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2015年6月30日 (火)

疑う人と疑われる人

【前書き】
これは今から8年ほど前(2007年)の年末に、某SNSに書いた日記です。
あまりにも下らない内容なので当ブログには載せなかったのですが、駄文の一つとしてここにも残しておくことにしました。

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『疑う人と疑われる人』
(2007年12月20日)



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「すみません、ちょっといいですか?」
新宿西口のヨドバシカメラ付近を歩いていると、二人組のおまわりさんに呼び止められた。
時刻はお昼前である。

「ちょっと荷物の検査をさせてください。この辺はサバイバルナイフとか隠し持っている人が多いんです」
「え? いや、ちょっと急いでるんですけど」
「すぐに済みますから。特にそういうカバンに隠し持っている人が多いんです」

この辺にそういう人物が多いという話にも少し驚いたが、それよりも最大の疑問は 「こんなにたくさんの人混みの中で、なんでよりによって私を検査するのか」 である。
私なんかよりもよほど怪しい、スーツを着たサラリーマンのような人とか、OL風の女性とか、大勢いるではないか。
こんなに善良な、子煩悩で満点パパのミュージシャンを捕まえて、まったく税金を無駄遣いしないでほしい。

しかたなく応じてカバンの中を見せた。

「これは何ですかっ!?」
黒い革のポーチを見つけて、まるで鬼の首を取ったような口ぶりだ。
「それは録音する器械です」
「開けていいですか?」
「どうぞ」
「・・・あ、iriverね・・・」
「これは何ですか? 開けていいですか?」
「どうぞ」
「・・・あぁ、ティッシュ・・・」
「ズボンも触らせてもらってもいいですか?」

という調子で一所懸命チェックしているので、これも貴重な機会だと思い直し、写真を撮っておこうと考えた。
ポケットから携帯電話を出そうとすると、二人のおまわりさんが一瞬身構えたような気がしたが構わず出す。
「記念に写真撮ってもいいですか?」
「えっ? あ、ちょ、ちょっと・・。べ、別にいいですけど・・」
カシャ、カシャ、カシャ。(連写モード)

「写真、ブログに載せていいですか?」
「ブログやってるんですか?」
「ええ」

ボディ・チェックが終ってからもまだ気が済まないらしい。
「どこかに何か小さなナイフとか持っていませんか?」
「だから爪切り一つ持ってないって言っているでしょう」

急いでいるのに10分近くロスしてしまった。まったく。
(しかも、こんな下らない日記を書くのにもっと多くの時間をロスしてしまっている)

妻に話すと、 「善良そうな人が意外に・・ということもよくあるからね。きっとすごく善良な人に見えたんだね」と。

なるほど。そうに違いない。
あまりに善良な紳士に見えるのも良し悪しだ。

それにしても、通り魔とか本当に恐ろしい。
おまわりさん、ご苦労さま。
これからも私たち市民の安全を守るために頑張ってください。

(了)

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以上、2007年の日記より転載しました。

ここまでお付き合いいただきまして、どうもありがとうございます。

ところで、「駄文の一つとしてここにも残しておくことにしました」と前置きしましたが、それは方便で、実は本稿においてこの日記は「話の枕」なのです。

以下、8年も前に書いた日記を改めて2015年にここへ公開した意図を記します。(2017.4.29)

さて・・・
文房具としてカッターナイフを筆箱に入れている、なんてことは普通によくあることだと思いますが、もし上記の職務質問に遭ったときに私がそうしたものを持っていたら、どうなっていたでしょうか。

ウェブをちょっと検索してみれば、そうした文房具を持っていたために警察署に連れて行かれて何時間も拘束された、という体験談は山ほど見つかります。(繰り返しますが、「文房具ほどのもので」です)

たとえ僅か10分であっても理不尽に自由を奪われるのは果てしなく虚しいものです。
時には、その10分間が人生を左右するほど大きな場合もあるでしょう。

こちらに何ひとつ微塵たりとも非はないのに、おまわりさんの主観ひとつで(大勢の中から自分一人だけが選択されて)自由を奪われてしまう。
場合によっては人生を変えられてしまう。
そういう可能性が、日常的にいつもあるわけです。
(天災や事故や病気や怪我などで思いもかけず大切な時間を失う可能性も同様にいつもあるわけですが、他者の故意によって強制的に自由が奪われることは、そういった不可抗力的な事態とは意味が違います)

しかしだからと言って私は、今ここで職務質問に文句をつけようとしているのではありません。

日記にも書いたように、それは社会の治安を守るために行われることですから、たまたま自分が職務質問に遭ってしまったのは、それが10分程度の時間であれば仕方のないことと諦めるよりほかありません。

