『この空の花 ―長岡花火物語』を観て
(5/25の日記より。備忘録として)
映画『この空の花 長岡花火物語』(大林宣彦監督)を観てきた。すごい密度だった。記録と表現の境界が大きく滲んで渾然一体となったよう。質感を音楽史の文脈に例えるなら、現代音楽とポピュラー音楽と民俗音楽を大きな器に入れてグルグルかき混ぜた感じ。心が大きく揺り動かされて、夢と現を行きつ戻りつしている。
熊本の「牛深ハイヤ節」が北前船で物資とともに佐渡へ運ばれて「佐渡おけさ」になり、それが津軽へ渡って「津軽あいや節」になった。当然だけど、文化は時間的にも、地理的にも連続している。その連続性を想像すること。この映画に共感したメッセージの一つは、そのことの大切さ。
【付記】
この空の花 - 「長岡映画」製作委員会 - 長岡ロケなび
http://www.locanavi.jp/konosora/
by りき哉
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