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2010年12月22日 (水)

写真は情報か物質か

「写真を巡る初心者の思考」vol.6として

前回に引き続き、今回はログ「写真について解らないこと」で予告した三つの気付きについての二つ目。

一年近く前だったか、ある写真家が写真雑誌(アサヒカメラ)の中でさりげなく語っていた言葉に、思わずハッとした。

「写真は紙にプリントされて初めて『写真』である」

正確な文言は失念したが、きっぱりと言い切ったその要旨に触れた瞬間、私は「表現としての写真」というものについて、ああ、そうか!・・と、何かが解った気がした。

デジタルデータのまま(コンピュータのディスプレイで観るだけ)では写真ではなく、プリントされて初めて写真と呼べるのだ、という思想。
(私にはそれは「思想」と呼ぶに相応しいくらいの、大きなパラダイムシフトだった)

それまで私は、カメラを通して描かれた絵柄が写真だと(信念としてではなく、漠然と)思っていた。

しかし、「カメラを通して写し止められた二次元の絵柄」だけが写真なのではなくて、それは、紙の厚みと重さと手触りを伴った物質なのだ。
写真とは、そこに写された「情報」ではなく、実体のある「モノ」なのだ!

紙という手に触れることのできる、物体としての写真。

そういうふうに改めて捉えると、たとえば「写真を買う」ということの価値観が、より明確に理解できるようにも思えた。
(まだ写真を買ったことはないけど・・)

私が銀塩(フィルム)写真への、そして自分で印画紙にプリントすることへの興味をかき立てられたのは、この新たに明確に立ち現れた思想によるところが大きい(ように思う)。


Imgp1879
物質としての写真は、こうして手に持つことができる。
手にしている写真は、初めて暗室に入って自分でプリントした銀塩写真(のうちの一枚)。
(一方、コンピュータのディスプレイに表示された画像に手を触れることは「写真に触れること」ではなくて「ディスプレイのガラス面に触れること」に過ぎない)

・・というわけで、ついに暗室を初体験した話は次回に。。。


【補記】
この話の前提として、こちらのログもどうぞ↓

 記録と表現 (2010.5.31)


by りき哉

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コメント

まったく 同感ですね。
あら お久しぶりです、ただただ 記録としてブリントされた、とっておいた、膨大な 写真・・・・それは、確かに 物質であると、思います。

変な 感覚なのですが・・・・・・・・プリントされた 写真には、思い出や 子供の成長等が、 はっきり浮かび上がってくるのに、パソコンや デジカメの中にあり、撮られただけの(まだ現像されていないと表現します)ものには、それを 感じないのですが・・・・中村さんは、いかがですか?
(プリントより現像と言う言葉が、好きですね、年のせいかしら?(笑))


ところで、秋元さんのサポート始め、いろいろなところでの・・・・ご活躍、拝見し嬉しく思います。

健康に 留意され 更なる ご活躍を。
今年も素敵な 演奏をありがとうございました。
来年も 楽しみにしています。

こんにちは

>「写真は紙にプリントされて初めて『写真』である。」

確かに、私もそう思います。
銀塩写真から始めた人は、必ず印画紙にプリントをしないと見られなかったものですが、今のデジタル時代では、『紙』の存在がが無くなりつつあります。
15年ほど前に、私に、紙という記録媒体が無くなるのではないか。と、話をした人がいましたが、例えば、写真も未来は、薄いディスプレイが開発されて、紙のように折りたたんで持ち歩ける。おもむろに鞄から取り出して、『ほら、これ』って見せるようになるのじゃないかな。と。
最近、国内メーカー二社から発売された電子書籍のディスプレイ等がそうなるのでしょうか?
それを、写真に置き換えればつまらないものになるのではないでしょうか…。写真は紙にして、その作者の意志が表れるように思います。

私の古くからの友人(自転車友達です)が、アマチュアのジャズバンドを作っています、その練習風景を、当時の銀塩カメラで撮影をして、皆さんに2Lサイズにして配りました。白熱灯の下で室内の雰囲気が、練習風景の和やかさが醸し出されていて喜んでもらいました。ステージの写真は、アマチュアでは撮れませんが、興味のある分野です。

取り留めのない話で、申し訳ありません。
これからも、りき哉さんの写真への想いをお聞かせください。

    

志乃さん
パソコンやデジカメの中にある画像には思い入れを感じられない、というその「変な感覚」は、私は以前は意識していなかったのですが、このログに書いた気付きがあり、今はその感覚はとてもよく解ります。
パソコンの中に膨大に溜まっている息子の成長記録を早くプリントせねば・・。

ちなみに「プリント」と「現像」は意味が違っていて(歳のせいではなくて・笑)、撮影済みフィルムの潜像を出現させるのが「現像」で、現像されたフィルムを印画紙に焼き付ける工程が「プリント」です。
フィルムを現像して、それをプリントしたものが写真、ということですね。
でも日常的には曖昧に使われているかもしれませんね。

(秋元順子さんのサポート始め)本業の方も応援どうもありがとうございます。
今後ともよろしくお願いします!


のりさん

> 今のデジタル時代では、『紙』の存在がが無くなりつつあります。

本当にそうですね。紙のように薄いディスプレイを折り畳んで・・という展望の実現は、もう間近に迫っているでしょう。
科学技術の進歩は、私たちのいろいろな価値観を根底から変化させていきますね。
それは、抗いたいような楽しみなような・・。複雑な気分です。
もしかしたら写真に限らず小説も、電子書籍で読むのと紙の本で読むのでは、違う体験になるかも知れません。

> 写真は紙にして、その作者の意志が表れるように思います。

おぉ!これは名言ですね!
それです!
私の「気付き」を、明快に一言で表現していただいた感じです。

そう。だから写真展にオリジナルプリントを鑑賞しに行くのは、作者の意思に触れに行くのだな、と最近ようやく思い至ったところです。

のりさんに撮影してもらえるご友人方はラッキーですね。

私の拙い(初心者としての)写真成長日記は、これからも続く予定です。
どうぞよろしくお願いします。

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