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2010年6月26日 (土)

中村力哉トリオ@なってるハウス(ライブのご案内)

いよいよ(と言うべきか)、自分のリーダー・ライブをやります。
ピアノ・トリオです。

なぜそれをやるのか?

その答えのヒントを掴みたくて、やるのかもしれません。

物事の意味を問い続けるばかりでなく、実践することも大切である・・、という(いつも思っている)ことを再確認するつもりで、ちょっと一歩を踏み出してみようと・・・。

「自主的」で「リーダー」で「ピアノトリオ」で、という3拍子がそろったライブは10年ぶり以上で、自分の音楽活動にとってこれは(ユニット「mcasi-mcasi」と共に)画期的な出来事になるだろう、と思っています。。

そういうわけで、緊急・重大ライブ告知です!

 2010年7月23日(金)
 中村力哉 Life is now trio ライブ!!

 19:30 open
 20:00 start
 charge¥2,000
 (45分くらいのセットを2回やります)

 piano 中村力哉
 bass 西川輝正
 drums 秋葉正樹

 場所:なってるハウス
 東京都台東区松が谷4-1-8 1F
 03-3847-2113

このメンバーによるトリオでの演奏は、2008年と2009年の2回にわたり杉並公会堂(小ホール)で行われたコンサート(中村力哉Life is now trioコンサート「PLAY! The Music of Animation!! VOL.1&2」)以来、約一年半ぶり。

ログ「自由さの濃淡」で予告した通り、今回はスタンダード曲と、自分のオリジナル曲と、フリー・インプロビゼーションを、織り交ぜて構成するつもりです(今のところ)。

現時点での、私にとっての音楽のバランスを具現するべく、悩んだり開き直ったりしながら奮闘したいと思ってます。
尤も、思った通りに行くなど「そうは問屋が卸さない」ことは承知の上ですけど。

(あ、問屋と言えば、なってるハウスは、調理器具などを扱う日本一の問屋街「かっぱ橋道具街」の一角に位置していますので、周りを散策してからいらして頂くのも楽しいかもしれません。我が家でご飯を炊くのに毎日使っている南部鉄のお釜は、この合羽橋で購入しました。)

耳を澄まし、美しく、楽しく・・。
私自身、とても楽しみでワクワクしています。

お時間とご興味のある方、皆さまのお越しをお待ちしています!

by りき哉

追記(7/24)
ライブ後記をアップしました。
トリオ・ライブを終えて

2010年6月24日 (木)

写真について解らないこと

「写真を巡る初心者の思考」vol.4 として

Imgp8986


絵画・書・彫刻・音楽・・・など、アートとしてのそれらは、作者が己の世界観を自分の手でカタチにするものである(と言える、と思う)。

写真はカメラを使って目の前の対象を写したものだが、写した対象は写真家が作ったものではない。

写真に於いて、作者の手によって作り出されたものというのは何なのだろうか。

写真家は、露出をコントロールし、構図を考え、ピントを合わせて目の前の空間あるいは瞬間を切り取る。
レンズやフィルム、あるいはカメラを選択する自由も与えられている。

しかしその一連の作業は、他のアートに比べればシンプルで、作家の意思よりも偶然による支配が大きい・・という場合も多々あるのではないか。
フルオートのカメラなら、シャッターを押すだけで(取り敢えず)写る。

それはつまり、素人でも(運が良ければ)偶然に素晴らしい作品が撮れてしまうこともあり得るということだ。(音楽の場合なら、素人がデタラメにピアノを弾いて偶然にビル・エバンスのような素晴らしい演奏になってしまうことは、どんなに幸運でも・・ない)

・・・と、漠然とではあるが、たぶん写真についてはそんな気分・・というかイメージを持っていたからであろう。
写真の良し悪しって一体何なのだろう、ということが、ずっと謎であった。

例えば雑誌「アサヒカメラ」を見ていて、巻頭の大きな写真に「これの何がいいんだ?」とさっぱり理解できないことも多かったし、コンテストの写真で、「こっちの方が素晴らしいと思うけど、どうしてこっちの方が評価(順位)が上なんだ?」と不思議に思うことも多かった。

