伝承と創出のあわいに(民謡のアレンジについて)
新たなものを付加することによって失われるものもある。
そして、その失われるものこそが、それにとって本当に大切なものであるかもしれない。
日本の民謡をピアノの響きで包むことには、だから、常に大きな畏れがあります。
今回はその畏れについて、つまり「 ひと粒のちから:ピアノで織りなす東北民謡」(あわいびと)のアレンジについて、少し言葉にしておきたいと思います。
● 「ピアノで織りなす」の意味について
ひと粒のちからプロジェクトとしてYouTubeにアップした音楽のタイトルには、いずれも「ピアノで織りなす○○県民謡」と謳いました。
この「ピアノで織りなす」というキャッチフレーズですが、実はこれは「ピアノで奏でる」という意味ではありません。
では、どういう意味なのか。
メロディとハーモニーとリズムをもって「音楽の三要素」とする捉え方があります。その捉え方は、音楽における「無数にあるであろうモノサシの中のひとつ」に過ぎませんが、今日広く共有されているそのモノサシを当てるならば、日本の民謡は「ハーモニー(和声)という概念を持たない音楽」だと言えます。
その日本の民謡を、和声音楽の新たな響きに包むこと。
ひと粒のちからプロジェクトは、そこに音楽的な趣意を置いて始まりました。
つまり、ここで「ピアノ」は、必ずしもピアノのことではなく、「近代西洋音楽に生まれた(12平均律における)和声」の代名詞・象徴として使っています。
ピアノの代わりに(和声が表現できれば)他のどんな楽器で演奏しても成立するように、「和声音楽の世界像が日本の民謡を豊かに広げてゆく可能性」を求めて、その趣旨を「ピアノで織りなす」という言葉に込めました。
● 「その唄本来の姿を変えない」ということについて
音楽のアレンジには無数のベクトルがあり、たとえば「原曲を解体し、再構築していくアレンジ」も、音楽のとても意義深い営みだと思います。
一方、ひと粒のちからプロジェクトでは、民謡への和声付けの際に「その唄の本来の姿を大切にしたい」と考えています。
土地に根差して受け継がれてきた唄のかたちを、西洋音楽の美的観点によって変えてしまわない。
音楽から和声を取り外せば、その唄の古来の姿が立ち現れるように。
その上でその唄が新たに豊かに広がってゆくこと。
いつでも唄の原形を取り出せるかたちで、「日本各地の民のうた」と「(ピアノに象徴される)和声音楽の美」との両立を図りたい。
そして、両立したその「二つの世界のあわい(間)」に様々な交流が生まれたら。
そんなふうに願っています。
【参考】
・「その唄本来の姿を変えずに、ただ和声を付ける」ということの最たる例がこちらで試聴できます↓
山形民謡とピアノ (2007/11/29)
・関連ログ:音楽の何に曲名をつけるのか
※ このテーマについてはまだまだ言葉足らずなので、追々、稿を重ねたいと思ってます。
● 追記(2015.12.08)
あわいびと Official Website オープンしました。
awaibito.com
by りき哉
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