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2010年9月13日 (月)

「時間に追われている余裕がない」(9/17追記あり)

文末に追記しました(9/17)。


しばらく(4ヶ月ほど)前、友人がブログで、「ゆっくり」というタイトル記事の冒頭にこんなことを書いていた。

「最近、時間に追われている余裕がない。」

繰り返そう。

「最近、時間に追われている余裕がない。」

この一文に私はとてもウケた。

たとえば「読書をしている余裕がない」というのは、「読書をする時間がない」ということだ。

彼は「自分は時間に追われる体験をする時間がない」と言っているのだから、それはつまり「時間に追われていない」ということだ。
その一方、「余裕がない」のである。

つまり彼は、忙しいのか、ヒマなのか?

妻に、これはどういうふうに解釈したらいいのかな?と訊いてみると、曰く
「すばやい行動で、時間に追われる隙を与えない。思いつくのと行動が一緒。ということじゃない?」
とのこと。
う〜ん、その解釈はちょっと無理があるのではないか・・(というか、その解釈もよく解らない)。

もちろん、これが
「時間に追われていて余裕がない」
(という、「る」と「て」の、たった一文字)の言い間違いであることは(彼の記事の続きを読むまでもなく)承知しているのだけど、その一文字の違いだけで、こんなに深いユーモアを含む文言になることに、感銘すら受けたのである。

けっして揚げ足を取りたいという意図はないのだが、その自己矛盾がとてもおもしろかったので・・。

そして、今日は、「R25」というフリーペーパーのWEB記事で、(別の意味で)さらに大ウケする一文に出会った。

「夏の風物詩のナゾに迫る『スイカ割り』の起源とは?」というタイトルの記事で、スイカ割りの起源について、諸説ある中からいくつか紹介しているのだが、その中にこんな一文があった。

「調べてみると、『豊臣秀吉が安土城建築の時に場を盛り上げるために始めた』とか、・・(中略)・・、ほかにも『佐々木小次郎の頭をスイカに見立て、その怨霊を静めたという伝説が発祥』という説や、・・(後略)」

繰り返そう。

「佐々木小次郎の頭をスイカに見立て、その怨霊を静めたという伝説が発祥」

・・・おもしろ過ぎる。

だって、
佐々木小次郎その本人の頭を、スイカに見立て、スイカの怨霊を鎮めたのである。

佐々木小次郎に向かって、いったい誰が、
「すみません、小次郎さん、スイカの怨霊を鎮めたいので、小次郎さんの頭をスイカに見立てて木刀で殴らせてください」
と言えたのだろうか。
佐々木小次郎は何と答えたのだろう。
(これによって怨霊は鎮まったというのだから、小次郎がその依頼に応じたことは明らかだ)
そもそも、スイカはどうして怨霊となったのだろうか。
(何かとても不本意な食べられ方でもしたのだろうか)

もちろん、これが
「スイカを佐々木小次郎の頭に見立て、その怨霊を静めたという伝説が発祥」
の書き間違えであることは、容易に想像がつく。

念のためネット検索してみると、確かにそういう(スイカを叩き割って佐々木小次郎の怨霊を鎮めたという)説が紹介されているのを見つけることができた。
(そこには、「出典:『世界死闘決闘百選』民明書房刊」とある。一方で、その記事とまったく同じに目的語の順番を間違えている文も見つけることができたので、このR25のライターはそれをそのままコピペしたのだろう。しかし、文章のプロであれば・・ちゃんとライターの名前も記載されていたが・・こんな一目瞭然の間違いにはちゃんと気付いてほしいものだ。編集部に校正係はいないのか?・・おかげで私はとても楽しかったけど。)

日常によくあるちょっとした言い間違いは、時に、思いもよらない物語を爆発的に展開する。
(・・と、つくづく思った。)

そういえば、以前のログ「音楽警察隊」の可笑しさも、今回と同類のものだ。
(あちらは、実はけっこう深い問題やブラックな要素が隠されてもいるので、ユーモアとしては更に味わいがある。・・・と、私は思っている。)


追記(9/17)
このログを読んだ人から、「時間に追われている」というのは「実社会と関わりを持って日常的な生活をしている」ということであると解釈すれば、「時間に追われている余裕がない」というのは「実社会に関わっている余裕がない」ということになり、すなわち、「それほど(実社会に関わる時間がないほど)に、浮き世を離れ自分の内面に深く没入し創作活動や精神修行することに忙しい」という意味にとれるのではないか、というアイディアを頂戴した。

おぉ!なるほど〜!

件のブログ記事を書いた友人は、この現代の日本において「通常の社会生活」とはすなわち「時間に追われている」ことなのだ・・・という、ギスギスとした都会生活に対する痛烈な批判を込めながら、そんな浮き世に惑わされずに自分の道を進むことの大切さを、そのさりげない一言で語りたかったのかもしれない。

(・・・というのは深読みし過ぎでやっぱり単なる書き間違えであることは、彼の記事の続きを読むとわかるのだけど・・)「時間に追われている余裕がない」という文言は、かくも意味深長なのであった。

by りき哉

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