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2012年8月 5日 (日)

デモについて(再稼働反対というシュプレヒコールが含意するもの)

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6月29日。原発の再稼働に反対の意を表明するため、我が家も親子3人で官邸前デモ(抗議行動)に参加しました。

かつてないほど多くの人々が集まり、官邸前の6車線の道路が群衆で埋め尽くされたこの日の抗議行動は、今まで同様のデモをニュースとして取り上げてこなかった大手メディアもついにこの潮流を報じ始める、大きなきっかけとなりました。

また、(私は参加できませんでしたが)妻と息子は7月16日に代々木公園で行われた「さようなら原発10万人集会」パレードにも参加しました。
これは、坂本龍一、大江健三郎、瀬戸内寂聴(敬称略)などが呼びかけ人となっているアクションで、この日は数万人(主催者発表で17万人)規模の人々が、意思を表そうと集まりました。

政府が6月に大飯原発の再稼働を発表して以来、そして7月に3号機と4号機を稼働させて以来、このうねりは大きく伝播し続けています。

「再稼働しないと電気が足りなくなるから」という野田首相の言い分には、妥当性や説得性の微塵もありません。
この一年間、原発なしで成り立たせるために、政府はいったい何をしたというのでしょうか。

「貧困のために死んでいく子供が、世界中にどれだけいると思っているのだろう」と、経済の重要性を理由に脱原発を批判する人たちがいます。
停電による命の危険を強調し、安定した電力供給の重要性を理由に脱原発を批判する人たちもいます。

しかし、それらの指摘はまったく的外れです。
「日本経済がどうなろうと構わない」とも、「安定した電力供給など重要でない」とも、誰も言っていないのですから。

原発を容認する人、あるいは脱原発を批判する人たちが繰り返し主張していることは、経済の大切さにしろ、安定した電力供給の大切さにしろ、エネルギー安全保障の重要性にしろ、どれもこれも、脱原発を主張している誰もが承知している当然の話ばかりです。それらは議論の論点ではなく、議論の前提に過ぎません。
デモに参加する人々は、そのような前提はすべて了解した上で、その先を見据え、現実を見渡し、論理と倫理に基づき、希望と決意を抱いて「再稼働反対」と叫んでいるのです。

「再稼働反対」というシュプレヒコールに込められた無数の意味を束ねる中軸は、「原発に頼らずに成り立つ社会を実現しよう」ということです。それは、政府がこの一年間そのことに真剣に取り組んできていれば、今さら改めて声をあげる必要などなかった根本的な主張です。

野田政府が、安全とはとても言えないことなど誰もが解っているものを「安全性が確認された」と言い放ち、新しい社会へ舵を切るための努力を一切(と言ってよいほど)何もしないまま、安易かつ強引に原発の再稼働を次々と進めようとしているから、「原発ゼロで成り立つ社会の実現へ向けた舵を真剣に切ってほしい」という主意を込め、デモに集まる人々は「再稼働反対」と叫んでいるのです。

「対案を出さずに原発反対を唱えるのは無責任だ」というような発言も、いまだに散見します。
「これで一挙解決」のような魔法の対案など、あろうはずがありません。
政治も行政も、テクノロジーも、人々の暮らし方も、あらゆる大小様々な工夫や知恵を積み重ねていくことで前進する他ないのであって、まず決意し、目指す地平へ向かって一歩ずつ着実に歩んでいく責務を、私たちは負っているのではないでしょうか。


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この6月以降の呟きから抜粋掲載します。
以下、箇条書きにて。

日々を暮らしていく中で何を大切にしたいのか、便利さや豊かさの価値基準そのものが根底から見直されようとしているのに、「電気が足りるかどうか」を旧来の価値観と仕組みを前提にしたまま計算することの不毛さ。

野田首相は、豊かで人間らしい暮らしを送るために原発は必要だと主張した。「豊かで人間らしい暮らし」という言葉を、会見の中で首相は二度も使っている。「豊かで人間らしい暮らしとは何か」について、今まで政府として議論したことがあるのですか、と訊きたい。
(注:野田内閣総理大臣記者会見 | 首相官邸ホームページ

「豊かで人間らしい暮らしとは何か」というイシューをすっ飛ばし、今までの使い捨て大量消費型の暮らし方を無批判に「豊かで人間らしい」と信じ込んだまま語る「現実」という言葉に、リアリティの欠片もない。

デモについて、私はこのスタンスに共感します。「ただ歩いていればいい。なぜなら、単に群衆が現れることこそが重要だからだ」(スタジオジブリ小冊子『熱風』2012年2号「デモ」特集号掲載 國分功一郎氏による記文より)

デモの主張内容に賛否があるのは当然。だが、デモという表現自体を批判している人は、その言葉によって自分が守ろうとしているものは何なのか、少しでも考えてみるとよいと思う。

私は別にデモが好きな訳ではない。関わらないで済むなら関わらない方がどれほど楽だろう。家族と過ごしたい場所や時間はデモ以外に無数にある。それでも家族で参加するのは、今そこに大切な社会的意義があるから。デモに意味がないと言う人は、社会をあまりにシンプルに捉え過ぎているのではないだろうか。

「デモをするだけでは何も変わらない」も『無内容な台詞』の筆頭候補。デモ「だけ」で変わると思っている人なんて、デモに参加している人たちの中にも一人もいませんよ。皆それぞれに自分の専門や立場で脱原発へ向けた努力をしている上で、更にデモにも参加しているのです。言うまでもありませんが。

もしもデモという行いに意味がないと言うなら、美術なり音楽なり、あらゆる現代アートにも意味がない、と言うに等しい。それは目に見える形で直接に機能する類のものではない。群衆の一時的な出現は、一つの巨大なインスタレーションでもあるのだ。

「経済が回らなければ命も守れない」とか「経済か命かなんていう二者択一は存在しない」などと、誰も提出していない「経済か命かという二元論」を勝手に想定して一方的に批判している人たちは、「経済より命」という言葉をわざと誤読しているのか、それとも本当に読解力がないのか。


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写真:いずれも6月29日、再稼働に対する首相官邸前での抗議行動にて。
   人々で埋め尽くされたここは公園でも広場でもなく、6車線の道路です。
  (iPhoneで撮影)
   
   

【追記】
政府が募集している「エネルギー・環境に関する選択肢」に対するパブリック・コメントの締め切りは8月12日です。
デモと同様、意思表示のチャンスを生かしましょう。
(もちろん、私の選択は「ゼロシナリオ」です)

「エネルギー・環境に関する選択肢」に対する御意見の募集(パブリックコメント)について
(国家戦略室公式ホームページより)




by りき哉

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