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2025年2月13日 (木)

「1+1=2」という神秘

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ブログ『「わかる」と「わからない」のあいだ』より断章のひとつを掲載。

※ 全文はこちら→ 「わかる」と「わからない」のあいだ(全文)


【3】「1+1=2」という神秘

かつて音楽は、演奏されるその場でその瞬間に生まれて消えるものであった。蓄音機の発明がもたらしたことの大きさを思わずにいられない。

小学校の何年生の頃だったろうか、トーマス・エジソンの伝記を読んだ。その中に、幼少時のエジソンが大人たちに「どうして1たす1は2なの?」と訊いてまわるエピソードがあった。大人たちは皆「そんなこともわからないなんて、バカな子どもだ」と思ったという。
エジソン少年がのちに蓄音機を発明することを知っていた私も、やはりこの疑問は何が疑問なのかわからず、「エジソンも子どもの頃はバカだったのか」くらいに思ったように記憶している。

エジソン少年が抱いていた疑問、その問いの深さに私が思い至ることができたのは、つい最近、この十年ほどのことだ。
息子に「素数」を説明する中でその概念に初めて感じ入り、「虚数」に抱いていた違和感がいつしか散じて消え、素数や虚数が「わかった」ことにより、今までわかっていた「1+1=2」がわからなくなった。

たとえばオイラーの等式(e^iπ =-1)を思う。
この等式に至るまでの道筋は、高校数学までの知識があれば辿ってゆくことができる。しかし、ひとつひとつの理路を確かに辿った先に遂にこの等式へと至ると、その光景の神秘性に心を奪われ、呆然と立ち尽くしてしまう。出自を異にしていたはずのネイピア数と円周率と虚数単位のこれほどシンプルで美しい関係が、いったいどこに潜んでいたのか。どれほど言葉を尽くしてもこの感慨は語り得ない。

さて、このオイラーの等式に見入りながら私は思うのだ。
かくも美しく深遠な数式も、ここへ至った道筋を振り返って源流を辿ると「1+1=2」に行き着く。ここから自然数が生まれ、実数そして複素数へと数の世界が広がったのではなかったか。「かけ算」は単に同じ「たし算」の繰り返しに過ぎなかったはずだ。「わり算」は「かけ算」の逆操作に過ぎなかったはずだ。小学一年生で学んだ「たし算」の先に、オイラーの等式に至るまでの道は続いていた。しかも、この遥か先までもずっと続いているらしい。

今の私には、「1+1=2」は神秘と感じられる。
「1+1=2」こそ神秘だ。

おそらく小学一年生くらいだったろうエジソン少年の境地に至るのに私は50年近くの歳月を要したが、ともかく至ることができたとすれば何よりである。

※ 全文はこちら→ 「わかる」と「わからない」のあいだ(全文)



補記(蛇足):
「1+1=2」の意味を問うことは「数とは何か」を問うに等しい。「数とは何か」というのは「数は人間による発明なのか、それとも発見なのか」と言い換えてもよい。それは「論理とは何か」と問うに等しく、「存在」の謎へと重なる。


つづく(ことでしょう)

by りき哉


2025年1月23日 (木)

虚数とピーマン

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『「わかる」と「わからない」のあいだ』より、断章のひとつを掲載。

※ 全文はこちら→ 「わかる」と「わからない」のあいだ(全文)


2. 虚数とピーマン

「虚数」という数を高校で教わったとき、私はそれを得体の知れない、とても気持ち悪いものに感じた。
虚数単位「i」とは、二乗して「-1」になる数だという。

先生の説明に、「えーっ!」「そんな数ないじゃん?」と教室中がどよめいた。中学校で習った話では、マイナスとマイナスを掛ければプラスになるのであり、つまりどんな数も二乗すれば「正の数」になるはずだ。二乗してマイナスになるとは、いったいどういうことだ。そんな数はあり得ないはずだ。
先生は笑いながら「そういう数があると想定するんだよ」と言った。「想像するんだよ」とも言ったかもしれない。

なるほど。そのように「想定」あるいは「想像」するんだな。それで、それを想定することによって何か先に進めたい話があるのだろう。ではひとまず、その話とやらを聞いてみようか。
私は、先生の説明を受け入れる心積もりをした。しかし、それから幾度と授業やテストを受けても、「虚数」に対する心情的な受け入れ難さを拭うことはついにできなかった。
子どもが大人に「食べないと大きくなれないよ」と言われて嫌いなピーマンを息を止めて頑張って飲み込むみたいに、虚数を含んだ計算をする度に、それを「えい」と飲み込んだ。

けれども不思議なもので、嫌いなものも、自分の成長につれてか、いつしか好きなものに転じることがある。
子どものときには苦手だったミョウガが、大人になるとおいしく感じられる。
子どものときにはサビ抜きで食べていたお刺身にも、大人になるとワサビは必須となる。

