。
自由さの濃淡(今回の映像の説明は、このログ内でもしてました)


by りき哉



記事へコメントくださる方へ

2011年8月26日 (金)

ピアノで織りなす岩手県民謡「釜石浜唄」

「一粒のちから(東北地方の民謡に和声を付けることで復興の力になれたらうれしい)プロジェクト」の第四弾です。

消えてしまった風景を呼び戻すために。復興を祈る私たち一人一人の想いに、この音楽が少しでも寄り添うことができたなら幸いです。

日本の民謡はもともと和声(という概念)を持たない音楽ですが、そこにピアノによるハーモニーを加え、受け継いできた伝統と文化を大切にしながら、新たな解釈とともにアレンジ・演奏しました。

この唄は、三陸漁業の水揚港として、また明治時代からは日本の製鉄業発祥の地として急速に繁栄した釜石の、沢村遊郭に生まれたお座敷唄です。
歌詞は大正初めに尾崎神社の宮司・山本茗次郎が改作したと伝えられ、花柳界に広く歌われるようになった俗曲風の民謡として貴重な存在となっています。

唄に出てくる尾崎神社は、奥の院が尾崎半島の先端に鎮座し、この地の海・漁業の守り神として、古く鎌倉期より以前から祀られてきました。


岩手県民謡「釜石浜唄」

奥で名高い 釜石浦は
いつも大漁で 繁昌する

おらが看板 朝日にかもめ
波にくじらの 浮く姿

時化を覚悟の 荒灘かせぎ
肌の守りは 尾崎神社(おざきさま)

(歌詞の注釈を本記事の末尾に記載しています)

故郷を想う気持ちは、未来へ向かう私たちの大きな力になると信じています。
この地で育まれてきた唄を後世へ伝えていくこと。
その力のささやかな一粒になれればと願っています。


この動画の演奏者
 美鵬成る駒(唄)
 佐藤錦水 (篠笛)
 中村力哉 (和声付け・ピアノ・鍵盤ハーモニカ)

2011年8月14日 東京 Hocola Studio にて録音

動画の背景写真:
2011年4月、東京にて。
PENTAX LX + planar 50/1.4 + 400TMAX (self development)


[歌詞注釈]

一番の歌詞の「奥」は、資料によっては「奥州」と書いて「おく」と読ませているものもあります。
尾崎神社の宮司・佐々木裕基氏からは、これは「奥州」という意味ではなく、尾崎神社の奥宮のことを指している可能性が高いのではないか、とのお話もありました。


二番の歌詞の「看板」は、資料によっては「印伴纏」「印伴天」などの表記や、「甲板」と書いて「かんばん」と読ませているものも見受けられます。
「甲板」は恐らく、「看板」の誤りかと思われますが、これも定かではありません。

三番の歌詞の「尾崎神社(おざきさま)」または「尾崎様」は、ほかに「お崎様」の表記も見られますが、「崎」とは「海に突き出た土地」で、「海に突き出た場所には、海の神 が宿っている」という信仰が広くあるので、いずれにしても、この地の海の守り神である尾崎神社のことを唄っていると解釈できると思います。


[追記]

当プロジェクトの唄を、以下にまとめてあります。

ピアノで織りなす東北民謡~Pray for Japan~

その他の公開済みの唄
Pray for Japan ピアノで織りなす福島県民謡「相馬二遍返し」
Pray for Japan ピアノで織りなす宮城県民謡「十三浜甚句」
Pray for Japan ピアノで織りなす茨城県民謡「網のし唄」


【追記】(2015.11.30~)
● 温かなメッセージをたくさん頂きまして、2015年秋、CDアルバムの形にしました。
 詳細はこちら

● アレンジ(和声付け)について、少し言葉にしました。
伝承と創出のあわいに

● 当プロジェクトのwebsiteを作りました。(12/20)
 awaibito.com


by りき哉


2011年7月 8日 (金)

ピアノで織りなす茨城県民謡「網のし唄」

「東北地方の民謡に和声を付けることで復興の力になれたらうれしいプロジェクト」(仮名称)の第三弾です。

復興を祈る私たち一人一人の想いに、この音楽が少しでも寄り添うことができたなら幸いです。

日本の民謡はもともと和声(という概念)を持たない音楽ですが、そこにピアノによるハーモニーを加え、受け継いできた伝統と文化を大切にしながら、新たな解釈とともにアレンジ・演奏しました。


茨城県民謡「網のし唄」

沖の瀬の瀬で どんと打つ波は
みんな貴方の アレサ 度胸定め

ハァ 延せや延せ延せ 大目の目延し
延せば延すほど アレサ 目が締まる

ハァ 一丈五尺の 艪を押す腕に
濡れて花咲く アレサ 波しぶき

船は新造で 船頭さんは若い
大漁させたや アレサ お船さま

沖でちらちら アラ 灯が見える
あれは平磯の アレサ さんま船

以上は、この演奏で唄っている歌詞です。
(他にもいろいろな歌詞があります)


