伝えるということ/HIBI★Chazz-K@柏市民文化会館
「音楽をやっている人の中には、楽器に触って演奏できていれば幸せ、というタイプの人がいるんだよね」と、「ちょっと信じ難いけど・・」というニュアンスで日竎さんが語り始めたので、身を乗り出して話の続きを待った。
曰く、そういうタイプの人は「人に伝える」ということには無関心で、自分が好きな楽器を演奏できてさえいれば満足なのだそうだ。
なるほど。
音楽(の勉強)を始めたばかりのビギナーであればむしろそれが普通(というか健全)であろうから、今話題にしている「音楽をやっている人」というのは、すでにプロとして活動している人、もしくは演奏家を目指している人(例えば音大生など)についての話だ。
たしかに、音楽家であれば、「人に伝える」ことに全く無関心でいることは難しい(だろう)。
しかし、「楽器を弾くことは好きだけど伝えることには無関心」というケースはあっても、「楽器に無関心だけど音楽を通して何かを伝えたいと願う」ということは、原理的にない。
(そういう人は、伝えたいことがあるなら音楽以外の手段を選択するはずだから。)
要は、その人の音楽活動に於いて「人に伝える」ということがどれだけの比重を占めているか、それは人それぞれ様々だということである(当たり前だけど)。
自分の音楽性(演奏技術や審美眼や専門知識など)を高め深めていくことと、人に伝えるべく努力することは、殆ど関連しない。
その二つは、独立した別の事柄である。
翻って私自身(の比重)はどうだろうか。
音楽を始めた時から、20代30代を過ぎ、今までどう変化してきただろうか。
これからどうしていきたいと思っているのか。
耳を澄まし、静寂を聴くことは、人に何かを伝えるためにするのではない。
それはとても個人的で内省的な、祈りであり、思惟である、と言って良い。
そしてそのことは、私にとって音楽をする上での(すなわちこの人生を全うしていく上での)、最も根源的な動機であり、かつ目的であり続けている。
その動機と目的を見失わずに、いかに人に伝えるべきか、誰に伝えるべきか、を考えていくことは、常に自分自身の課題だ。(ビートルズであれバッハであれマイルス・デイビスであれ、ある地域の民族音楽であれ、全世界の全ての人に伝わることは有り得ない。)
・・という深淵なテーマについて改めて思慮する機会を、先日のHIBI★Chazz-K(の本番と打ち上げ)は与えてくれた。
HIBI★Chazz-Kというのは、サックス4本(ソプラノ、アルト、テナー、バリトン)とドラムの5人編成で、「JAZZをメインに、世界へ音楽の架け橋を・・・」というコンセプトの基に活動しているグループで、私はライブやアルバム・レコーディングに時々ゲストとして参加させて頂いる。
(HIBI★Chazz-Kの公式サイトはこちら。http://chazz-sax.com/)
リーダーの日竎さん、そしてメンバー皆には、「多くの人に伝えたい、届けたい」という気持ちが第一義にある。そしてその上で、玄人をも唸らせるアレンジとパフォーマンスを目指し、実践している。
これは本当にスゴいことだと、つくづく思う。
先日(11/16)のコンサートは柏市民文化会館にて、千葉県立東葛飾高等学校の芸術鑑賞会だった。
今回は今まででゲスト最多人数とのことで、パーカッション(コンガやジャンベなどに加えてビブラフォンも)と、バイオリン、アコーディオン、トランペット2本、ウッドベースとピアノを加えた12人編成。
コンサートは高校生たちにも大ウケで、先生方にも感激される大成功に終えた。
次代を担う若い世代に、このHIBI★Chazz-Kの音楽(とパフォーマンス)を体験してもらえたことは、とても有意味だったと思う。
そのお手伝いができたことに感謝したい。
今回のメンバーを記しておこう。
HIBI★Chazz-k are…
ひび則彦(ソプラノサックス)
濱田亜矢子 (アルトサックス)
筒井洋一(テナーサックス)
小仲井紀彦(バリトンサックス)
竹下宗男(ドラム)
ゲスト :
沖増菜摘(ヴァイオリン)
服部恵(パーカッション)
田ノ岡三郎(アコーディオン)
上石統(トランペット)
阿久澤一哉(トランペット)
中村力哉(ピアノ)
岩川峰人(ベース)
2010年11月16日
於:千葉県柏市民文化会館
記事トップの写真と下の写真は、サウンドチェック中にピアノに座った位置から撮った二枚。
本場を終えてのメンバーの集合写真を頂いたので、それも。。。
楽屋にて。
メンバーの衣装は、前半はフォーマル、後半は作業着。
何せ、HIBI★Chazz-Kのキャッチコピーは「JAZZをメインに、世界に音楽の架け橋をかける『工事作業人』」なので、正式衣装は作業着にヘルメットに安全靴なのである。
私(後列左端)は鳶職人の衣装。毎回「親方、似合い過ぎ!アハハハ・・」「鳶職の衣装がこんなに似合うピアニストは他にいない!ゲラゲラ・・」と皆に褒められて、まんざらでもない。(褒められてるのか?)