苦手だったピーマンや玉ねぎを私が好きになったのは、たぶん小学校2年か3年生くらいのときだ。それはある日突然の出来事だった。

その日、私は大人に連れられて都内のどこかの初めての定食屋さんに入った。

「野菜天ぷら定食おいしそうだな。お前もこれでいいな?」

そう言われて、躊躇しながらも「うん」と応えて不安とともに待っていると、運ばれてきた定食の天ぷらは本当に野菜ばかりで、その中にはピーマンの天ぷらと玉ねぎの天ぷらがあった。観念して息を止めるようにしてピーマンの天ぷらを口に入れたときだ。衝撃が走った。おいしい!ピーマンなのに、ピーマンであるにもかかわらず、なんだこのおいしさは。あっけにとられながらこわごわ次に口に入れた玉ねぎの天ぷらは、さらにおいしかった。

その日以来、天ぷらといえばピーマンと玉ねぎが何よりも(海老よりも)好物になった。天ぷらでなくてもいい。どんな料理であれ、ピーマンも玉ねぎもおいしいと感じるようになった。その定食屋の薄暗かった店内の光景は、50年近くを経た今でも(その天ぷらのおいしさとともに)深く記憶に残っている。

「野菜てんぷら事件」の一方、ミョウガやワサビは、いつそれがおいしいと感じられるようになったのか定かではない。ラッキョウもそうだ。いつの間にか、おいしいと感じるようになっていた。
キャベツが好きになった日のことも忘れ難いのだが、長くなるからまたいずれの機会に譲ろう。

私にとって「虚数」は、これらと似ている。
高校・大学生だった頃には気持ち悪かった虚数も、長い年月を経るうちにいつの間にか、その違和感は和らぎ、今はむしろとても味わい深い存在に感じられる。

「ピーマンと虚数は違う」という人がいるかもしれない。「ピーマンは物体として実在するが、虚数は想像上の概念であって非実在だ」と。「味覚は身体で感じる。しかし想像は脳が生み出す」と。

そう。私もきっとそう感じていたのだ、高校生の頃は。
先生は「そういう数があると想像するんだよ」と言ったが、この説明の仕方が、今から思えばうまくなかったと思う。
たしかに、「虚数」は英語で「imaginary number」であり、「虚ろな数」であると名づけられている。

しかし、すでに馴染んでいた「実数」も、たとえば「負の数」も、人は「そういう数があると想像した」のではなかったか。虚数が想像上の数だというならば、「-0.7」だとか「円周率π」だとか、そればかりか「0」も「1」さえも、すべての数は想像上の産物ではないか。
リンゴが目の前に三つある。このとき、三つのリンゴのひとつひとつは「実在」しているが、「3」という「数」はどこにも「実在」していない。「3」という数は想像上の概念でしかない。「虚数」もそれと同じことに過ぎない。

つまり、「実数は実際にある数であり、虚数は実際にはない想像上の数である」として分けた、その境界線そのものが虚構であり妄念であったということだ。
人は想像するちからによって「数の世界」を拓いてきた。
虚数も実数も「数」という概念のなかにある。それだけのことだ。

この境地に至ることを、もしかすると(一種の)悟りと言うのかもしれない。
自分を縛っていた違和感が消えることは、「わかる」ということのひとつの現れであろうと思う。

「虚数」の周りに立ちこめていた霧が晴れると、私の立っている「複素平面」は見渡す限りの彼方まで柔らかな陽が降り注いでいた。そよ風が花々をゆらし、湖面で光る波間に水鳥たちがくつろいでいる。

だが、あの霧は、いったいいつのまに雲散していたのだろうか。ふと気づけば晴れていた。
虚数に対して私の中に生じていた変化は、「理解」ではなく「心象」だ。それは言葉の領域から出た「体感」だ。

「ピーマンのおいしさがわかる」とは、「ピーマンをおいしいと感じる」ことにほかならない。自分がおいしいと感じずに「おいしさがわかる」ということはない。
体験は他者に代わってもらうことはできない。それを感じるのは自分であり、唯一無二のそれは、ゆずることも、分かち合うこともできない。

言葉が無力だと言いたいのではない。
「わかる」とは「分かる」、すなわち物事を「分ける」ことであるとも言われる。連続する世界を、言葉が切り分ける。人は、物事を分けることで世界を「理解」し、言葉によって文明を築いてきた。
言葉と概念が一体として生じるものであるならば、音楽もまた(詞を伴わない純粋音楽であっても)言葉と無縁には生まれ得ないだろう。
いま私が生きている民主主義社会の根幹は、言葉だ。

ただ、言葉が拓く世界や可能性を肯定し言祝ぐその一方で思う。
(ピーマンやミョウガのおいしさだけでなく)「素数」や「虚数」のような論理的な概念でさえ、それに心から馴染むことができるためには、言葉の領域から溢れた「何か」との邂逅が必要なのだ。

その「何か」は、あるとき突然に現れることもあるし、風が雲をゆっくりと押し流すように気づかないうちに現れていることもある。
いずれであれ、自己のさまざまな体験と情動の重なり合いの中に、それは芽吹くのだろう。


※ 全文はこちら→ 「わかる」と「わからない」のあいだ(全文)

補記:これまでに重なり合った「さまざまな体験と情動」とは具体的に何か。上記まで書いて思い浮かんだその幾つかを、別稿にて近々に書き残してみたい。


(photo: 2024年夏、近所の公園で)


by りき哉

2025年1月16日 (木)

言葉と染織と音楽と(志村ふくみ展を訪れて)

