フォト

« 臨時PV公開! 2012年春、調草子 Kaori-neライブ(4/11追記) | トップページ | 2012新緑の季節のbando-bandライブ(5/15追記) »

2012年5月 2日 (水)

旋律の座標系(ピアノの黒鍵の音名をめぐる思索のかけら)

Piano120501


<前書き>

今回は、西洋音楽の理論(と言っても、とりあえず楽典の初歩的なこと)について、ある程度通じている方を読者に想定した(というよりも、そもそも読者がいることを前提にしてすらいない)独り言です。
専門外の方にはチンプンカンプンかもしれません。
スミマセン。

以下、本題です。
(全体として繋がった一つの文章になっていますが、便宜的に一言ごとに番号を振りました)

----------------------------------------------------


子供にピアノを教える上での覚書


-1-
階名のドレミファソラシという呼び名が、日本では音名としても使われている。
息子にピアノを教える上でこの懸案に直面することは必至であったが、練習曲にシャープやフラットが出てきていよいよ切羽詰まり、もう後がない。どのような道筋を歩ませるべきか。

-2-
音高は絶対的にではなく相対的に感じられた方が音楽的。しかし、幼少時からピアノを学べば、否応なくある程度の絶対音感は身についてしまうだろう。
そして、絶対音感は「旋律の固定ドによる知覚」と不可分であると思う。将来は両方を獲得するとしても、スタートは固定ドから逃れられないのではないか。

-3-
・・というところから愚考は始まり、ぐるぐる巡る。
移動ドか固定ドか、という単純な二項対立だけではない。ここにはとても根深い深刻な問題が横たわっている(ように思う)。

-4-
クラシックやジャズからロックや歌謡曲や演歌も含め西洋音楽にも多様なスタイルがあるが、西洋音楽に属さない民族音楽の世界は、それよりも更に大きく広がっている。
子供にピアノを教えるということは、十二平均律というモノサシを与えることだ。そのモノサシを通して、彼は世界を見るようになる。

-5-
結局、何かを学ぶということは、一つの観念を身につけるということでもある。それは固定観念となって当人の視野を縛ることになるかもしれない。
でも、何らかの概念を身につけなければ、その周りに無限に広がる可能性について知ることも想像することもできないだろう。

-6-
だから、まずは十二平均律のパラダイムを生きていくことに対して、過度に憂う必要はないと思う。
その前提を踏まえた上で、さて、固定ドで世界を聴く際の、12音の中で7音にしか固有名が与えられていないことによる弊害について考えざるを得なくなる。

-7-
旋律を階名で歌うことは、各音の論理的意味を示すことに他ならない。その論理とは、自身が立脚している音律と音階の枠組みの中での、事物の一つの見方である。では旋律を音名で歌うことはどうか。

-8-
・・と考えると、十二平均律において固定ドで旋律を認識する上では、各音に意味や価値の差異があることは役に立たないばかりでなく、むしろマイナスに働くのではないかと。
「音律の中で各音に意味や価値の差異がないこと」こそが十二平均律の利点であり、各音の役割は音階の中で初めて生まれる。

-9-
つまり、「ピアノで、十二平均律で」という必然の流れから固定ドを身につけることが宿命付けられているのであれば、12個の音それぞれに1シラブルによる固有の名前を与えるべきではないか、というのが、ずっと思っていること。

-10-
机上での考査ではない、リアルタイムな音の知覚のためには、音名は「F#」や「Fis」や「嬰ヘ」や「ファシャープ」などでなく、1シラブルであることが必須。
音名にしろ階名にしろ、「それが1シラブルであること」は、一般的には歌唱のために必要であると思われているようだが、音を聴いた時の音高や音程の「瞬間的な知覚」のためにも必要なのであると思う。

-11-
派生音にも名前を与えた階名の歌唱法として「トニックソルファ法」などがあるが、階名でなく音名で、固定ドでそれを実現しようとしている方法論はないのだろうか。
長らく抱きつつも放っておいたその疑問に対する答えに、ようやく先ほどwebで出会うことができた。作曲家の西塚智光氏による提唱。でもそれが一般に浸透している様子はない。なぜだろう。

-12-
現時点での悩みはそこ。何か副作用があり得るかどうか。
しかし、息子へのピアノ指導は日々(少しずつ)進んでいる。もう悩んでいる暇はない。西塚式は1970年代に提唱されているので、その臨床データが知りたいところだが。

-13-
西塚式は、ドデレリミファフィソサラチシ。音名と階名の混乱を避けるためには、ドレミファソラシすらも使わずに独自のシラブルを並べた方がより良いと思うのだが、ドレミファソラシが音名としてもこれほど深く浸透してしまっているこの現状に於ける人とのコミュニケーションを視野に入れれば、そのバランスは思案のしどころかなと。

-14-
そしてもう一つ難題に思えるのは、記譜法との整合性だ。
五線による記譜法を使うかぎり、12音それぞれに音名を与えても、結局は「7つの幹音とその派生音」というパラダイムの中に住み続けることになる。そして「この記譜法からも逃れたい」とは私も思わないし、もし望んでもそれは無理だろう。

-15-
五線による記譜法はコード・シンボルとも直結する。「7つのアルファベットによるコードネーム」と「12個の音名」との整合性をどう取るか。

-16-
西塚式が一般化しないのは、こういった「五線譜との親和性に対する疑問符」が払拭できないからなのかもしれない。あちらを立てればこちらが立たず。

-17-
オタマジャクシやコードネームが棲息する「五線譜」が生み出したシステムの、その茫漠さにたじろぐ。



(以上、4月1日・2日のつぶやきより、備忘録として)

つづく(筈)



トップの写真は、Hocola studioにて。
(本稿用にレタッチしてみました)


by りき哉



記事へコメントくださる方へ

« 臨時PV公開! 2012年春、調草子 Kaori-neライブ(4/11追記) | トップページ | 2012新緑の季節のbando-bandライブ(5/15追記) »

1: 随想録」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/501669/45097500

この記事へのトラックバック一覧です: 旋律の座標系(ピアノの黒鍵の音名をめぐる思索のかけら):

« 臨時PV公開! 2012年春、調草子 Kaori-neライブ(4/11追記) | トップページ | 2012新緑の季節のbando-bandライブ(5/15追記) »

カテゴリー