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2008年3月23日 (日)

写真作家yukko*さんの作品展「光の庭」

今日は友人の催しの宣伝です。

私の友人で写真作家のyukko*さんが、作品展「光の庭」を横浜と大阪で開催しています。

横浜は3/22から4/6まで、3カ所のギャラリーで。
大阪は4/10から4/15まで。
(入場無料)

詳細はこちら(彼女のブログです)。

私は今週か来週の横浜に行くのを楽しみにしています。

札幌出身で現在大阪在住の彼女は、今回が初の関東での個展。
すごくエネルギッシュでオープンな姿勢に私も刺激されつつ、微力ながら応援したいっ、と思った次第。

ブログからも伝わるように、彼女はとても気さくで楽しい女性です。
お近くにお立ち寄りの機会などある方、春の散歩がてら気軽に遊びに行ってみませんか〜!

by りき哉

追記
4月5日に行ってきました。
その日記がこちら

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2008年3月20日 (木)

takao band と bando-band のライブ

Takao_band_live080322

Rakuya


今度の土日(22,23日)は岡村タカオさん(ds)をリーダーとするTAKAO BANDのCD発売記念ライブです。
22日:関内「エアジン」
23日:東戸塚「神泉」にて。
ちょっと体育会系な(?)ジャズで、曲はスタンダードとオリジナルが半々くらい。
パワフルにグルーブします。

そしてその翌日の月曜(24日)は中目黒の「楽屋」にて、大久保かおりさん(バンドネオン)をリーダーとするBANDO-BANDのライブ。
タンゴとジャズとオリジナルが混じって、物語と風景が広がる音楽です。
このバンドの様々な音楽ベクトルのバランスが、私はとても心地よいと思います。

皆様のお越しをお待ちしています!
ライブ詳細はLIVEの予定にて。

by りき哉

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2008年3月18日 (火)

強い音楽と弱い音楽

強い弱いというのは、ここではその音楽の環境適応力についてである。

どんな環境でも成り立つ音楽がここで言う「強い音楽」。
対して、演奏される環境をシビアに選ぶ、状況次第では成り立たない音楽が「弱い音楽」。

状況というのはあらゆる場面が想定できるわけだけど、取り敢えずピアノで演奏する音楽に限って話を進めよう。
ピアニストの立場で頻繁に直面する問題は、ピアノの調律の問題である。
仕事に行った先で弾く楽器はいつも調律の行き届いたスタンウェイのフルコンばかりではない。(そういう機会は私の場合むしろ少ない)

調律の善し悪しは程度問題だが、ひどい場合には「もう一音もピアノは弾かない方が良い音楽になる」というような状況もある。
もっとひどいと、「もう私の唄の方がマシかもしれない」と思えるほどの時もある。

さて、そのような劣悪な調律状態でも成り立つ音楽は、環境適応力に於いて「強い」と感じるのだ。
例えばブルースの様な音楽は、ホンキートンク・ピアノでも成り立つ。それどころかその方が良い味になったりすることもあるくらいだ。
エリントンの「SATIN DOLL」や「IN A MELLOW TONE」のような曲も、少々調律が狂っていても、それも味として吸収しながら成り立ってしまう曲たちだ。

しかし、ジャズスタンダードで言えば、「BLUE IN GREEN」とか「NAIMA」のような曲は、調律の狂ったピアノで演奏してもその曲にはならない。
こういった曲は、和音が美しく響く状況を必須条件として成り立っている。
そういう意味で、ハンコックの「MAIDEN VOYAGE」や「DOLPHIN DANCE」なども同類であろう。
ミシェル・ルグランの「YOU MUST BELIEVE IN SPRING」のような、和声の進行が複雑で美しい曲も、やはり良く調律された状態を前提にしていると言って良い。
こういった楽曲たちは、それが成り立つ調律環境をシビアに選ぶという点で、「弱い音楽」である。

誤解されたくないのだが、私はそういう音楽を「弱い」と言ってけなしているのではない。
私はどちらかというと、ここで言う「弱い音楽」を好み、愛おしんでいる。

調律という環境において弱い音楽は、つまりメロディが常にコードのテンション・ノートに相当している曲とか、和声進行が複雑な曲などである、と大まかに言えそうであるが、しかしそれだけで片付けられない。
ビリー・ストレイホーンの「SOPHISTICATED LADY」などは、メロディがコード・テンションで、かつコード進行も複雑な美しい曲なのに、調律の狂ったピアノでもそれはそれとして成り立ってしまう「強さ」を持っている。セロニアス・モンクの楽曲も同様だ。誠に不思議である。

