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2025年1月 7日 (火)

「わかる」と「わからない」のあいだ(全文)

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※ 本稿には折々に新たな断章を足していこうと思っています。


【目次】
(各リンクは単独記事として別ページに飛びます。全文はこのページを下へ)

【0】 はじめに

【1】 理解と感嘆

【2】 虚数とピーマン

【3】「1+1=2」という神秘

【4】(以下、雑多に展開予定)

 


【0】はじめに

時に、深遠な問いがふと素朴なものに感じられたり、素朴な問いの奥深さに思い至って呆然としたりする。
あらゆる問いは、素朴かつ深遠であるのかもしれない。

1+1 は 2 である。
だが私は「1+1=2」を、いったいどこまでわかっていただろう。
どれほど「当たり前」と思えることでも、というより、それが「当たり前」であればあるほど、「なぜ当たり前なのか」は言葉の彼方に溶けてゆく。

「わかる」とはいったい何か。
そもそも人は、「“わかる”とは何か」をわかることはできるのだろうか。
(できないと思われる)

対象の中に入ってわかること。
対象の外へ出てわかること。

一瞬にしてわかること。
年月をかけてわかること。

詩がわかること。
数式がわかること。
人の悲しみがわかること。
竹馬の乗り方がわかること。

「わかる」と「わからない」のあいだで、日々いろいろな光景に出会う。

その断片を折々に書き残してみようかと、最近思い立った。
小さな断片を重ねることで現れてくる何かしらも、無いとは限らない。

 

(photo: 2024年秋 近所の公園で)



【1】理解と感嘆

「素数」という数を教わったのは小学校の5年生くらいの頃だったろうか。
いわく、「1より大きい自然数のうち、1と自分自身以外に約数を持たない数」と。

2, 3, 5, 7, 11, 13, 17, 19・・・

なるほど。たとえば6という数は1と6以外に2でも3でも割り切れるが、7は1と7以外に割り切れる数がない。こういうのを素数というのか。

べつに難しい話ではない。なんの疑問もなかった。
それゆえ、特に何も思うこともなかった。
それは、単に、ある性質を持った数に名前が与えられたに過ぎなかった。
いや、いま思い返せば、「なぜその性質をことさらに取り上げて名づけるのか」という疑問は感じたはずだったのだが、疑問は育つことのないまま、私は「素数」なるものを、教わった説明そのままに「わかった」と思ったのだった。そして、その後に中学生になって「素因数分解」を教わっても、素数に対して思うものは何も芽生えなかった。
もし迂闊でなかったなら、この「素因数分解」を知ったときに多少なりの閃きがあったに違いない。

中学校では物質が原子から成り立っていることも教わった。なぜそこで「素数」を思い起こさなかったのかと、今は思う。
「物質の成り立ち」の話が「数の成り立ち」の話へとリンクする契機を見逃したまま、やがて私は大人になり、たとえば「史上最大の素数が発見されました」とのニュースに触れても、そこで素数なる概念をあらためて反芻することはなかった。


息子が生まれ、彼が小学校4年生くらいの頃だったろうか。
私は彼に「素数」を説明した。

「1より大きい自然数のうち、1と自分自身のほかでは割りきれない数を、素数っていうんだよ」

そのとき、ふと思ったのだ。
そして口をついて出た。

「まるで、数の原子みたいだね」

自分で説明しながら、自分の説明にハッとした。
素数って、数の原子みたいだ。個々の素数は、切り分けることのできない、ひとつのかたまりなんだ。水の分子が水素原子ふたつと酸素原子ひとつとからできているように、28という数は2という素数ふたつと7という素数ひとつとが掛け合わされてできている。
素数は、素数は、素数は・・・、「数の原子」だ!

初めて「素数」を教わった頃の光景が思い浮かぶ。
田んぼでザリガニを捕った夏。野原で凧をあげた冬。駄菓子屋で買ったコマやメンコを友だちとぶつけ合った日々。
あれから40年近くの月日が経っている。いろんなことがあった。

もしかすると、学校の先生も、そして教科書や参考書も、「素数」という概念をさまざまな喩え話をもって説明してくれていたのかもしれない。原子と分子の関係に倣った喩えも、きっとその中にあったろう。私は自分の迂闊さを反省する。

素数の定義を「理解」できていなかったわけではない。その定義に「感じ入る」ことがなかったに過ぎない。
けれども、何かが「わかる」とは、こういうことなのだ。
それは深い感嘆を伴う。
それは他者から与えられるものではなく、必然の刹那におのずから生まれてくる。