でも(たぶん、だからこそ)、それを何とか解りたいという願望が自分の中にずっと潜在していたように思う。

そして、ついに昨年、自分なりの写真の良し悪しを判断する基準を、一つ発見した。

ずっと解らなかったことでも、一つ「気付き」があると、それをキッカケにまた次の「気付き」があるものなのかもしれない。
その第一の「気付き」があってからつい最近(先月くらい)までの間に、更にもう二つほどの「気付き」もあった。

その三つの気付いたことについて、近々に備忘を兼ねて文章にしたいと思っている。
(という、今回は予告編みたいな感じで・・)

冒頭の写真は、つい先日(6月20日、秋元順子さんのコンサート・ツアーで訪れた)琵琶湖の畔にて撮った一枚。
ちなみにこの写真は、iPhotoで少し加工を施している。
モノクロにして、色を少し強め、縁を少しぼかした。

写真をトリミングしたり、加工したりすることの意味合い(是非)も、解らないことの一つである。

text & photo by りき哉

補足:
「写真を巡る初心者の思考」vol.3としてのログ「記録と表現」も今回の話ととても関連深いので、未読の方はどうぞ。

2010年6月22日 (火)

秋元順子 1st.jazz live 後記

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秋元順子さんの、(ジャズアルバム「encore」を引っさげての、そしてメジャーデビューしてからは第一弾の)全編ジャズのライブが、六本木STBにて大盛況に、楽しく、無事終了しました。

順子さんも自身の古巣ともいえる音楽を心から楽しんでいた様子で、私も今回のバンドリーダーとしてとても楽しく演奏しました。

ジャズは、リラックスした感じと、研ぎすまされた部分と、そしてハプニングが、やはりすごく楽しいです。

また、この記念すべきライブは実は順子さんのバースデー・ライブでもあって、ライブでもサプライズあり、打ち上げでもサプライズあり・・。

下の写真は、その打ち上げでの一コマ(じゃなくて二コマ)です。
上の写真はリハーサルでの二コマ。
(ドラムの今野大輔と、ベースのマーク・トゥリアン。サックスの藤田明夫さんのショットは、バンマス任務が忙しくて撮れませんでした・・。)

このジャズライブは、8月に札幌、横浜、東京、と続きます。

順子さんのファンの方々、そしてジャズファンの方々、どうぞ応援よろしくお願いします。


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「Happy Birthday 秋元順子さん」とデコレーションされたプレートを持って、ハイチーズ。



text & photo by りき哉
(自分が写っている写真一枚を除く)

2010年6月10日 (木)

自由さの濃淡

Ca390744


いわゆる楽曲(スタンダード・ナンバー等)を演奏することと、フリー・インプロビゼーションの間には、どれくらいの距離があるのだろうか。

それぞれの領域は、断絶しているのか、それとも連続しているのか。

その問いに答えることは、「自分がどのように音楽と向き合っているのか」に答えることと等しい。

「フリー」の意味が、既存の概念や方法論から離れようとする行為であるとするならば、それもまた一つの方法論の中に収束してしまうことになるだろう、と思う。
(・・という話は、以前のログ「音楽をより深く感じるために」の中でも少し触れた。)

どれほど自由に演奏してみたつもりでも、それがどれだけ自由だったのか、何から自由だったのか、その境界は曖昧で、結局はプレイヤー個々が持っているモノサシで測るほかに、絶対的な基準はない。

思うに「自由」とは、何らかの枠組みに対して相対的に現れてくるものであり、その枠組みを意識した時点で、ある意味それは自由とは言えない。
つまり、真の自由というのは有り得なくて、何らかのモノサシを当てずに「自由」を語ることはできない。

たぶん、そうじゃないかと・・思う。

たとえば・・、ピアノでフリー・インプロビゼーションをするとする。
そのとき、弦を片端からペンチで切ったり、ピアノを(何人かで)ひっくり返して大音響をならすこともできる。
(防火服を着てピアノに火をつけて燃やしながら弾くパフォーマンスも私たちに大きなインパクトを与えた。)

たしかに、楽器を壊すことまでするエネルギーや動機は並大抵のことではないし、その「演奏」に対する意味付けも様々にできるだろう。
しかし当てるモノサシの種類や尺度(視点の角度や高度)によっては、それらの「自由さ」や「新しさ」も、しょせんは「孫悟空が宇宙の果てまで行って見た(と思った)五本の桃色の柱が実はお釈迦様の手の指だった(宇宙の果てどころかお釈迦様の手のひらから出ることすらできていなかった)」という話と何ら変わるところがない、と言えるのではないのか。

