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2012年3月16日 (金)

3.11から経た無限の時間

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この一年という歳月の重みや意味を見つめ直す、とても個人的な内省。

2011年3月11日以前のかつてとは、明らかに密度も次元も違う時間が、ずっと流れている。
二つの時間は、まるで断絶しているかのよう。
もちろん殆どの部分や本質的な部分は連続しているのだろう。しかし、決定的に違う何かがある。

自分の価値観が根底から変わったのか。
否。必死に省みるが、何も変わってはいない。
むしろ、もともと抱いていた価値観が、より強固になったのだと感じる。

一つ自覚できるのは、視座の変化だ。
目の前の風景は、大きく変わった。
今という瞬間を、自分の幼い頃を懐古するような眼差しで見つめ、慈しむ。

音楽は、以前の自分にとって手段ではなく目的だった。
3.11以降、自分にとっての音楽は、目的から手段に、少しシフトしたのかもしれない。
手段は目的の達成のために取捨選択されるものだ。
果たして私の中で音楽は、その重みを少し失ったのだろうか。
今はまだ解らないが、たとえそうであったとしても構わない。

『一粒のちから ピアノで織りなす東北民謡』という試みは、私にとって初めての自発的な「手段としての音楽」であったように思う。
その土地や、その近くのご出身の方が、この音楽を聴いて「涙が止まりませんでした」と、メールやコメントをくださった。

頂いたその言葉の中に、自分がこれまで音楽を続けてきたことの全ての意味があったのだと、強く思った。
津波により、故郷が消え、大切な人をたくさん失った方が、どれほどの想いを抱かれたことか、それは到底私の想像の及ぶところではないだろう。何度も何度も、頂いた文面を読み返した。
この音楽がその人の涙の一粒となったのなら、悲しみを少しでも洗い流してくれますようにと、ただ願う。

「もう一年経ったのか」
「まだ一年しか経っていないのか」
「やっと一年経ったのか」
様々な感慨が交錯する。

福島原発事故はまったく収束しておらず、この社会が目指す展望を、いまだに私たちは描けていない。

地震の日はまだ年少組だった息子は、今日、卒園式を迎える。

一人の大人として、父親として、音楽家として、自分に何ができるのか。
心の中の揺らぎは、震災から1年を経ても、尚続いている。

どんなにささやかなものであろうと、己の本分を全うすべく一歩ずつ歩んでゆきたい。



トップの写真は、2011年3月11日、歩いて帰宅を目指す人たちで溢れる初台交差点(東京)。
PENTAX LX+planar 50/1.4+400TMAX(self development)



by りき哉

文中の「一粒のちから ピアノで織りなす東北民謡」はこちら


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