「わかる」と「わからない」のあいだ
【0】 はじめに (独り言)
時に、深遠な問いがふと素朴なものに感じられたり、素朴な問いの奥深さに思い至って呆然としたりする。
あらゆる問いは、素朴かつ深遠であるのかもしれない。
1+1 は 2 である。
だが私は「1+1=2」を、いったいどこまでわかっていただろう。
どれほど「当たり前」と思えることでも、というより、それが「当たり前」であればあるほど、「なぜ当たり前なのか」は言葉の彼方に溶けてゆく。
「わかる」とはいったい何か。
そもそも人は、「“わかる”とは何か」をわかることはできるのだろうか。
(できないと思われる)
対象の中に入ってわかること。
対象の外へ出てわかること。
一瞬にしてわかること。
年月をかけてわかること。
詩がわかること。
数式がわかること。
人の悲しみがわかること。
竹馬の乗り方がわかること。
「わかる」と「わからない」のあいだで、日々いろいろな光景に出会う。
その断片を折々に書き残してみようかと、最近思い立った。
小さな断片を重ねることで現れてくる何かしらも、無いとは限らない。
目次(本稿はこの先、以下のように展開していく予定です)
0. はじめに(上記です)
1. 理解と感嘆(近日公開予定)
2. 虚数とピーマン(近日公開予定)
3. 式と数のあいだ(近日公開予定)
4. ・・・ (以下、雑多に展開予定)
photo:
昼と夜のあいだ。(富士山の姿もくっきり)
2022年秋、横浜の洋上から iPhone で撮影。
by りき哉
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