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本との出会いの不思議さやありがたさを、よく思う。
染織や着物についてまったく無知で、「染色」と「染織」の違いも分かっていなかった私が染織家・志村ふくみ氏のことを初めて知ったのは、十数年ほど前になるだろうか、本屋さんで偶々目に留まった『色を奏でる』(ちくま文庫)を手に取ってのことだった。

その柔らかく精緻な言葉と自然や技芸に注ぐ眼差しに魅了されて、以来、志村氏の随筆や書簡や対談などに親しんできた。これらの言葉の機微や肌理はおそらく氏の作品と響き合ってもいることだろう、と想像しながら。

私の心に深く残っている言葉の中から、少しだけ抜書きしておく。

抜書1:
ある人が、こういう色を染めたいと思って、この草木とこの草木をかけ合わせてみたが、その色にならなかった、本にかいてあるとおりにしたのに、という。
私は順序が逆だと思う。草木がすでに抱いている色を私たちはいだだくのであるから。どんな色が出るか、それは草木まかせである。ただ、私たちは草木のもっている色をできるだけ損なわずにこちら側に宿すのである。(志村ふくみ『色を奏でる』ちくま文庫 p.16)

抜書2:
色(ハーモニー)が先なのか、間(リズム)が先なのか。両者に追いつ追われつ、そんなときは手にふれた杼をそのまま投げている。(・・・)無意識ではなく、意識のかたまりのような。その中心に入ると、思わず織れてしまう。次は何色を入れようなどと考えるひまがない。手の方が先に杼にふれている。(志村ふくみ『色を奏でる』ちくま文庫 p.61)

抜書3:
人間の狭小(せま)い考えなど問題にもならないほど天蚕の糸はそのままで多くを語っている。語る以前の、無言の力である。併し、人間がそれをあつかうことは至難である。なにより私に重大なことは、織り上がったものが天蚕を汚してはいないか、ということである。(志村ふくみ『ちよう、はたり』ちくま文庫 p.127)

抜書4:
手の中に思考が宿るといってもいい。(志村ふくみ『母なる色』求龍堂 p.119)

抜書5:
志村:ですから緯糸を入れます時に、ちょうど経糸に指がさわるか弦がさわるかわかりませんが、音色が鳴るんです。それが糸が布になる瞬間でもあるわけです。宇佐美英治・志村ふくみ『一茎有情 -対談と往復書簡- 』ちくま文庫 p.113)


ひとまずこの辺りで止めておこう。
今ここでは音楽に触れられている言及を特に選んでみた。

たとえば抜書2や4からは音楽のフリー・インプロビゼーションを思わずにいられない。
ピアノを「弾く」という能動態で語り得る行為ではなく、意思に先立っておのずと生まれてくる音の連なりに全てを委ねる、というような中動態で語らざるを得ない現象ないし境地を自分なりに見つめようと、(並べるのはおこがましいが)以前に私もこんなことを書いている。
→ 参照: 音楽を深く感じるために(2006.6.2)

また、抜書3での「織り上がったものが天蚕を汚してはいないか」との畏れは、私の経験に照らしてみれば民謡をアレンジする際に抱く畏れとよく似ているように思う。「新たなものを付加することによって失われるものもある。そして、その失われるものこそが、それにとって本当に大切なものであるかもしれない」と私は書いた。
→ 参照: 伝承と創出のあわいに(民謡のアレンジについて)(2015.11.30)

抜書5は対談の中の口話である。(文学者・宇佐美英治についてもいずれ別稿に改めたい)
音色が鳴り、糸が布になる瞬間。その瞬間を私も空想してみる。言葉以前の世界からあらゆる存在が言葉とともに生じるその刹那へと、それは重ね合わせられるのではないか。

そして自然と創作の関わりを語った抜書1は、作品づくりに留まらない、あらゆる生活つまりは生き方の全体を捉えていると私は思う。自然に対する向き合い方を、現代社会は一層鋭く問われている。「私は逆だと思う」と力強く言い切られた一言は、確かな重みを持って私の心に置かれた。


かように共感と畏敬の念を志村ふくみ氏に私は抱いていたのだが、先日は氏の100歳を記念した志村ふくみ展(at 東京・大倉集古館)を訪れて、初めて作品の実物を目にすることが叶った。

言葉や写真を通した想像上のものであった作品のひとつひとつに見入り、その深い響きの余韻や揺らぎ、そのあわいに耳を澄ますような至福と覚醒に包まれるままに、静かな時間を過ごした。
それは私にとって音楽体験であったと言っても、決して言い過ぎではない。ベートーヴェンのバイオリン・ソナタ9番「クロイツェル」に由来したという同名タイトル作品も含めてどの作品からも、はっきりとした旋律やリズムやハーモニーというよりは、音色や響きや余韻にこそ焦点の置かれた静謐な音楽が、私には聴こえてくるようだった。たとえば、モートン・フェルドマンのような。

こうした感慨は言葉の中に収まるものではないが、それでもその端切れを書き残そうとするのは、自分の胸に少しでも強く刻み込んでおきたいと願うからである。
志村ふくみ氏の作品のような音楽を、私も目指してゆきたいと。


