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2012年1月 1日 (日)

自転車都市の思潮

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ログ「自転車をめぐる都市の在り方について」の続編(というか、本編)です。


当ブログを開設した4年前当初より、自分のプロフィール欄には「自転車・・・幹線道路に専用車線を完備してほしい」という一文を載せている。

私は世田谷区(区役所近く)のスタジオから、渋谷や新宿はもちろん、池袋も上野も銀座も(雨でなければ)自転車で行く。
たとえば上野のライブハウスまで、歩くと(休みなしで)たぶん4時間くらいかと思うが、自転車だと小一時間ほど。
(ちなみに電車でも同じく1時間くらい)

歩くのにくらべて、自転車に乗るとどれほど早く遠くまでラクに移動できることか。その圧倒的なパフォーマンス(能率)に驚嘆せずにいられない。だって、それが100パーセント「人力」によって成し遂げられているのである。

自転車に乗ることは、いわば自分の身体が拡張されたサイボーグになるようなものだ。それを身につけると、(空は飛べないけど)ものすごい移動能力を獲得する。繰り返すが、排気ガスも放射性廃棄物も出さずに、だ。

その「エコロジー性と利便性のバランス」を考えれば、人類史上最大の発明は自転車である、と言わずして何があろうか。

そればかりではない。

日常の足に自転車を利用していると、春には春の匂いを、秋には秋の風を身体全体で感じることができる。
冬は自転車ではさぞ寒かろう、と思う方も多いようだが、実はその反対で、一生懸命漕いでいるとすぐに熱く(心情的には「暑く」)なるのでむしろ薄着の方が良いほどだ。(私は真冬の新宿で人々がコートの襟を立てて吹きすさぶ寒風を凌いでいるときに、半袖のTシャツ一枚で汗だくになって自転車にまたがって信号待ちしている姿を奇異の眼で見られる、という経験をよくしている)

では夏はどうか。もちろん暑い。
しかし夏は暑いから良いのであって、もしもスーツを着てネクタイをして自転車に乗らなくてはいけないとなれば拷問に等しいが、短パンにTシャツで乗る分にはその暑さはむしろ心地よさすら感じるものであり、短パン&Tシャツで行ってはいけない事情があるのだとしたら、それは自転車の利便性に異論を挟むのではなく、社会のマナーとか常識とされている共通規範そのものをこそ疑うべきであろう。

端的に言えば、近年言われている「クールビズ」という運動はもっともっと推し進めるべき、ということである。暮らしている土地の気候風土に合った価値基準、審美眼、マナー等を、改めて模索していく必要がある、ということだ。
ハワイではレイを首にかければ(短パンにシャツでも)、それは西洋のタキシード級にフォーマルであることとされる。
スーツにネクタイ姿こそが正しいマナーだとされたのは、そもそもどんな気候風土で育まれた文化なのか。それは今や亜熱帯と言ってよい夏の東京において、果たして私たちが模倣し続けるべき風習なのか。
冷静な判断力があれば、東京の夏の服装マナーは(ビジネスに於いても)、むしろハワイをお手本にした方がよいことに気付くはずである。
この提言に眉をひそめる人たちは、この日本の長い歴史の中でつい最近生まれたばかりに過ぎない一つの慣習に、単にとらわれ続けているだけであろう。

そして、その固定観念にとらわれたままでいることは、近年の経済成長第一という幻のような価値観を見直す眼差しすら持てない、ということに等しい。

自転車とクールビズ。
どちらも根っこは同じだ。

東京は自転車で走ってみると、殆どの人が「電車で行くのが当たり前」と思い込んでいる所も実は「意外に近い」と実感できる。
そう。これはぜひ大きな声でお伝えしたいのだが、都内を自転車で移動するのは、今これを読んでいる貴方が思っているよりも遥かにラクチンで早い(たぶん)。
たしかに一つの路線で駅から駅までの競争をしたら、自転車は電車に敵わない。
しかし「door to door」であれば、(ましてや乗り換えの一つや二つもあったりすれば尚更)自転車の方がかなり有利なのだ。
対クルマだって、道の空いている真夜中であれば敵わないが、朝夕の渋滞している中での自転車の優勢は圧倒的である。

環境に限りなく優しく、しかも健康にも良くて、移動スピードは条件によっては電車やクルマを凌ぎ、到着時間も正確に読め、ドラムセットやコントラバスは難しいかもしれないがテナーサックスやタブラくらいなら荷物を運ぶこともできる(近頃は高性能なリアカーもある)。良いこと尽くめだ。

問題は、この都内に自転車が安全に安心して快適に走れる環境がない、ということである。そして、それこそがこの都会の交通事情の最大の問題点であり、クールビズの話と同じく、私たちの観念を根底から見直さねばならないことの一つなのだと思う。
人類史上最大の発明である素晴らしい愛すべきこの利器を、私たちはもっともっと活用しよう。

まず、都内の片側2車線以上ある道路は(明治通りも六本木通りも甲州街道も環七も・・ことごとく)、その左車線すべてを自転車のための専用レーンにすべきである。尚かつ、その自転車レーンはさらに「走行レーン(低速用)」と「追い越しレーン(高速用)」に分ける必要がある。
そして、片側1車線以下の道路では「クルマより自転車の方が上位である」という認識を社会通念とし、「クルマは前を自転車が走っていたら追い抜いてはいけない」というルールにする。