補記:素数の定義の先に広がる果ての見えない奥行き(への感嘆)についても、いずれまた機会があればと。



【2】 虚数とピーマン

「虚数」という数を高校で教わったとき、私はそれを得体の知れない、とても気持ち悪いものに感じた。
虚数単位「i」とは、二乗して「-1」になる数だという。

先生の説明に、「えーっ!」「そんな数ないじゃん?」と教室中がどよめいた。中学校で習った話では、マイナスとマイナスを掛ければプラスになるのであり、つまりどんな数も二乗すれば「正の数」になるはずだ。二乗してマイナスになるとは、いったいどういうことだ。そんな数はあり得ないはずだ。
先生は笑いながら「そういう数があると想定するんだよ」と言った。「想像するんだよ」とも言ったかもしれない。

なるほど。そのように「想定」あるいは「想像」するんだな。それで、それを想定することによって何か先に進めたい話があるのだろう。ではひとまず、その話とやらを聞いてみようか。
私は、先生の説明を受け入れる心積もりをした。しかし、それから幾度と授業やテストを受けても、「虚数」に対する心情的な受け入れ難さを拭うことはついにできなかった。
子どもが大人に「食べないと大きくなれないよ」と言われて嫌いなピーマンを息を止めて頑張って飲み込むみたいに、虚数を含んだ計算をする度に、それを「えい」と飲み込んだ。

けれども不思議なもので、嫌いなものも、自分の成長につれてか、いつしか好きなものに転じることがある。
子どものときには苦手だったミョウガが、大人になるとおいしく感じられる。
子どものときにはサビ抜きで食べていたお刺身にも、大人になるとワサビは必須となる。

苦手だったピーマンや玉ねぎを私が好きになったのは、たぶん小学校2年か3年生くらいのときだ。それはある日突然の出来事だった。

その日、私は大人に連れられて都内のどこかの初めての定食屋さんに入った。

「野菜天ぷら定食おいしそうだな。お前もこれでいいな?」

そう言われて、躊躇しながらも「うん」と応えて不安とともに待っていると、運ばれてきた定食の天ぷらは本当に野菜ばかりで、その中にはピーマンの天ぷらと玉ねぎの天ぷらがあった。観念して息を止めるようにしてピーマンの天ぷらを口に入れたときだ。衝撃が走った。おいしい!ピーマンなのに、ピーマンであるにもかかわらず、なんだこのおいしさは。あっけにとられながらこわごわ次に口に入れた玉ねぎの天ぷらは、さらにおいしかった。

その日以来、天ぷらといえばピーマンと玉ねぎが何よりも(海老よりも)好物になった。天ぷらでなくてもいい。どんな料理であれ、ピーマンも玉ねぎもおいしいと感じるようになった。その定食屋の薄暗かった店内の光景は、50年近くを経た今でも(その天ぷらのおいしさとともに)深く記憶に残っている。

「野菜てんぷら事件」の一方、ミョウガやワサビは、いつそれがおいしいと感じられるようになったのか定かではない。ラッキョウもそうだ。いつの間にか、おいしいと感じるようになっていた。
キャベツが好きになった日のことも忘れ難いのだが、長くなるからまたいずれの機会に譲ろう。

私にとって「虚数」は、これらと似ている。
高校・大学生だった頃には気持ち悪かった虚数も、長い年月を経るうちにいつの間にか、その違和感は和らぎ、今はむしろとても味わい深い存在に感じられる。

「ピーマンと虚数は違う」という人がいるかもしれない。「ピーマンは物体として実在するが、虚数は想像上の概念であって非実在だ」と。「味覚は身体で感じる。しかし想像は脳が生み出す」と。

そう。私もきっとそう感じていたのだ、高校生の頃は。
先生は「そういう数があると想像するんだよ」と言ったが、この説明の仕方が、今から思えばうまくなかったと思う。
たしかに、「虚数」は英語で「imaginary number」であり、「虚ろな数」であると名づけられている。

しかし、すでに馴染んでいた「実数」も、たとえば「負の数」も、人は「そういう数があると想像した」のではなかったか。虚数が想像上の数だというならば、「-0.7」だとか「円周率π」だとか、そればかりか「0」も「1」さえも、すべての数は想像上の産物ではないか。
リンゴが目の前に三つある。このとき、三つのリンゴのひとつひとつは「実在」しているが、「3」という「数」はどこにも「実在」していない。「3」という数は想像上の概念でしかない。「虚数」もそれと同じことに過ぎない。

つまり、「実数は実際にある数であり、虚数は実際にはない想像上の数である」として分けた、その境界線そのものが虚構であり妄念であったということだ。
人は想像するちからによって「数の世界」を拓いてきた。
虚数も実数も「数」という概念のなかにある。それだけのことだ。