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この正月を百歳でお元気に迎えられた志村ふくみ氏の、ご健康と長寿を念じています。


【外部サイトのご紹介】

【展覧会 1/19まで】「特別展 志村ふくみ100歳記念~《秋霞》から《野の果て》まで~」(大倉集古館・東京)(しむらのいろ - 志村ふくみ、志村洋子公式ホームページ | SHIMURA NO IRO by Fukumi Shimura & Yoko Shimura)


by りき哉




2025年1月 7日 (火)

理解と感嘆

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ブログ『「わかる」と「わからない」のあいだ』より断章のひとつを掲載。

※ 全文はこちら→ 「わかる」と「わからない」のあいだ(全文)


【1】 理解と感嘆

「素数」という数を教わったのは小学校の5年生くらいの頃だったろうか。
いわく、「1より大きい自然数のうち、1と自分自身以外に約数を持たない数」と。

2, 3, 5, 7, 11, 13, 17, 19・・・

なるほど。たとえば6という数は1と6以外に2でも3でも割り切れるが、7は1と7以外に割り切れる数がない。こういうのを素数というのか。

べつに難しい話ではない。なんの疑問もなかった。
それゆえ、特に何も思うこともなかった。
それは、単に、ある性質を持った数に名前が与えられたに過ぎなかった。
いや、いま思い返せば、「なぜその性質をことさらに取り上げて名づけるのか」という疑問は感じたはずだったのだが、疑問は育つことのないまま、私は「素数」なるものを、教わった説明そのままに「わかった」と思ったのだった。そして、その後に中学生になって「素因数分解」を教わっても、素数に対して思うものは何も芽生えなかった。
もし迂闊でなかったなら、この「素因数分解」を知ったときに多少なりの閃きがあったに違いない。

中学校では物質が原子から成り立っていることも教わった。なぜそこで「素数」を思い起こさなかったのかと、今は思う。
「物質の成り立ち」の話が「数の成り立ち」の話へとリンクする契機を見逃したまま、やがて私は大人になり、たとえば「史上最大の素数が発見されました」とのニュースに触れても、そこで素数なる概念をあらためて反芻することはなかった。


息子が生まれ、彼が小学校4年生くらいの頃だったろうか。
私は彼に「素数」を説明した。

「1より大きい自然数のうち、1と自分自身のほかでは割りきれない数を、素数っていうんだよ」

そのとき、ふと思ったのだ。
そして口をついて出た。

「まるで、数の原子みたいだね」

自分で説明しながら、自分の説明にハッとした。
素数って、数の原子みたいだ。個々の素数は、切り分けることのできない、ひとつのかたまりなんだ。水の分子が水素原子ふたつと酸素原子ひとつとからできているように、28という数は2という素数ふたつと7という素数ひとつとが掛け合わされてできている。
素数は、素数は、素数は・・・、「数の原子」だ!

初めて「素数」を教わった頃の光景が思い浮かぶ。
田んぼでザリガニを捕った夏。野原で凧をあげた冬。駄菓子屋で買ったコマやメンコを友だちとぶつけ合った日々。
あれから40年近くの月日が経っている。いろんなことがあった。

もしかすると、学校の先生も、そして教科書や参考書も、「素数」という概念をさまざまな喩え話をもって説明してくれていたのかもしれない。原子と分子の関係に倣った喩えも、きっとその中にあったろう。私は自分の迂闊さを反省する。

素数の定義を「理解」できていなかったわけではない。その定義に「感じ入る」ことがなかったに過ぎない。
けれども、何かが「わかる」とは、こういうことなのだ。
それは深い感嘆を伴う。
それは他者から与えられるものではなく、必然の刹那におのずから生まれてくる。


※ 全文はこちら→ 「わかる」と「わからない」のあいだ(全文)

補記:素数の定義の先に広がる果ての見えない奥行き(への感嘆)についても、いずれまた機会があればと。

(photo: 2024年夏、福島県は磐梯山の近くにて)


by りき哉


「わかる」と「わからない」のあいだ(全文)

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※ 本稿には折々に新たな断章を足していこうと思っています。


【目次】
(各リンクは単独記事として別ページに飛びます。全文はこのページを下へ)

【0】 はじめに

【1】 理解と感嘆

【2】 虚数とピーマン

【3】「1+1=2」という神秘

【4】(以下、雑多に展開予定)

 


【0】はじめに

時に、深遠な問いがふと素朴なものに感じられたり、素朴な問いの奥深さに思い至って呆然としたりする。
あらゆる問いは、素朴かつ深遠であるのかもしれない。

1+1 は 2 である。
だが私は「1+1=2」を、いったいどこまでわかっていただろう。
どれほど「当たり前」と思えることでも、というより、それが「当たり前」であればあるほど、「なぜ当たり前なのか」は言葉の彼方に溶けてゆく。

「わかる」とはいったい何か。
そもそも人は、「“わかる”とは何か」をわかることはできるのだろうか。
(できないと思われる)

対象の中に入ってわかること。
対象の外へ出てわかること。

一瞬にしてわかること。
年月をかけてわかること。

詩がわかること。
数式がわかること。
人の悲しみがわかること。
竹馬の乗り方がわかること。

「わかる」と「わからない」のあいだで、日々いろいろな光景に出会う。

その断片を折々に書き残してみようかと、最近思い立った。
小さな断片を重ねることで現れてくる何かしらも、無いとは限らない。

 

