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2011年6月20日 (月)

梅雨空への呟きより

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東京は梅雨まっただ中です。
3.11からは100日を過ぎました。

二つ前のログで予告した話は、すみません・・まだなのですが、最近のつぶやきからピックアップしたものを転記してみました。

以下、箇条書きにて。

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「節電に協力するため通常の8割程度の本数で運転しています」というアナウンスに、まるで誰か他人のために協力するかのような口調だ・・と嫌悪を覚えたのは私の過剰反応だろうか、と悩みながら電車を下りた。
受験勉強でもダイエットでも、自己実現への自身の努力を「協力する」とは言わないだろう。

ある事柄を、我が事として捉えられるか、他人事として捉えるか。人(企業)としてのありようは、そういう所に現れる。
その姿勢は、ミュージシャンであれば楽器を通して演奏にも滲み出る・・というよりも、それこそがその人の音楽になる。

いま日本で暮らす私たちにとって節電は「自分が受験勉強するのと同じくらい自分自身にとっての事柄なのだ」と一人一人が実感できなければ、この社会が前進することは難しい。
ちなみに「節電」というキーワードは節電そのものだけでなく様々な事柄を代表している、ということは言うまでもない。


「ステテコが売れまくり」(http://bit.ly/mTNlY7)という記事冒頭の「大幅な電力不足と冷房自粛で、今年はこれまで経験したことのない“暑い夏”がやってきそうだ」という他愛ない枕に首を傾げる。
「これまで経験したことない」って、ちょっと前まで(私が子供だったころはまだ)冷房のないことが当たり前だったのになぁと。


「反原発派の多くは密かに原発事故を望んでいただろう。自分の主張の証明になるからだ。私も電力不足で大停電が起きることを望んでいる」と言う人も居て呆れたが、「社会へ貢献したい」という動機が根底になければ「議論の為の議論」にしかならない。
いったい何を誰と戦っているのか。


今の豊かな電気生活の中で、「真夏にセーターを着込まないと寒くなるほどに冷房を効かす事などを一例とした私たちの習慣・価値観自体を見直してみましょう」という辺りは皆で共感できる筈、と私は希望を持ってもいますが、果たして如何に。


5歳の息子が今しがた玄関を出るときに母親に話しかけた「ねえ、階段で行こ。階段は呼ばなくてもいつでもあるから、エレベーターより早いよね〜」という言葉に、何かとても大切なことが含意されているような気がした。
気のせいだろうか?


以上、最近(5月以降)のメモ書きより一部抜粋。


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写真 1枚目:2011年3月7日
  2枚目:2011年5月7日
PENTAX LX+planar 50/1.4+400TMAX(self development)


text & photo by りき哉


「東北地方の民謡に和声を付けることで復興の力になれたらうれしいプロジェクト」(仮名称)シリーズ第一弾
ピアノで織りなす福島県民謡「相馬二遍返し」

「東北地方の民謡に和声を付けることで復興の力になれたらうれしいプロジェクト」(仮名称)シリーズ第二弾
ピアノで織りなす宮城県民謡「十三浜甚句」

震災直後に祈りを込めて弾いた「朧月夜」
今できること (朧月夜/ソロピアノ)



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1: 随想録」カテゴリの記事

コメント

すごいねー、五歳児!
物事の本質を見抜いてるわ!
感銘を受けました。
階段すばらしいよね。
身体の不自由な人以外は階段を使うべきだ!
階段ダンスの歌、作っちゃおうか。。

クーラー撲滅委員会副委員長として、本当はテレビをつけないぞ実行委員会も立ち上げたいところですが…
家族のみんなの猛反対が起きそうです。とほほ…

でも、日本国民みんなにとって、自分自身の問題だということ、、
意識している人は少ないのかもしれませんね。
でも、ここからきっと、何かが変わる、と信じています。

ONLY HOOP IS SEEN

我が家の周りを飛んでいる蛍の灯り、ほんとうに美しいです。
真っ暗だからこそ、このほのかな灯りが映えます。

うちの二歳の息子は
「まま、ぼくね、暗いけどこわくないよ。ほたるとんでるからたのしいねえ」

と真っ暗闇の中を私の手を引きどんどん歩きます。
ほんとのたくましさや感性ってこういうとこから育っていくような気がします。

民謡シリーズ、ぜひCD化して欲しいな。。

ぶなーるさん

そう、身体の不自由な方や、お年寄りや、重たい荷物を持っている人や・・・、そういう方々のためにはエレベータやエスカレータ、その他文明の利器は必要と思いますが、どうも「利便性に対する過剰な要求」が氾濫しているように感じます。

文明を否定するつもりはなく、むしろ科学や技術にこそ私の興味はあるのですが、しかし現代の私たちが急速に失いつつある五感、身体で感じることの本質的意味を今こそ問い直さなくてはいけない、と(もともと思っていましたけど)3.11以降は一層痛感するばかりです。

たしかに、皆が皆このことを「我が事」と捉えることは難しいのかもしれませんが、そうだとしても諦めてはいけないだろう・・と。
ぶなーるさんの「ここからきっと、何かが変わる、と信じています」との言葉に、私もまったく同意です。

クーラー撲滅委員会委員長の私は、実は「テレビをつけないぞ実行委員会」の名誉会長も兼任しています。
この5年間で、ウチでテレビを観た時間は延べ30時間もないでしょう。
ちなみに、その30時間のうち25時間くらいは3.11以降の数日間に観たNHKです
^^;

あ、でも「テレビつけないぞ」というよりは、正確に言うと、「テレビは時間があれば見たいのは山々だけど、それよりもやりたいことが沢山あって、そのやりたい事すらできていないので、結果としてテレビが見られない月日が重なる実行委員会」の委員長です。

ついでに、このコメント欄をご覧いただいている少数の方のために、「クーラー撲滅委員会」について補足しておきます。

これは何も言葉通りに本当に「撲滅」を目指しているわけではありません。
ただ、四季を身体で感じることを大切にしようよ、ということを面白可笑しくネーミングしている次第ですので、どうぞ誤解されませんよう。

蛍の光を日常で目にできることは素晴らしいですね。

民謡シリーズは、メールや直接の言葉などでも、沢山の方から応援いただいています。
CD化は、CD-ROMでもいいから是非したいと思ってます。

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