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2015年7月19日 (日)

たわいない呟き2014〜

たわいない呟き2013の続編です。

日々の呟き(2014年1月から2015年3月まで)の中から、備忘録として。


【2014.1.9】
無ければ無いで別の道が開けるであろうけどあった方が断然いいもの。あった方が断然いいけど無ければ無いで別の道が開けるであろうもの。どちら側から捉えるのか。家を出てから忘れ物に気付き、取りに戻っても間に合うかどうかの瀬戸際に立った時に、生き方が問われる(ことがある)。


【2014.1.18】
「(道の)むこっかた」という言葉はあまりにも普通に無意識に使ってたから、「あ、リッキーも『むこっかた』って言う?」と友人から訊かれても何を訊かれたのか直ぐに理解できなかった。以前に「『かた』って何?」と奥さんに訊かれたとのこと。・・あ、方言なの?これ。・・むこっかた、むこっかた・・。

承前。「かた」は「方」の意に決まってるじゃないか、と咄嗟に思ったのだけど、よく考えたらそれは違うような。「側(がわ)」が訛ったもの?「むこ(う)っかた」も「むこ(う)っかわ」も普通に言うけど「むこっかし」は自分の口からは出てこないな。(参考:むこっかた


【2014.1.19】
対象を鋭く厳しく見極めることと、柔軟に大らかに捉えることは、どちらも大切。しかし前者については「審美眼が研ぎ澄まされているのか、あるいは単に枝葉末節を気にし過ぎなのか」に悩み、後者については「大局観に立っているのか、単に観察が雑なのか」に悩む。(この右往左往は一生続くのだろうか)


【2014.1.24】
宇宙人と出会い、彼の星のAという曲とBという曲を教わる。確認のためAのメロディを私が弾いて「これは何と言う曲ですか」と訊くと彼は「Aだ」と答え、今度はBのメロディを弾いて曲名を訊くと「それもAだ」と答える。そこで再びAのメロディを弾いて曲名を訊くと今度は「Bだ」と言う。

彼にAとBを何度も演奏してもらったり、キーを変えてみたり、質問の仕方をあれこれ試しても、彼の答えに一貫性がまるで見えない。一体どういうことなのか、こちらは混乱を極める。

言葉を尽くし、散々やりとりをして判明したことは、彼の星ではメロディに曲名が付いているのではなく、音の強弱の組み合わせに(音の高低の時間的変化とは無関係に)曲名が付いていたのだった。・・という、例えばそういうようなこと、つまり、概念(この場合は「曲」の概念)がお互いに違っていてびっくり・・というような出来事が、今日ありました。

そういうわけで、異なる文化を相互に理解することの困難性と重要性を深く再認識した次第です(が、今の喩え話が今日の出来事をそれなりに正しく表現できているのか、私はまだ暫く悩まないといけません。というか、もっと自分の中で明確にしたい)。(一先ず了)


【2014.1.29】
これを許容して良いのか。と、ある一点について悩み始めると、今まで気にならなかった他のあちこちも気になり始めて、至近で凝視したり、深呼吸して俯瞰したり、お茶を飲んだり、部屋を歩き回ったりするのだが、さっきまで見えていた風景が急に色褪せて記憶の下層へ沈んでいくよう。


【2014.5.5】
それは弱さなのか、柔らかさなのか。


【2014.6.1】
行きつけのラーメン屋さんの壁に並んでいる芸能人のサイン色紙を眺めていたら、ある色紙の中に「おいしくてあたりまえ!!」という一文が添えられていて、その一言の解釈に悩んだ。店を叱咤しているのか、戒めているのか、それとも賞賛しているのか?あるいは個人的な信条を語っただけなのか。

前後の文脈が何もない中に突如としてただ「おいしくてあたりまえ!」とだけ放つ言葉が他者に与え得る意味や印象の幅に、このサインをした人は無自覚過ぎなんじゃないだろうか、ということを考えながら食べるラーメンの味はいつもより少し煮干しの風味が薄い感じがした。今日も夏日。


【2014.7.5】
自信に満ちた力強い言葉でなく、立ち止まって迷いながらそっと足を踏み出そうとする友人の姿に心動かされ、勇気づけられることってありますね。


【2014.7.27】
我が子を、家族を、友人を、思う心に「国境」はないと思う。音楽が人類に対して持ち得ている意味にも。


【2014.12.11】
一つ一つの小さな変化に気を留めることなく、何となく今までの日常がこれからも続いていくだろうと思っているうちに、気付いたときには取り返しがつかなくなっている・・ということって多いよな。無形の大切なものを失うときは、大抵そうだ。
(尤も、いま起こっている変化が「小さい」とも「ゆっくり」とも決して思わないけれど。楽観的で暢気で間抜けなこの私でも気付けたくらいなのだから)


【2015.1.31】
緑道の植え込みにはまだ雪が薄く残っていて、冷たい空気が気持ち良くて、年が明けてからのこのひと月を振り返りながら空に携帯カメラを向けていたら、いつの間にか足元に寄ってきていた猫にニャーって話しかけられた。

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【2015.3.1】
形式化することで残すことができる。一方、それにより失われるものがある。形式化を捨象と捉えるか、抽象と捉えるか。
形式主義に陥らず、形式を畏怖する。抽象されたものを見つめ、捨象されたものを想像する。


【2015.3.8】
「観察」とは対象の実態を知るために注意深く見ること、と辞書にある。人が主に視覚によって対象を知ろうとすることを「観察」というのであれば、同様の聴覚バージョンの言葉が欲しいのだが、何かないだろうか。対象を深く知るために注意深く聴くことを「観察」とは言わないように思う。

承前。未知の音楽をそのリズムや音律などの構造から文化的な文脈も含めて分析的に聴く行為は、「鑑賞」とは全く違う。かといって「研究」「分析」「解剖」といった言葉では「聴く」という行為にスポットを当てることができない。聴くという行為に焦点を当てた上で分析することを意味する熟語が欲しい。

(補記。「観察」との対応で思いつく「聴察」という言葉は、仏教では「聴いて心に察し知ること」の意味としてあるようだが、その定義では一般的な意味での「観察」と対応が成立しておらず、私が欲しい言葉とは違う。「観察」は「観て知ること」でなく「知るために観ること」だから)




by りき哉 @rikiyanopi

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