(photo: 2024年秋 近所の公園で)



【1】理解と感嘆

「素数」という数を教わったのは小学校の5年生くらいの頃だったろうか。
いわく、「1より大きい自然数のうち、1と自分自身以外に約数を持たない数」と。

2, 3, 5, 7, 11, 13, 17, 19・・・

なるほど。たとえば6という数は1と6以外に2でも3でも割り切れるが、7は1と7以外に割り切れる数がない。こういうのを素数というのか。

べつに難しい話ではない。なんの疑問もなかった。
それゆえ、特に何も思うこともなかった。
それは、単に、ある性質を持った数に名前が与えられたに過ぎなかった。
いや、いま思い返せば、「なぜその性質をことさらに取り上げて名づけるのか」という疑問は感じたはずだったのだが、疑問は育つことのないまま、私は「素数」なるものを、教わった説明そのままに「わかった」と思ったのだった。そして、その後に中学生になって「素因数分解」を教わっても、素数に対して思うものは何も芽生えなかった。
もし迂闊でなかったなら、この「素因数分解」を知ったときに多少なりの閃きがあったに違いない。

中学校では物質が原子から成り立っていることも教わった。なぜそこで「素数」を思い起こさなかったのかと、今は思う。
「物質の成り立ち」の話が「数の成り立ち」の話へとリンクする契機を見逃したまま、やがて私は大人になり、たとえば「史上最大の素数が発見されました」とのニュースに触れても、そこで素数なる概念をあらためて反芻することはなかった。


息子が生まれ、彼が小学校4年生くらいの頃だったろうか。
私は彼に「素数」を説明した。

「1より大きい自然数のうち、1と自分自身のほかでは割りきれない数を、素数っていうんだよ」

そのとき、ふと思ったのだ。
そして口をついて出た。

「まるで、数の原子みたいだね」

自分で説明しながら、自分の説明にハッとした。
素数って、数の原子みたいだ。個々の素数は、切り分けることのできない、ひとつのかたまりなんだ。水の分子が水素原子ふたつと酸素原子ひとつとからできているように、28という数は2という素数ふたつと7という素数ひとつとが掛け合わされてできている。
素数は、素数は、素数は・・・、「数の原子」だ!

初めて「素数」を教わった頃の光景が思い浮かぶ。
田んぼでザリガニを捕った夏。野原で凧をあげた冬。駄菓子屋で買ったコマやメンコを友だちとぶつけ合った日々。
あれから40年近くの月日が経っている。いろんなことがあった。

もしかすると、学校の先生も、そして教科書や参考書も、「素数」という概念をさまざまな喩え話をもって説明してくれていたのかもしれない。原子と分子の関係に倣った喩えも、きっとその中にあったろう。私は自分の迂闊さを反省する。

素数の定義を「理解」できていなかったわけではない。その定義に「感じ入る」ことがなかったに過ぎない。
けれども、何かが「わかる」とは、こういうことなのだ。
それは深い感嘆を伴う。
それは他者から与えられるものではなく、必然の刹那におのずから生まれてくる。


補記:素数の定義の先に広がる果ての見えない奥行き(への感嘆)についても、いずれまた機会があればと。



【2】 虚数とピーマン

「虚数」という数を高校で教わったとき、私はそれを得体の知れない、とても気持ち悪いものに感じた。
虚数単位「i」とは、二乗して「-1」になる数だという。

先生の説明に、「えーっ!」「そんな数ないじゃん?」と教室中がどよめいた。中学校で習った話では、マイナスとマイナスを掛ければプラスになるのであり、つまりどんな数も二乗すれば「正の数」になるはずだ。二乗してマイナスになるとは、いったいどういうことだ。そんな数はあり得ないはずだ。
先生は笑いながら「そういう数があると想定するんだよ」と言った。「想像するんだよ」とも言ったかもしれない。

なるほど。そのように「想定」あるいは「想像」するんだな。それで、それを想定することによって何か先に進めたい話があるのだろう。ではひとまず、その話とやらを聞いてみようか。
私は、先生の説明を受け入れる心積もりをした。しかし、それから幾度と授業やテストを受けても、「虚数」に対する心情的な受け入れ難さを拭うことはついにできなかった。
子どもが大人に「食べないと大きくなれないよ」と言われて嫌いなピーマンを息を止めて頑張って飲み込むみたいに、虚数を含んだ計算をする度に、それを「えい」と飲み込んだ。

けれども不思議なもので、嫌いなものも、自分の成長につれてか、いつしか好きなものに転じることがある。
子どものときには苦手だったミョウガが、大人になるとおいしく感じられる。
子どものときにはサビ抜きで食べていたお刺身にも、大人になるとワサビは必須となる。