フリー・インプロビゼーションをするとき「そこまではしない」というラインがあって、プレイヤーは個々にそのラインをどこかに設定している。
燃えるピアノを弾くにしても、少なくとも「ピアノを使う」という前提がまずあるわけで、枠を広げ過ぎれば音楽としての意味を失ってしまう可能性がある。
(ピアノでなく木片を燃やしたのでは単なるたき火になってしまう。)

大抵の場合は、「ピアノを弾く」ということをスタートラインに設定しているだろう。
(ピアノを一切弾かないで座っているだけ、という自由もあるが、それは「4分33秒」になってしまう)

私がピアノだけで何かをやろうとした時に意識するのは、あくまでも「12平均律の中」でクリエイトする、ということだ。
調弦を変えることはしない、という約束であれば(そしてピアノのボディを叩くとかの手法を別にすれば)、ピアニストは与えられた音律の枠から出ることはできない。
他の多くの楽器や声にはそういう制約はないから、そのことを強く意識せずにはいられない。

あくまでもその音律の中で、というラインを課した上で、その中での自由を模索する。

自分が今どのようなモノサシを使っているのか、どんな枠組みに対して自由であろうとしているのか、そういうことをしっかりと見つめた上で取り組まなければ、フリーに臨む価値はない。

そしてもちろん、そういう枠組みの中でも「自由」は無限に広がっている。

言ってみれば当たり前のことだが、先日のライブで試みたフリー・インプロビゼーションがとても印象深かったので、何となく書き留めてみたのである。

・・・

6月5日(土)「なってるハウス」での神田綾子(vocalとvoice)ライブは大盛況だった。
彼女の絵の個展を記念したライブで、カイドーユタカ(bass)との三人編成。(敬称略)

1st.セットでは彼女の(DMに印刷された)絵を譜面台に置いて、それから得たイメージをもとに3人で自由即興演奏。
2nd.セットでは、お客さんからお題を頂き、それをモチーフに自由即興演奏。
(頂いたお題は「ラーメンとかき氷」だった)

スタンダード曲も2曲ずつ入れて、お客さんたちにも大好評のとても楽しいライブだった。

曲の中の1シーンとしてではなくて、1曲すべてをフリー・インプロビゼーションとして演奏するのは、ライブでは何年ぶりであろうか。
これからこういうライブをもっとやりたい、と密かに欲求が高まってきたような気がする。

・・と思ったら、渡りに船と言うのだろうか、「なってるハウス」からリーダー・ライブのお誘いを頂いた。
今というタイミングも含めてとても強い必然を感じたので、「願ったり叶ったり」とばかりに意を決してやることにした。
(自分のリーダー・ライブは久しぶりで、とても貴重な機会である)
内容はこれから練るところだが、オリジナルとスタンダードとフリーの3本柱でやりたいと思っている。

このライブの詳細告知はまた改めて。
(とりあえず日にちは、7月23日(金)です)

・・・

トップの写真は、とある部屋の壁に、窓から差し込んだ木漏れ日がゆらゆらと揺れている光景である。

白い壁面に揺れる光の模様、そしてその揺れるリズムが本当に美しくて、私はその部屋へ行った用事も忘れ、その光模様がどうして生じているのか探ることもしないまま、しばし心を奪われて眺めていた。
そして思い立って、携帯電話で(一眼レフを家に置いて来たことは痛恨だったが)写真と動画を撮ったのだった。
いつまでも眺めていたいと思う美しさだった。

今回のログの(フリーという抽象的な概念を語った)内容に合う写真はないかな、と思ったらこれを見つけたので、昨年の写真だがアップしてみた次第。

トイレという場所に、このような美しい光景があったことは、大きな驚きだった。
感動はどこに潜んでいるか判らない。
モノトーンだが、中央にオレンジ色の光も見える。


写真タイトル「自由さの濃淡」
2009年5月9日 浦安文化会館の楽屋のトイレの壁面
ノートリミング

text & photo by りき哉

補足:フリー・インプロビゼーションについて具体的に詳しく書いたログはこちら。
音楽をより深く感じるために
スタジオで試みたフリー(ソロピアノ)の録音も、記事中で試聴できます。