大目網はマグロの流し網漁に使う目の粗い網で、昔、これを編むときには網を濡らしてから十人くらいで引っ張り合い、目を締めたのだそうです。
三陸一帯の漁師たちの酒席の騒ぎ唄であった、艪をこぎながら唄う「舟甚句」や「浜甚句」が次第に南下して伝わり、茨城県の三浜(さんぴん:那珂湊、平磯、大洗)の漁師たちの間で、大目網を締めるときに唄われるようになった唄が、この「網のし唄」だということです。


この地で育まれてきた唄を後世へ伝えていくこと。
その力のささやかな一粒になれればと願っています。

この動画の演奏者
 美鵬成る駒(唄・太鼓)
 佐藤錦水 (尺八・篠笛・唄囃子)
 中村力哉 (和声付け・ピアノ・タブラ・唄囃子)

2011年6月30日 東京 Hocola Studio にて録音

(ちなみに動画の絵は、この音楽のバックグラウンド画として自分で描きました。絵を描く習慣も趣味も持ち合わせておらず、誠に稚拙でお恥ずかしい限りですが、「気は心」ということで・・。
2011年7月6日 26×34cm クレヨン)


このシリーズの第一弾
福島県民謡「相馬二遍返し」

シリーズ第二弾
宮城県民謡「十三浜甚句」

震災直後に祈りを込めて弾いた「朧月夜」
今できること (朧月夜/ソロピアノ)




【追記】(2015.11.30~)
● 温かなメッセージをたくさん頂きまして、2015年秋、CDアルバムの形にしました。
 詳細はこちら

● アレンジ(和声付け)について、少し言葉にしました。
伝承と創出のあわいに

● 当プロジェクトのwebsiteを作りました。(12/20)
 awaibito.com


by りき哉



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2011年6月 8日 (水)

ピアノで織りなす宮城県民謡「十三浜甚句」

「東北地方の民謡に和声を付けることで復興の力になれたらうれしいプロジェクト」(仮名称)の第二弾です。

消えてしまった風景を呼び戻すために。
復興を祈る私たち一人一人の想いに、この音楽が少しでも寄り添うことができたなら幸いです。

日本の民謡はもともと和声(という概念)を持たない単旋律ですが、そこにピアノによるハーモニーを加え、受け継いできた伝統と文化を大切にしながら、新たな解釈とともにアレンジ・演奏しました。


「十三浜甚句」は宮城県石巻市の十三浜地方に伝わる唄です。
漁師たちの酒席の騒ぎ唄として唄われてきました。


宮城県民謡「十三浜甚句」

ソリャ 一つ歌うちゃ ハァ 遠慮もするが
歌い始まりゃ オヤサ 幕ひかぬ

ソリャ なんと吹く風 ハァ 昨日今日で二日
明日の入り船 オヤサ 気にかかる

ソリャ そばにも寄られぬ ハァ バラ株さえも
さわりたいよな オヤサ 花が咲く

ソリャ 一つ歌います ハァ 十三浜甚句
地なし節なし オヤサ ところ節

以上がこの動画で唄っている歌詞ですが、もう一つ歌詞をご紹介しておきます。

ソリャ 浜でなんだれ ハァ 手拭帯に
いつも大漁か オヤサ 締めどおし


動画に貼った写真は十三浜の海の風景です。

写真はこの動画作成にあたり、北上町十三浜の隣町、南三陸町にお住まいの佐藤秀昭氏から快くご提供いただきました。
「十三浜は北上川の河口でもあり、私の大好きな風景が広がる良い所です。海から川へと織りなす美しい風景は誰しもの心を安堵感へと導きます」と、佐藤氏はメールで語ってくださいました。
「しかしこの震災ですべてが消えてしまいました」とも。

佐藤氏はご家族とともに幸運にも生き延びることができました。
震災後も更新している佐藤氏のブログをご紹介します。
南三陸 海 山 川!

そして震災後に初めて投稿された4月15日のログもご紹介しておきます。
http://blog.goo.ne.jp/hiderinn_s/m/201104/1


故郷を想う気持ちは、未来へ向かう私たちの大きな力になると信じています。
この地で育まれてきた唄を後世へ伝えていくこと。
その力のささやかな一粒になれればと願っています。


この動画の演奏者
 美鵬成る駒(唄・三味線・当り鉦)
 佐藤公美 (太鼓・唄囃子)
 佐藤錦水 (尺八)
 中村力哉 (和声付け・編曲・ピアノ・ローズピアノ・タブラ・カシシ等)

2011年5月 東京 Hocola Studio にて録音


次回は茨城県の民謡「網のし唄」をお届けしようと思っています。


このシリーズの第一弾
ピアノで織りなす福島県民謡「相馬二遍返し」

シリーズ第三弾
ピアノで織りなす茨城県民謡「網のし唄」

震災直後に祈りを込めて弾いた「朧月夜」
今できること (朧月夜/ソロピアノ)


【追記】(2015.11.30~)
● 温かなメッセージをたくさん頂きまして、2015年秋、CDアルバムの形にしました。
 詳細はこちら

● アレンジ(和声付け)について、少し言葉にしました。
伝承と創出のあわいに

● 当プロジェクトのwebsiteを作りました。(12/20)
 awaibito.com


by りき哉



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