苦手だったピーマンや玉ねぎを私が好きになったのは、たぶん小学校2年か3年生くらいのときだ。それはある日突然の出来事だった。

その日、私は大人に連れられて都内のどこかの初めての定食屋さんに入った。

「野菜天ぷら定食おいしそうだな。お前もこれでいいな?」

そう言われて、躊躇しながらも「うん」と応えて不安とともに待っていると、運ばれてきた定食の天ぷらは本当に野菜ばかりで、その中にはピーマンの天ぷらと玉ねぎの天ぷらがあった。観念して息を止めるようにしてピーマンの天ぷらを口に入れたときだ。衝撃が走った。おいしい!ピーマンなのに、ピーマンであるにもかかわらず、なんだこのおいしさは。あっけにとられながらこわごわ次に口に入れた玉ねぎの天ぷらは、さらにおいしかった。

その日以来、天ぷらといえばピーマンと玉ねぎが何よりも(海老よりも)好物になった。天ぷらでなくてもいい。どんな料理であれ、ピーマンも玉ねぎもおいしいと感じるようになった。その定食屋の薄暗かった店内の光景は、50年近くを経た今でも(その天ぷらのおいしさとともに)深く記憶に残っている。

「野菜てんぷら事件」の一方、ミョウガやワサビは、いつそれがおいしいと感じられるようになったのか定かではない。ラッキョウもそうだ。いつの間にか、おいしいと感じるようになっていた。
キャベツが好きになった日のことも忘れ難いのだが、長くなるからまたいずれの機会に譲ろう。

私にとって「虚数」は、これらと似ている。
高校・大学生だった頃には気持ち悪かった虚数も、長い年月を経るうちにいつの間にか、その違和感は和らぎ、今はむしろとても味わい深い存在に感じられる。

「ピーマンと虚数は違う」という人がいるかもしれない。「ピーマンは物体として実在するが、虚数は想像上の概念であって非実在だ」と。「味覚は身体で感じる。しかし想像は脳が生み出す」と。

そう。私もきっとそう感じていたのだ、高校生の頃は。
先生は「そういう数があると想像するんだよ」と言ったが、この説明の仕方が、今から思えばうまくなかったと思う。
たしかに、「虚数」は英語で「imaginary number」であり、「虚ろな数」であると名づけられている。

しかし、すでに馴染んでいた「実数」も、たとえば「負の数」も、人は「そういう数があると想像した」のではなかったか。虚数が想像上の数だというならば、「-0.7」だとか「円周率π」だとか、そればかりか「0」も「1」さえも、すべての数は想像上の産物ではないか。
リンゴが目の前に三つある。このとき、三つのリンゴのひとつひとつは「実在」しているが、「3」という「数」はどこにも「実在」していない。「3」という数は想像上の概念でしかない。「虚数」もそれと同じことに過ぎない。

つまり、「実数は実際にある数であり、虚数は実際にはない想像上の数である」として分けた、その境界線そのものが虚構であり妄念であったということだ。
人は想像するちからによって「数の世界」を拓いてきた。
虚数も実数も「数」という概念のなかにある。それだけのことだ。

この境地に至ることを、もしかすると(一種の)悟りと言うのかもしれない。
自分を縛っていた違和感が消えることは、「わかる」ということのひとつの現れであろうと思う。

「虚数」の周りに立ちこめていた霧が晴れると、私の立っている「複素平面」は見渡す限りの彼方まで柔らかな陽が降り注いでいた。そよ風が花々をゆらし、湖面で光る波間に水鳥たちがくつろいでいる。

だが、あの霧は、いったいいつのまに雲散していたのだろうか。ふと気づけば晴れていた。
虚数に対して私の中に生じていた変化は、「理解」ではなく「心象」だ。それは言葉の領域から出た「体感」だ。

「ピーマンのおいしさがわかる」とは、「ピーマンをおいしいと感じる」ことにほかならない。自分がおいしいと感じずに「おいしさがわかる」ということはない。
体験は他者に代わってもらうことはできない。それを感じるのは自分であり、唯一無二のそれは、ゆずることも、分かち合うこともできない。

言葉が無力だと言いたいのではない。
「わかる」とは「分かる」、すなわち物事を「分ける」ことであるとも言われる。連続する世界を、言葉が切り分ける。人は、物事を分けることで世界を「理解」し、言葉によって文明を築いてきた。
言葉と概念が一体として生じるものであるならば、音楽もまた(詞を伴わない純粋音楽であっても)言葉と無縁には生まれ得ないだろう。
いま私が生きている民主主義社会の根幹は、言葉だ。

ただ、言葉が拓く世界や可能性を肯定し言祝ぐその一方で思う。
(ピーマンやミョウガのおいしさだけでなく)「素数」や「虚数」のような論理的な概念でさえ、それに心から馴染むことができるためには、言葉の領域から溢れた「何か」との邂逅が必要なのだ。

その「何か」は、あるとき突然に現れることもあるし、風が雲をゆっくりと押し流すように気づかないうちに現れていることもある。
いずれであれ、自己のさまざまな体験と情動の重なり合いの中に、それは芽吹くのだろう。


