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2010年2月 7日 (日)

音楽の厚み

音楽のアンサンブルに於いて、楽器の数を重ねるほど音が厚くなる、と素朴に信じている人は多い。

「サビの音が薄いからシンセ・ストリングスを入れよう」とか、「バンドの音の厚みをアップするためにパーカッションを入れよう」といった類の会話は、日常的に至るところで繰り返されている。

しかし、「楽器を重ねるほど音の厚みが増す」というのは必ずしも成り立つことではない。
むしろその逆になる場合もある。
これは、波の位相がずれて打ち消し合うとか、そういう音響学的な話ではなくて、あくまでも「音楽」の話である。

楽器を重ねて「音を厚くしたい」と願うとき、厚くしたいものの本質は何であろうか。
言葉どおり「音」そのものなのか。
否、そうではないだろう。
それは目的のための手段であって、本当の目的は「音楽」を厚くすることのはずである。

音を埋めれば埋めるほど、隙間がなくなっていく。
(隙間をなくすために埋めるのだから当然である)

つまり、音の厚みを増すと、

「間(ま)の厚み」

は減少していく。

「間」がなくなれば、音楽でも空間でものっぺりと平坦になる。緊張感も減少する。
それは、音楽がつまらなく(薄く)なることである。

音と音の間、音の余韻、一つ一つの音の立ち上がり方だけでなくその消え方、響きやその移ろい、そういった音の機微に耳を澄まして音楽に向かうとき、「音楽の厚み」は楽器を重ねることで却って失われることがあることに気づく。

もちろん、音楽の聴き方(物差し)は無数にある。
サンバ・カーニバルや阿波踊りは耳を澄まして聴く音楽ではない。全身で音楽と同化し、延々とループするリズムと音のエネルギーでトリップする音楽だ。
こういった音楽は、音量は大きいが(音量が大きいこと自体がその音楽にとって必須条件である)、一方で、音量変化の幅(ダイナミックレンジ)は小さい。

このように、平坦でダイナミックレンジが狭い(すなわち情報量が少ない)シンプルな音楽であるからこそ身体が同調し高揚を極め感動を覚える、という例は枚挙にいとまがない。

音楽は多様であることを俯瞰した上で、いま自分が目指そうとする音楽についてその「厚み」とは何なのか、真摯に見つめたい。
それは、音楽をどれだけ深く聴けるか、ということに係っている。

サンバ・カーニバルや阿波踊りやフル・オーケストラのように大編成で厚みのある音楽は、大編成だから厚みがあるのではない。
小編成で音楽の厚みが足りないと感じる時、小編成だから音が薄いのではない。

安易に加えた音は、「音の厚み」を増しても「音楽の厚み」を損なうことになるだろう。

by りき哉

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