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2011年4月 7日 (木)

絶望と決意(さよなら原発)

震災からもう一月が経とうとしている。

ここ東京では桜が咲き、暮らしも一見平穏を取り戻しつつあるように見える。
しかしそれはそう見えるだけ。

被災地の窮状は続いているし、ましてや復興支援などまだ始まってもいないのが現状だろう。
そして、それについての報道が霞むほどに放射能汚染を巡る事態は深刻さを増している。

以来、ずっと二つのことで心がいっぱいだ。
 原発をやめるために今すべきこと。
 東北の被災地のために今できること。

放射性物質による汚染は、もう取り返しがつかない。
原発を(積極的にではなくとも結果として)容認してきた私たち皆の責任だと思う。
繰り返すが、東京電力や政府を責めるばかりでは、問題の本質を見逃してしまう。
「彼らがしっかりやっていればこんなことにはならなかった」ということではない。
原子力発電そのものが、現代の私たちには手に余る代物だったということだ。
理論と技術がどれほど完璧でも、それを動かす人間社会の成り立ちに不確定要素が多い以上、原発事故の不安が消えることはない。
「すべて」を想定することなど不可能なのだ。

しかも原発は、たとえ安全に運用できても私たちの子孫代々に大きな負の遺産を残す。
何百年も何千年も前の人類が、今の私たちにゴミの片付けを押し付けただろうか。
この私たちの世代だけが、一時の便利さを享受したい身勝手さから史上初めて後世にゴミ処理を丸投げしようとしている。

原発について、私自身は今まで署名運動があれば署名するというくらいの姿勢でしかなかった。
原発に対する知識も問題意識も足りていなかったことを、深く反省している。
自分の子供に申し訳ない気持ちでいっぱいだ。
ごめん。
お父さんはこれからできる限りのことをするよ。

私たちの社会を、暮らしを、価値観を根本から見直すのは「今」しかない。
決して「喉元を過ぎて」忘れてはならない。

米・仏政府は、これを教訓として「より強固で安全な」原子力発電システムを目指そうという姿勢を明確にしている。
その愚かさに、私たち人類が気付けるかどうかが問われている。

安心かつ安全な空気と水と土を、子供たち、未来の子孫たちに残したい。

そう思う。


もう一つ。
被災した東北地方のために自分が成すべきと確信していることがある。
自分の力は小さいかもしれないが、そのことに今、全力で取り組んでいる。

これについては、後日あらためてご報告したい。



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参考資料として、外部サイトから三つ紹介させていただきます。

「原発がどんなものか知ってほしい」平井憲夫
このテキストについて、「平井氏本人による文ではなく、氏の講演に基づいて素人が書いたものであり、基本的な間違いが多い」という批判があるが、この議論に於いてそれは重箱の隅をつつく的外れであろう。
このテキストが伝えようとしている本質を多くの人に読み取ってほしい。


「放射能を海に棄てないでください」水口憲哉


なぜ「脱原発」か 原子力資料情報室(CNIC)

by りき哉

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コメント

またまた同感することしかりです。色々な参考文献(?)も大変ためになりました。ありがとうございました。

私もこんな記事書いてみました。稚拙でお恥ずかしいのですが、よろしかったら御一読下さい。
http://pandes.jugem.jp/?eid=579

yukiさん

どうもありがとうございます。
記事拝読しました。

トリウムならではの原理的な利点を見る限り、確かに希望がありそうですね。
昔から研究されていたにも関わらず核兵器に使えないから黙殺されてきた、という話が本当だとしたら、これから徹底的に研究・議論を尽くすべきだと、私も思います。

まだ私の知識が乏しいので、現時点ではトリウム原発の可能性も不安も語れませんが、専門家ではない私たちも、あらゆる方策に目を向け続けて行くことが大切ですね。

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