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2010年4月 6日 (火)

メタ認知と音楽表現プロセス

日頃、仕事の打ち上げに参加するということはよくあるし、なるべくそこに参加したいとは思っている。
でも仕事の延長ではなく、ただ飲んで話すためだけにわざわざ出かける、ということは私は殆どなく、たぶんそれは4年に一度のオリンピックよりも貴重な出来事である。

で、今日はその、私にとって数年に一度のことがあった。

それはシンガーの(過去ログ「とろまん」で登場した)あきちゃんの口から出てきた「メタ認知」という言葉に端を発している。

えっ?メタ認知?
認知のメタって、どういうことだろう?
「メタ音楽」とか「メタ野球」とかいうことなら解るけど、メタ認知なんて、原理的にあり得ないのではないか?
だって、認知を超えた認知というのは、やはり己の中の認知を超えることはないだろう。
一般的な言葉で換言すれば、「客観的に自分を観る」という表現と、どういうふうに違うのだろう?
そして、「客観的に自分を観る」なんて、あり得るのだろうか。
『自分自身を客観的に観ている自分』を客観的に観るとしても、「『自分自身を客観的に観ている自分』を客観的に観ている自分」を客観的に観る、ということは、ヘビが自分の尻尾を噛もうとして噛めなくてグルグル回っているようなことではないのか?

という具合に私が食いついたことで、ある大学の先生とあきちゃんと三人で飲むことになったのである。

で、一緒に飲んで親睦を深めたのであるが、私の疑問は相変わらず解けないでいる。
それでも今日がとても有意義であったのは、私がその先生の研究の被験者になりそうなことになったことである。

その研究の被験者になりうる為には、条件がある。

まず何かを体験したときに(例えば、ある絵を観たときに)、それを深く感じるということ。
(それはもちろん主観でしかあり得ないし、主観であって良い)

次に、その感じたことをその場で(あるいはその1時間後に別の場所で)音楽で表現できること。
(これも主観の域を出ることはあり得ず、それで良い)

そして最後に、自分が体験したことを音楽に変換したそのプロセスを、言葉で説明できること。

以上が被験者になるための主な条件で、更には、被験者たる自分が作った音楽について批評を受けることはないけど、そのプロセスやそれについての言説に関しては批評的意見を受ける可能性があり、その批評に耐える精神力も、付随的に求められていることのようである。

私がその研究の被験者として役に立てるかどうかは、まったく判らない。
とくに、音楽プロセス(しかも即興演奏!)を言葉で語る、というところのハードルが極めて高そうだ。
でも、私の音楽活動においては、これはものすごくチャレンジングでエキサイティングなことだと断言できる。
これは、私が過去ログ「音楽を深く感じるために」で書いたことと、正に繋がっているだろう。

私は自分自身への挑戦と思って、この実験のまな板に乗ることを喜び楽しみたいと思う。

そして、うまい具合に実験環境が整いこの研究に参加できたとして、その途中経過や結果・考察については、ここで公にできる範囲で報告したい。
(どれだけ公にできるのかは、今の時点では私には判らないけど)

・・・という話と、もう一つ今日思ったこと。

それにしても、あきちゃんの人と人を結びつける才能は素晴らしい天性のものであると思う。
それは彼女に対する尊敬すべき面の一つだ。

音楽を通していろいろなレベルの話ができることは、何と幸せなことだろう。

今日は私にしてはたくさん飲んだので、かなり酔っぱらった勢いでこれを書いている。
きっと明日しらふになって読み返すと、「一体何を書いてるんだ?」と思うに違いない。
・・・と客観的に自分を見つめつつ、この記事をアップする。
(最後はオチです。ウケて頂けると嬉しいのですけど)

by りき哉

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