補記:これまでに重なり合った「さまざまな体験と情動」とは具体的に何か。上記まで書いて思い浮かんだその幾つかを、近々に書き残してみたい。




【3】「1+1=2」という神秘

かつて音楽は、演奏されるその場でその瞬間に生まれて消えるものであった。蓄音機の発明がもたらしたことの大きさを思わずにいられない。

小学校の何年生の頃だったろうか、トーマス・エジソンの伝記を読んだ。その中に、幼少時のエジソンが大人たちに「どうして1たす1は2なの?」と訊いてまわるエピソードがあった。大人たちは皆「そんなこともわからないなんて、バカな子どもだ」と思ったという。
エジソン少年がのちに蓄音機を発明することを知っていた私も、やはりこの疑問は何が疑問なのかわからず、「エジソンも子どもの頃はバカだったのか」くらいに思ったように記憶している。

エジソン少年が抱いていた疑問、その問いの深さに私が思い至ることができたのは、つい最近、この十年ほどのことだ。
息子に「素数」を説明する中でその概念に初めて感じ入り、「虚数」に抱いていた違和感がいつしか散じて消え、素数や虚数が「わかった」ことにより、今までわかっていた「1+1=2」がわからなくなった。

たとえばオイラーの等式(e^iπ =-1)を思う。
この等式に至るまでの道筋は、高校数学までの知識があれば辿ってゆくことができる。しかし、ひとつひとつの理路を確かに辿った先に遂にこの等式へと至ると、その光景の神秘性に心を奪われ、呆然と立ち尽くしてしまう。出自を異にしていたはずのネイピア数と円周率と虚数単位のこれほどシンプルで美しい関係が、いったいどこに潜んでいたのか。どれほど言葉を尽くしてもこの感慨は語り得ない。

さて、このオイラーの等式に見入りながら私は思うのだ。
かくも美しく深遠な数式も、ここへ至った道筋を振り返って源流を辿ると「1+1=2」に行き着く。ここから自然数が生まれ、実数そして複素数へと数の世界が広がったのではなかったか。「かけ算」は単に同じ「たし算」の繰り返しに過ぎなかったはずだ。「わり算」はその逆算に過ぎなかったはずだ。小学一年生で学んだ「たし算」の先に、オイラーの等式に至るまでの道は続いていた。しかも、この遥か先までもずっと続いているらしい。

今の私には、「1+1=2」は神秘と感じられる。
「1+1=2」こそ神秘だ。

おそらく小学一年生くらいだったろうエジソン少年の境地に至るのに私は50年近くの歳月を要したが、ともかく至ることができたとすれば何よりである。


補記(蛇足):
「1+1=2」の意味を問うことは「数とは何か」を問うに等しい。「数とは何か」というのは「数は人間による発明なのか、それとも発見なのか」と言い換えてもよい。それは「論理とは何か」と問うに等しく、「存在」の謎へと重なる。


断章4へつづく(ことでしょう)




by りき哉

2024年10月 7日 (月)

組曲「空と蝶」について

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2024年秋。
委嘱されて書き下ろした楽曲が、10月6日ルーテル市ヶ谷ホールにて初演されました。
(詳細→ 「ソプラノ、クラリネット、ピアノのための三重奏曲」初演コンサートご案内

今年初春のこと、委嘱を受ける際に頂戴した条件は
・「ソプラノ、クラリネット、ピアノのための三重奏曲」であること
・長さ15分ほどの作品であること
という二つだけでした。
「あとはすべてお任せします」とのことで承り、私の作曲は曲のコンセプトを思案するところからスタートしました。
楽譜が書き上がるまでの半年間にわたる、とても得難い経験となりました。

以下はその楽曲の解説として、コンサート当日のパンフレット用に書いたテキストです。

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ソプラノ、クラリネット、ピアノのための三重奏曲
組曲「空と蝶」(作曲:中村力哉 作詞:大江友海)

「ただ一匹の蝶が飛ぶためにも空全体を必要とする」
 これは詩人ポール・クローデルの言葉です(註)。本作は、この言葉から広がる一片の物語をソプラノ、クラリネット、ピアノの三重奏によって描くことを試みた、三つの小曲からなる組曲です。
 音と音、音と静寂が結びついてひとつの音楽となるように、あらゆる事物は互いに結びついている。すべての存在者が互いに他を欠き、他を補い合う。だから真の孤独者は決して存在しない。「一即一切」とも重なるその世界観を調性音楽に編み、詞を友人のシンガーソングライターである大江友海さんにつけていただきました。やわらかく深い余情に包んで音楽を鮮やかに拓いてくれた大江さんに、心より感謝しています。
 第一楽章(第1曲)は「母性」から照らした、子どもたちの澄み渡る未来への讃歌です。モチーフは重複しない6つの音からなり、その最後の音を起点として次のモチーフが新たに6つの異なる音を紡いでゆきます。この仕組みが「一切の事物が連関しているありよう」を象徴し、「いのちを言祝ぐ物語」を芽吹かせました。第二楽章(第2曲)ではピアノが森の奥の泉を、クラリネットは草木たちのざわめきを奏で、歌は言葉の始原を見つめています。第三楽章(第3曲)に入ると調性のゆらぎの中でゆめとうつつのあわいに三者は混交し、第四楽章で第1曲に還り、組曲はひとつの円環を閉じます。
 この作曲の機会を得たこと、本日の初演によって楽曲にいのちが吹き込まれること、その喜びは言葉に尽くせません。
 ただ一匹の蝶が飛ぶためにも空全体を必要とする。この言葉を母胎とした本作が、平和への祈りとして皆さまの心に響くことを願っています。
(註:井筒俊彦「クローデルの詩的存在論」より)(中村力哉)
 