では何が言いたいのか。

治安を守ることを徹底しようとすると、個人の自由を制限することになる。
個人の自由を制限なく許すと、治安が守れなくなる。

つまり、権力(国家権力)と人権のバランスについて、改めて考えを巡らせたいと思ったのです。

権力は治安を守るために必要だけれど、権力は個人の自由を制限する。

社会における力(power)について、法律に基づく力を「権力」といい、法律に基づかない力を「暴力」というのだとして、一般市民にとってどちらが恐ろしいかといえば、もちろん暴力ではなく、権力です。
(なぜなら、暴力からは権力が私たちを守ってくれるけれど、国家権力が襲いかかってきたときには私たちを守ってくれるものは無いから)

今日の日本で暮らしていて、国家権力が(歯止めを外され、恣意的に運用されて)自分に襲いかかってくる可能性を想像できるかどうか。
そこに大きな分岐点があるような気がしてなりません。

「何も悪いことをしなければ警察に逮捕されることなどない」
ひょっとして、そう思っている人が多いのではないか。

もしそう思っているならば、「権力と人権のバランス」という話題は自分とどこか遠いところにあるような気がするでしょう。
しかし、これは誰にとっても日常的な自分自身の問題であるはずです。

何ひとつ非のない人が謂れのない疑いをかけられて人生(時間や尊厳)を踏みにじられた無念はいったいどれほどかと、冤罪事件の報道があるたびに胸が締め付けられます。

上記のたわいない日記は(私の体験が些細なことであるからこそ)、それを我がごととして身近に実感するきっかけとはならないでしょうか。


2017年4月現在、共謀罪(「テロ等準備罪」と政府は呼んでいる)法案が議論されています。

「成立範囲が曖昧で、当局による恣意的な適用を認め、冤罪を生むおそれがある」と各方面から批判されているこの法案について、昨日(4月28日)は政府側よりこんな説明がありました。

盛山正仁法務副大臣曰く
「一般の方々は捜査の対象にならず、処罰されることはない」
「何らかの嫌疑がある段階で一般の人ではないと考える」
(2017年4月28日 衆院法務委員会にて)

まるで落語のようですが、こういうのをトートロジー(同語反復)といいます。

「憲法について考え方のひとつとして国家権力を縛るものだという考え方があるが、しかしそれはかつて王権が絶対権力を持っていた頃の主流の考え方で、今まさに憲法というものは、日本というもののかたちとして理想と未来を語るものではないかと、このように思います」とは、安倍首相の言葉。(2014年2月3日 衆議院予算委員会にて)

安倍首相は同様の発言を別の機会でも繰り返していますが、もちろんその理解は誤りで、憲法とは国家権力を縛るものです。(それを立憲主義といいます)

「国民主権、基本的人権、平和主義、これをなくさなければ本当の自主憲法ではないんですよ」
と述べたのは、長勢甚遠議員(第一次安倍内閣法務大臣)。(2012年5月10日 憲政記念会館 創生「日本」東京研修会にて)

人権と国家権力のバランスどころか、そもそも基本的人権という考え方をこの国から消し去りたいのだそうです。
私が望む社会のかたちとは根本的に違います。

平和を守るため。
国を守るため。
テロを防ぐため。

それらの目的自体に反対する人はいません。
問題は「その法律はその目的に叶うのか」と、「その法律は別の弊害をもたらさないのか」であるはずですが、現政権がその問いに誠実に答えたことは未だかつてありません。

「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない」
現憲法の第十二条に記されたこの文言の重みを、ひしと感じます。


余談を少し。

その一
先日のこと。渋谷に行った折に、自宅で使っていたハサミの具合が悪いことを思い出して、東急ハンズに立ち寄りました。それでハサミを選んでいたのですが、もし帰りに職務質問に遭ったら大変・・・と思い至り、買うのを止めました。

その二
何年か前、周防正行監督映画『それでもボクはやってない』を観ました。もちろん、それ以前から痴漢冤罪の報道を目にすることも度々ありました。
私が痴漢の疑いでまだ捕まったことがないのは(今のところ)幸運なのだ、と思っています。(「痴漢をしているが、まだ捕まっていないから幸運だ」という意味ではなく、「痴漢をしたことはないけれど、捕まっていないのは当たり前のことではなく幸運なことなのだ」という意味であり、それほど痴漢冤罪を巡る現実は理不尽である、という主旨です。為念)

自宅で使う小さなハサミをお店で買うことすら一人ではできず、満員電車に乗るときは疑われないよう(両手でつり革につかまるなど)常に神経を張り詰めなければならない。そういう世の中です。

歯止めが外されて恣意的に運用された国家権力が自分に襲いかかってくる可能性を想像できるかどうか。
やはり、そこに大きな分岐点があるように思います。


※ 参考記事として、こちらもどうぞ。
忍び寄る警察国家の影/白川勝彦
(国家公安委員会委員長も務めたことのある国会議員・弁護士の白川氏が、2004年11月に渋谷の路上で職務質問を受けた際の顛末と、その問題点について記述しています)

【関連ログ】
「今日は雨だからコーヒーには味噌を入れましょう」と言われたら (2015/05/09)




by りき哉




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