2010年6月 9日 (水)

広がる、新生・bando-band

6月3日(木)「公園通りクラシックス」でのbando-bandライブは、いつもながら(いや、更に)とてもエキサイティングなライブだった。

パーカッションの浜野律哉さんを正式にバンドメンバーとして迎え、これからますます楽しく広がって行くことを確信する、密度の濃いものであったと思う。

そしてこの日は、かねてより温存していた私の秘密兵器をついに披露することができたことも、トピックの一つだ。

それが何であるかは、秘密なのでここには書けない。

・・と勿体ぶらずに報告すると、例の、「ナマトピくん」を登場させたのである。
生(ナマ)トイピアノのことだ。

繰り返すが、「アコースティックの」トイピアノである。

「例の」と言ったのは、このナマトピくんがやってきた経緯についてログ「奏でるトイピアノ〜慈しむべき音」に詳しく書いているからであるが、その中から、私の楽器に対する考え方について記述している部分を再録しておこう。
そのログの核心部分である。

・・・
なんと言っても、実際に楽器が空気を振動させて生みだす音の「実在感」は心地よい。
素朴だが、今この空間で確かに鳴っている、慈しむべき音。

ICチップから電気的に作り出される音には、リアリティも奥行きも感じることはできない。
あらゆる楽器は、その楽器特有の声(音色)を持っており、それゆえ私たちはその音を慈しみ、その音に耳を傾ける。
しかし電子ピアノには、スピーカーが鳴るより以前に「音」は実在しない。

楽器を「弾く」と言うのでなく「奏でる」と言うとき、ひと際その音を大切に聴き取り、その音を愛撫するように慈しんでいる様子が暗黙に前提されていると思う。
「笛の音を奏でる」も「ギターを奏でる」も「トランペットを奏でる」も「ピアノを奏でる」も、ことばとして自然に成り立つ表現であるが、電子ピアノは「弾く」ことはできても、「電子ピアノを奏でる」という日本語は成立しない。(と思う。)

それは、奏でるべき音を、そもそも電子ピアノが持たないからである。
あるのはビットデータとそれを演算する論理回路、そして結果を増幅し再生するシステム。
ビットデータは奏でるものではなくて、読み出され再生されるものだ。
電子ピアノの鍵盤は単にデータを再生するための電気スイッチに過ぎない。

しかるに、このトイピアノは奏でるべき「声」を持っている。
身体(の動き)と楽器は一体となって空気をじかにふるわせる。
弾くと楽器の振動が鍵盤から指先に伝わってくる。
だから心も振動する。

・・・(以上、「奏でるトイピアノ〜慈しむべき音」よりほんの一部抜粋)

そのナマトピくんの記念すべきライブ・デビュー。
彼の音は、bando-bandの音楽の中に確かな存在感を持って、キラキラと、しっくり楽しく溶け込んでいた。

これからも(時々)登場するかもしれない(たぶん登場すると思う)ので、どうぞ(それも)お楽しみに。

その時の写真は撮り忘れたので、代わりに・・、
下の写真は先日(5月14日)、横浜「赤レンガ倉庫」で「WINE LOVERS FESTIVAL YOKOHAMA 2010」に出演したときの様子(を友人に撮ってもらった一枚)。

100514bandoband

この写真を見て、「あれ?『電子ピアノは奏でるべき音を持たない』とか言いながら、ライブで使っているじゃないか」という堅いことを言ってはいけない。

機に臨み変に応じることも、また大切な姿勢である。
(頑固さと柔軟さのいずれも大切であり、かつそのバランスが難しいことは、ログ「頑固さと柔軟さ」に書いた)

デジピを弾いたからといって、上述した私の楽器観(のようなもの)の一貫性が怪しまれることはないだろう。(・・と願っている。)

いつでも、場合に応じて柔軟に、与えられた環境での最善を尽くすのみ。
・・そして、それを楽しむのである。

次回のbando-bandライブは
7月5日(月)、中目黒「楽屋」にて。

bando-bandは、より大きく、深く、楽しく・・なっていくのだ。
乞うご期待!

bando-bandって何?・・という方はこちらをどうぞ。
bando-band 1st CD 出来た!
bando-band website

by りき哉

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