・・・というのはほんの少し極端かもしれないが、それくらいに発想を大胆かつ柔軟にしていく必要がある、ということなのだ。

一口に自転車と言っても、お年寄りや子供や買い物ママさんなどの自転車と、高速度で幹線道路を快走するスポーツ車はまったく別物である。前者は限りなく歩行者に近いし、後者はクルマに近い存在。
そのどちらもが自転車の利便性を享受し安全に安心して走れる環境を目指したい。

結論。交通インフラも、人々の意識も、東京はオランダやデンマークなどに多いに学び、自転車優先の未来都市を描くべし。

その雄図の奥を流れる思潮は、「すべては繋がっている」ということ。
クールビズのことも含め突き詰めて語るならば、「日本には美しい四季があり、時節の細やかな機微を身体で感じて暮らしていくことを大切にしたい」という話になろう。
そしてそれは「五感を研ぎ澄まそう」ということであり、「耳を澄まそう」ということである。

クルマは便利だし、そのエコロジー性能はこれからも技術進歩とともに向上していくだろう。
しかし、他者や外界への体内アンテナを磨くということに関して、そのベクトルはどこまで行こうとも、自らの身体で動かす自転車という利器が備えている卓抜した哲理に近づくことはない。

自転車は私たちの、目前の景色はもとより、知の風景を変えてくれるのだ。

以上が、当プロフィール欄の「自転車・・・幹線道路に専用車線を完備してほしい」という一言に込めたメッセージ(の概略)である。

都内は意外とアップダウンが多い。三軒茶屋から銀座へ行くには丘を3つ超えなくてはならない。
強い向かい風に行く手を拒まれ、「でも帰りは追い風」と思いきや帰路も向かい風に泣くこともある。
しかし、上り坂も向かい風も、暑さも寒さも、それを感じることこそが「生きる」ということなのだ(と己に言い聞かせ、ペダルを漕ぐ)。

そのペダルの一漕ぎが、巡り巡ってやがて己の音楽となるのだ(といいな)と思う。




・・という具合に、自転車賛歌から少し大きめの風呂敷を広げて、2012年元旦の夜、取り敢えず新年のご挨拶としておきます。

本年もどうぞよろしくお願いします。
(関連する話は、これからもたぶんエンドレスで続くでしょう)


トップの写真は2010年秋、東京・代々木公園にて。
PENTAX LX+smc M50/1.4+PRESTO400(self development)

by りき哉



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コメント

正に同感!私の愛車は40年近く乗っているヴィンテージモデル!?おっしゃるとおり、インフラ整備の重要性を感じます。バイクにも乗っているのですが、クルマ・二輪・自転車が快適に走れる道路の完成は、もしや自分の生きている時代には成し得ないのでは?と思ってしまいます。自分としては、特に自転車に乗る人の更なるマナー向上を促進し、自転車も立派な「車両」であることを社会認知せしめ、インフラ整備に拍車がかかれば、と思うのですが。

石川宣之さん
どうもありがとうございます。40年も乗り続けていらっしゃるなんて・・すごいですね!
自転車に乗る人のマナー向上と同じくらいに、クルマのドライバーの(「車道の自転車が邪魔だ」という)意識も根底から変えないといけませんし、そういった「社会の意識改革」と「インフラ整備」は、より快適な都市づくりのための両輪だと感じています。
都会の交通事情の現状は、とにもかくにも自転車に不親切過ぎですよね。実に勿体ないことだなぁと。
近頃は新聞や行政などでもこのことに対する議論が増えてきているようなので期待したいところですが、たとえば「車道の左端をペイントしただけの自転車レーン」みたいな中途半端な取り組みで終わらないよう、共に力を合わせてパラダイム・シフトを起していきたいですね。

同感であります。私も12月に市民団体を立ち上げて以来、いろいろ考えてきましたが、自転車の魅力はなんといってもそのスピードと健康的なところでしょう。以前何かの本で帆船は動力を搭載した船よりも遅いけど、帆船にしか感じられないスピードがあったと読んだことがあります。自転車も同じで物理的には自動車や電車よりは遅いですが、風を切って自らの力で進むことであの独特のスピードを体感させてくれるのでしょう。すばらしい乗り物だと思います。それだけに走行空間が確保されていないのがもったいなくてなりません。オランダなんかもう自転車の高速道路まで作ろうとしているそうです。彼らの本に「自転車の速度を時速30キロに上げることができれば通勤30分でいける距離が15キロに達する」とまじめに書かれていたのを読んだときには、唖然としました。日本だと事故対策や放置自転車対策の面からしかレーンの整備がなされていないようですが、もっと自転車の速度を上げるという観点からもレーンを整備して欲しいです。

吉田貴昭さん
市民団体を主宰なさっている方からの心強いコメント、恐れ入ります。どうもありがとうございます。
なるほど、帆船ならではのスピード感、つまりその世界観は、自転車のそれととても通じますね。私たち人間にとっての自然なスピード感というか。
いろいろな科学技術が進化・発展してゆくこと自体は素晴らしいと思うし、ワクワクもしますが、一方で元来の私たちが大切にしてきたコアな部分が置き去りにされてしまうならば、決して本当に豊かな社会とはなり得ないと思います。
自らの力で走る自転車は、その「コアな部分」を私たちに気づかせてくれる乗り物でもあるのだと思います。
「東京の首都高を自転車が走れるようになったら」とか、「首都高並に自転車用の高速道路を作ったら」とか、私も日頃から妄想していましたが、何とオランダはそこまで先を進んでいるのですか。日本での議論も、そのレベルに早く追いつきたいですね。
自転車のハイスピードを活かすための議論が足りないとのご指摘、まったく仰る通りと思います。

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