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2010年5月17日 (月)

言語より先に音楽は生まれるか

「庭園インプロビゼーション vol.01」として
(前回ログ「庭園インプロビゼーション vol.00」の続きです)

そして実験の初日を迎えた朝、今まで漠然と抱いていた問いが、ふと明確に立ち現れてきた。

言語より先に音楽は生まれるだろうか。

そもそも何かを感じるとき、言語なしにそれを感じられるものだろうか。
空腹であるとか、眩しいとか、私たちの生存にかかわるような基本的な情報ならば、ことばを獲得する前の新生児も感じている。
しかし、「あの空間のバランスが美しい」とか「色が美しい」とか、そういうことを言語の力を借りずに感じることができるのか。
感じたことを音楽に昇華させようとするとき、音楽インスピレーションは言語の束縛から逃れられないのではないか・・・。
ここで言語とは、(日本語とか英語とかスワヒリ語とかの)具体的な話し言葉や文章などだけを指しているのではない。
言語とは論理であり、論理性を抜きに美意識は生まれないであろう(と思う)。

なぜそう問うたのかというと・・・つまり私は、庭園で感じたことをそれが自分の中で言語化されるよりも早く音楽にしなければいけない、と思い込んでいたのである。
空間体験をまずいきなり即興演奏で表現してからその後に、いったい自分が庭園の何を感じたのかを改めて見つめ直しそれを言語表現するのだ、そういう順番であるべきだと考え、しかしそんなことができるのだろうか、と疑問に思ったのである。

でも藤井さんに尋ねてみると、それはどちらでもよい、言語表現してから演奏してもまったく構わない、とのことであった。

それを聞いて少し安心した。
しかし、もう一つ疑問があった。

空間から得たイメージを音楽に変換する「変換式」のようなものを用意しておくことは方法論の一つとして選択肢にあるのかどうか、それを準備しておくことは実験の意義を低下させるのではないか、という疑問である。

これは最初の疑問と同質のものだが、少しニュアンスが違う(ように思う)。
(でも、もしかしたら言葉を替えただけで同じことかもしれない)

変換式を用意する、というのは・・、たとえば石の大きさを音量と対応させ、木の配置をリズムに見立て、池の水面の状態をタッチ(音色)に対応させる・・という具合に空間から取り出してくる変数を予め決めておき、感性とかインスピレーション(といった曖昧な何か)によってではなく、半ば機械的(自動的)に音楽を作っていくようなやり方のことである。

でも藤井さんに尋ねてみると、それもまったく構わない、とのことであった。
変換式を用意したとしても、セッションを重ねるうちには必ずその式自体が変化していく(芸術家であれば変化させないハズがない)だろうから心配に足らない、ということだ。

なるほど。言われてみればそうに違いない。
それを聞いて少しすっきりした。
仮に、頑に機械的にやろうと思っても私たち(人間)が厳密に機械的にやることなど至難であろうし、そこには必ず「曖昧な何か」が混入するはずだ。

この日、庭園で演奏するにはこの上ない五月晴れだった。
場所は、東京は小石川後楽園にて。

庭園を散策し、演奏する場所(私が演奏したいと思う場所)を決め、即興を試みると・・・、果たして必ず音楽は言語の後に生まれてくるものであった。

まず、私が何か閃きそうだと思った場所に楽器や録音機をセットする。
そしてセットしている間に、私はさらにその空間をより深く体験しようと努力する。
すると、自分はその空間の何に心を動かされたのか、何を面白いと感じたのか、言語化できるイメージとして明確に見えてくる。
ピアノ(デジタル音源)で音を出すより前に、私はそれらのイメージを言葉として思いつくまま急いでメモにとった。
そして、それから即興演奏を始めた。

最初に得たキーワードをもとにインスピレーションを膨らませるが、演奏中に眼前の景色に新たな発見や感動をすることがあり、するとその瞬間に音楽に変化が起こる。
音楽が進行していく原動力は、いま進行している音楽それ自体からも生まれてくる。
演奏を終えて、メモしたキーワードはもちろん、その突発的変化についても言語表現する。
藤井さんは私の演奏と言説を、録音機やノートパソコンの音楽ソフトウェアを併用して記録していく。

そんな調子で、午後の2時間ほどをかけて、同庭園にていくつかの場で(それぞれ1回ずつ)フリー・インプロビゼーションを試みた。

当初ハードルが最も高いと感じていた「即興演奏に事後的に言及すること」が思いのほかスムーズにクリアできたことは、とりあえず今後のセッションへ向けての一安心となったように思う。

次回以降、自分の中で即興演奏はどう発展していくのか(していかないのか)楽しみ(ハラハラ)である。

Imgp7967_2

写真は散策中に撮った一枚。
陸上の風景が池の水面にきれいに映り込んでいたので、画面を上下に二分する線対称の構図を狙った(ノートリミング)。
池に点在する石はもちろん画面上半分にはなく、その石たちが画面にリズムと安定感を与えている(気がする)。

by りき哉

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