作曲された時代から受ける、曲に対する先入観のせいだろうか。
先入観を捨てれば、「BLUE IN GREEN」もホンキートンク・ピアノで成り立つのだろうか。
否、主観ばかりではないであろう。調律の善し悪し(ハーモニーの響き)に依存する度合いは、曲によっていろいろある。
調律に強く依存する曲というのはすなわち、その響き自体がその曲の本質であるということである。その響きこそがその曲の同一性(アイデンティティ)なのだ。
そしてそのことは、調律の狂った世界では生きられないという、環境適応力の低さと直結する。

もちろん、強い音楽と弱い音楽の間に明確な境界線があるわけではなく、そこには広範な中間層がある。
また、「SOPHISTICATED LADY」がホンキートンクでも成り立つと言っても、やはり美しい調律で演奏された場合とでは全く違ったものになるし、そういう特殊な効果を狙うのでなければ、美しく響く方が心にも響く音楽になる可能性をたくさん秘めている、ということは言うまでもない。

ここまで「楽曲」という切り口で述べてきたが、「演奏」についても同様のことが言える。
つまり、調律が悪くても成り立つ演奏の仕方と、調律が良くないと成り立たない演奏の仕方がある。
調律環境に対して高い免疫性を持つ楽曲であっても、それをホンキートンクで成り立たせるためには、そのように演奏をアプローチする必要がある、ということである。

本当はそんなレベルに意識を空費したくないのだが、どんな環境でもその中で誠意を持ってベストを尽くしたいと思うので、こういうことを何となく考えてしまうことが時々あるのだ。

by りき哉


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2008年3月 4日 (火)

とろまん

とろまんというのを、私は見たことも聞いたこともなかった。
昨日はvocal中野渡章子さんとデュオの仕事で、三浦半島の先っぽ城ヶ島へ。
往きの電車の中であきちゃんから訊ねられた。
「食べたことある?」
「え?とろまん?知らない。」
「肉まんみたいなまんじゅうで中身がトロなの。」

名物なのだそうである。
ネーミングからしてちょっとインパクトを受けた。
ぜひ食してみたい。
何せ品川から特急に一時間乗ってさらにバス移動というちょっとした小旅行気分だったので、それを満喫するためにも絶対に食べようと決心。

終点の三崎口駅に到着して改札を出ると、おお!目の前に「とろまん」ののぼりが!
しかし、その場で食べられるように蒸かしてあるものは日曜日のみとのこと。
それはちょっと残念だったけど、お土産に冷凍のものを買った。
5個入りで千円。息子もきっと喜んで食べるだろう。

Toroman_3


さて、そして現在、とろまんはウチの冷凍庫の中。まだ食べていない。
それにしてもマグロって焼いて食べることもあるけど、やっぱり殆ど刺身で食べるイメージがある。
しかもトロとなると刺身以外で食べたことって、あるかな?

一体、トロはどんな風にして入っているのだろう。
小さな角切りがいくつか入っているのかな。
それともネギトロみたいな感じかな。
炙ってあるのかな。刺身じゃないよな、蒸かして食べるんだから。
(とろまんを知ってる人、私が食べる前に答え言わないでね。)

この未知のものを体験する前のわくわくする感じは、ジャケ買いしたCDを聴く前のドキドキに似ているかも。
でもジャケ買いのギャンブルより勝算は遥かに高い。
楽しみだ。

by りき哉


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2008年3月 2日 (日)

久しぶりの491

昨日は約一年ぶりとなった491ハウスで、ベースの江上友彦さんリーダーによるデュオ。

ピアノ(アップライト)はアクション調整がちょっとおかしくて時々ハンマーが二度打ちしてしまうので弾きづらかったけど、それでも江上さんとのデュオは楽しいセッションだった。

しかし楽器の状態が良くないとどうしても響きや間を味わうことができずに、ついつい音を埋めつくして弾き過ぎてしまう。
という反省を、個人的には繰り返したのだった。
いや、本当は別に楽器のせいではないのかもしれない。
とにかくもっと「弾かない練習」をしようと再確認した。

次回のこの491ハウス・セッションは4/26(土)が決定。


by りき哉

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