by りき哉
追記(11/22)
上の集合写真を見た人からも「鳶職の衣装がイカしている」とメールを頂いたので、調子に乗って、以前のライブの写真もアップしておく。
(私はおだてられるとすぐに木のてっぺんまで登るタイプである)
2008年4月7日。HIBI★Chazz-Kライブ@三軒茶屋「GRAPE FRUIT MOON」。
衣装が似合っているかどうかはともかく、写真愛好家(初心者)としては、これは肖像写真(写真作品)として構図とか画面の質感がなかなか良い味を出しているような気がする(私が写っているのだから、当然、私の撮影ではありません)。
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お久し振りです。腕を上げる一方の文体に、恐れおののいてコメントしそびれてるうちに(?)今回になってしまいました。
頷きながら読まずにいられない内容ですね。私はもう「音楽で伝えたい」というのが常日頃大前提のつもりなんですが、でも、そういや演奏してる真っ最中は「内省的祈り」や「瞑想」に近い状態だよなぁ・・・と振り返ってみたり・・・。
・・・で、気付いたのですが(まだ半信半疑ですが)、真っ最中は聴衆に直接・・というより、何か目に見えないものと交信してる様な方向にアンテナが向かってて、その結果、その目に見えないものの力を借りて自分が媒体になって間接的に聴衆にも伝えてる様な・・・(三角関係みたいな???)・・・そんなイメージが湧いてきました。まだ漠然として上手く書けないし、後で表現訂正したくなるかもですが、今ありのまま浮かんだ言葉で書いてみました。ピント外れだったらゴメンナサイ。
それから『全世界の全ての人に伝わることは有り得ない』というの読んで、なんか肩ン力抜けましたゼ。『誰にどうやって伝えるべきか』・・・うんうん、それだよね。いやいや、ありがとう。
僭越ながらお邪魔致しました。それではまた、ごきげんよう。
PS:衣装・・・・・・ハマり過ぎです(爆)・・・・・
(「鳶職」だから、てっぺんまで登っても心配無いね(笑))
投稿: 作文愛好仲間 | 2010年11月22日 (月) 21時15分
作文愛好仲間さん
文体の腕を褒められると恐縮しきりですけど・・、
こういう深いテーマについて反応頂けてとても嬉しいです。
ありがと〜。
(しかし毎回投稿者名を変えてくる其方も、つくづく面白いよ!)