この境地に至ることを、もしかすると(一種の)悟りと言うのかもしれない。
自分を縛っていた違和感が消えることは、「わかる」ということのひとつの現れであろうと思う。

「虚数」の周りに立ちこめていた霧が晴れると、私の立っている「複素平面」は見渡す限りの彼方まで柔らかな陽が降り注いでいた。そよ風が花々をゆらし、湖面で光る波間に水鳥たちがくつろいでいる。

だが、あの霧は、いったいいつのまに雲散していたのだろうか。ふと気づけば晴れていた。
虚数に対して私の中に生じていた変化は、「理解」ではなく「心象」だ。それは言葉の領域から出た「体感」だ。

「ピーマンのおいしさがわかる」とは、「ピーマンをおいしいと感じる」ことにほかならない。自分がおいしいと感じずに「おいしさがわかる」ということはない。
体験は他者に代わってもらうことはできない。それを感じるのは自分であり、唯一無二のそれは、ゆずることも、分かち合うこともできない。

言葉が無力だと言いたいのではない。
「わかる」とは「分かる」、すなわち物事を「分ける」ことであるとも言われる。連続する世界を、言葉が切り分ける。人は、物事を分けることで世界を「理解」し、言葉によって文明を築いてきた。
言葉と概念が一体として生じるものであるならば、音楽もまた(詞を伴わない純粋音楽であっても)言葉と無縁には生まれ得ないだろう。
いま私が生きている民主主義社会の根幹は、言葉だ。

ただ、言葉が拓く世界や可能性を肯定し言祝ぐその一方で思う。
(ピーマンやミョウガのおいしさだけでなく)「素数」や「虚数」のような論理的な概念でさえ、それに心から馴染むことができるためには、言葉の領域から溢れた「何か」との邂逅が必要なのだ。

その「何か」は、あるとき突然に現れることもあるし、風が雲をゆっくりと押し流すように気づかないうちに現れていることもある。
いずれであれ、自己のさまざまな体験と情動の重なり合いの中に、それは芽吹くのだろう。


補記:これまでに重なり合った「さまざまな体験と情動」とは具体的に何か。上記まで書いて思い浮かんだその幾つかを、近々に書き残してみたい。




【3】「1+1=2」という神秘

かつて音楽は、演奏されるその場でその瞬間に生まれて消えるものであった。蓄音機の発明がもたらしたことの大きさを思わずにいられない。

小学校の何年生の頃だったろうか、トーマス・エジソンの伝記を読んだ。その中に、幼少時のエジソンが大人たちに「どうして1たす1は2なの?」と訊いてまわるエピソードがあった。大人たちは皆「そんなこともわからないなんて、バカな子どもだ」と思ったという。
エジソン少年がのちに蓄音機を発明することを知っていた私も、やはりこの疑問は何が疑問なのかわからず、「エジソンも子どもの頃はバカだったのか」くらいに思ったように記憶している。

エジソン少年が抱いていた疑問、その問いの深さに私が思い至ることができたのは、つい最近、この十年ほどのことだ。
息子に「素数」を説明する中でその概念に初めて感じ入り、「虚数」に抱いていた違和感がいつしか散じて消え、素数や虚数が「わかった」ことにより、今までわかっていた「1+1=2」がわからなくなった。

たとえばオイラーの等式(e^iπ =-1)を思う。
この等式に至るまでの道筋は、高校数学までの知識があれば辿ってゆくことができる。しかし、ひとつひとつの理路を確かに辿った先に遂にこの等式へと至ると、その光景の神秘性に心を奪われ、呆然と立ち尽くしてしまう。出自を異にしていたはずのネイピア数と円周率と虚数単位のこれほどシンプルで美しい関係が、いったいどこに潜んでいたのか。どれほど言葉を尽くしてもこの感慨は語り得ない。

さて、このオイラーの等式に見入りながら私は思うのだ。
かくも美しく深遠な数式も、ここへ至った道筋を振り返って源流を辿ると「1+1=2」に行き着く。ここから自然数が生まれ、実数そして複素数へと数の世界が広がったのではなかったか。「かけ算」は単に同じ「たし算」の繰り返しに過ぎなかったはずだ。「わり算」はその逆算に過ぎなかったはずだ。小学一年生で学んだ「たし算」の先に、オイラーの等式に至るまでの道は続いていた。しかも、この遥か先までもずっと続いているらしい。

今の私には、「1+1=2」は神秘と感じられる。
「1+1=2」こそ神秘だ。

おそらく小学一年生くらいだったろうエジソン少年の境地に至るのに私は50年近くの歳月を要したが、ともかく至ることができたとすれば何よりである。


補記(蛇足):
「1+1=2」の意味を問うことは「数とは何か」を問うに等しい。「数とは何か」というのは「数は人間による発明なのか、それとも発見なのか」と言い換えてもよい。それは「論理とは何か」と問うに等しく、「存在」の謎へと重なる。


断章4へつづく(ことでしょう)




by りき哉

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