伝えるということについて、私ももちろん多くの人に伝えたい、伝わればいいな、と思っているのですが、私の場合は、たぶんまず根底に「祈り・思惟(瞑想と言っても良い)」があるように思います。
そして、そうだからこそ人に伝わることがあるに違いない、と思っている・・。
例えばホテルのラウンジでソロピアノBGMを弾いている時。
そういう現場はライブやコンサートとは違いますから、仕事としては、人に何かを伝えようとすることよりも、お客様の会話の邪魔にならないように心地よい音楽を奏でる、ということが求められていますね。
そういうラウンジやレストランでは、すごく賑やか(盛況)でピアノ演奏なんて誰も聴いていない(聴こえていない)んじゃないか、という状況もよくあるわけですが、そういう時にも、ピアニッシモで、一音一音の響きに耳を澄まし、音と音の間に宇宙を感じながら、あくまでも自分自身の祈りとして弾いていると、その演奏が終わった時にあちらこちらのテーブルから拍手を頂くことがあります。
あくまでも黒子として、表にしゃしゃり出ないようにしていたのに、そういう場で沢山の拍手を頂くと、「ああ、個人的な祈り(祈っている姿勢)が伝わったんだな」と感じます。
でも一方、このようなスタンスは、多くの人に伝えるという「多くの」という部分に於いては、やはり不利かもしれない、とも思います。
受け取る側の感受性にすごく依存するでしょう。
伝わる人には伝わるけど、伝わらない人には伝わらない、という感じでしょうね。
しかし、しかしまた一方、本文に書いたように万人に喜んでもらえることは有り得ないわけですから、やはりある程度、誰に対して伝えたいのか、ということを自分の中で明確にしていく必要があるのかな、とも思うわけで、そんな凡人としての悩みを、今回のHIBI★Chazz-Kライブで再認識したので、作文にしてみた次第でした。。。
そう、だから、貴殿の「ありのまま浮かんだ言葉」は、ピントハズレどころか、私はジャズピンだと思います。
(今酔っぱらっているので)お返事長くなってしまいましたが、貴殿の作文もいつも楽しみにしていますので、それではまた!
P.S
あ、「鳶職」と「木のてっぺん」の繋がりは気付いてなかった。
鋭いツッコミだね。
実際は、私は高所恐怖症ぎみですけど。
脚立の上くらいでも怖い(それなのに鳶職の衣装・・爆)。
写真、ウケて頂いて本望です。
投稿: りき哉 | 2010年11月23日 (火) 02時56分
>毎回投稿者名を変えてくる其方も、つくづく面白い
↑ いやいや正体知られたくないながらも、貴方様にはさりげなく察していただけるよう、毎回工夫している次第。
>そうだからこそ人に伝わることがあるに違いない
↑ 全く同感であります。
>個人的な祈り(祈っている姿勢)が伝わった
↑ これもよくわかります。(BGM演奏の例えも実に納得)
他の部分も、PC画面に思わず赤で花丸三重丸したくなるほど、思ってた事とドンピシャリでした。↓ 特にこのあたり。
>「多くの」という部分に於いては、やはり不利
>ある程度、誰に対して伝えたいのか、ということを明確にしていく必要がある
ほんとですねぇ。「生業」にする場合は、さらに、俗に言う「商売」という要素も考えないわけにいかない・・・という課題(葛藤)も加味されるわけですが、このまとめの言葉、自分達のアイデンティティー(役目?位置づけ?存在意義?)探索にもヒントになりますね。
思い切って書き込んでみてよかったです。またまたタイムリーに、霧を晴らせてもらい感謝です。酔っ払いながらの長文ご返答ありがとうでした。
(ちなみに私も高所恐怖症ですが、ハンググライダーとかはやってみたい変な奴です。)
投稿: | 2010年11月23日 (火) 19時17分
え?お忍びだったの?
正体知られた方が広がる可能性があって良いんじゃない?
「PC画面に花丸3重丸つけたくなる」って、爆笑させていただきました。
(本当にやっている姿が目に浮かぶし、その表現が、作文的に素晴らしいと思いました。)
そう、生業として生涯続けていくためには、いろいろなことの(自分なりの)バランスを見極め、信じていくことが必須なのだな、と思いますね。
私も「まとめの言葉」など書いたつもりはなくて、まあ、現時点での迷いとか認識をちょっとメモってみた・・というところでございます。
(ハングライダーは気持ち良さそうだね。そういえば、空を飛ぶ夢とかはたまーに見るけど、夢の中ではぜんぜん恐怖心はなくて気持ちいいよな・・)
投稿: りき哉 | 2010年11月24日 (水) 01時46分
>正体知られた方が広がる可能性があって良い
↑ ・・・そうですか。では、お言葉に甘えて・・・。
↓「申し遅れましたが、わたくし、こういう者でございます。」↓
投稿: 控えめな私 | 2010年11月24日 (水) 08時07分
私からもご紹介させていただきます。
こちらはピアニストの「控えめな私」さんです。
彼女のブログはこちら→http://pandes.jugem.jp/">http://pandes.jugem.jp/
・・・って、投稿者名はやっぱりその都度、投稿内容によって変わるのね・・。
面白過ぎです。
投稿: りき哉 | 2010年11月24日 (水) 10時11分