・・・  ・・・  ・・・

ふたつの手のひら。それらは蝶のようにちっぽけで非力に見えますが、むすんでひらいて……生み出せるものは私たちの想像をはるかに超えるように思います。近くの遠くの誰かのために、世界のために。一人ひとり(の手のひら)に秘められた力を、この曲をきっかけに思い出していただけたら、こんなにうれしいことはありません。(大江友海)

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以上、楽曲解説文でした。

そして、パンフレットには敢えて(音楽として伝えたかったので)掲載しませんでしたが、この歌の詞を文字でも読んでいただけるよう写真で残しておきます。
(クリックで大きくなります↓)

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この度の初演によっていのちを吹き込まれた組曲「空と蝶」が、これから広い空へと羽ばたいてゆきますように。

また新たな進展をご報告できると思います。

どうぞご期待ください。

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ソプラノ、クラリネット、ピアノのための三重奏曲
組曲「空と蝶」

【委嘱初演データ】

2024年10月6日(日)
ルーテル市ヶ谷ホールにて

“Trio di voci”
クラリネット:飯塚崇志
ソプラノ:安孫子みどり
ピアノ:水口綾子

【コンサート後記】(上記リンク先より)

膨らんだ期待が音になってホールに響き渡りました。この嬉しさを表す言葉を知りません。
ソプラノの安孫子みどりさん、クラリネットの飯塚崇志さん、そしてピアノの水口綾子さんによって大切に音の一つ一つに魂が吹き込まれ、作曲時に思い浮かべていた様々な情景の中にいるようでした。
ご来場の方々からも嬉しいお声をたくさん頂戴しました。
皆々さま、ありがとうございました。

 

by りき哉

2024年10月 4日 (金)

落としたもの、残り続けるもの

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(2024年9月28日の日記)

電車を降りる人が車内に何かを落としていったのが視界に入った。咄嗟に本を脇に置いてそれを拾い、ドアから半身を出してその人の背中に大声で「落としましたよー!」と叫んだ。二度目で振り返ってもらえたのでホームの床に置いて再び車内に座った。周りの視線が集まり、少し恥ずかしかった。

親切自慢をしたいのではない。昔の出来事を二つ思い出したのだ。

ひとつは比較的最近(2〜3年ほど前か)、地下鉄に乗っていたときのこと。
読んでいた本を閉じて立ち上がり、駅で降りようとすると、後ろから肩を叩かれた。「落としましたよ」と言って女性が私の巾着袋を手渡してくれた。
リュックの中でページが折れないように本を仕舞うための、私のお気に入りの巾着袋(上の写真)。これを失くしたらとても悲しい。「ありがとうございます!」の一言では足りない気持ちだった。今でも感謝している。

もうひとつはスマホもSuicaもまだなかった四半世紀ほど前のある日のこと。
私は自転車を置くと駅へとダッシュした。切符を買って改札を入ろうとしたとき肩を叩かれ、振り返ると見知らぬ女性から「落としましたよ」と携帯電話を差し出された。見れば確かに私のものだ。
落としたのは、自転車を置いた場所しかあり得ない。彼女はハアハアと息を切らしている。
急いでいた私は驚きつつ「ありがとうございます!」と叫び携帯を受け取るや改札を抜け、電車に乗って我に返った。

ああ、お礼をもっと深く伝えたかった。それに・・・、
・・・バカな! 中高6年間バスケ部で鍛えた黄金のステップを駆使して人混みを縫って走ったこの私に、あそこからついてきたというのか? あの僅かな時間差しか開けずに? いったい何者なのか?

その謎と、何より甚だ極めて不十分なお礼を述べることしかできなかった悔いが、今も深く残っている。


あの時のあなたへ。
その折は本当にありがとうございました。あなたの息を切らした姿、あの改札口の光景は、四半世紀を経てなお心に浮かび上がります。生涯ずっと心に残り続けるでしょう。あなたのご多幸を念じています。


by りき哉

2024年9月11日 (水)

「ソプラノ、クラリネット、ピアノのための三重奏曲」初演コンサートご案内

今年初春、「ソプラノ、クラリネット、ピアノのための三重奏曲」の作曲依頼を頂戴しました。(大変嬉しく光栄なことでした)
構想から心を注ぎ、15分ほどの長さになる組曲を書きました。
今秋10月6日、その初演コンサートが行われます。

この初演によって楽曲に命が吹き込まれること、楽しみで胸が高鳴るばかりです。
どなた様もどうぞお運びください。(私も客席で鑑賞します!)

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2024年10月6日(日)
ルーテル市ヶ谷ホール
18:00開場 /18:30開演
全自由席 ¥3,000-

【出演】
“Trio di voci”
クラリネット:飯塚崇志
ソプラノ:安孫子みどり
ピアノ:水口綾子

【曲目】
中村力哉「ソプラノ、クラリネット、ピアノのための三重奏曲」(委嘱初演)
武満徹「SONGS」より
メンデルスゾーン「無言歌集」より
シューベルト「岩の上の羊飼い」

ルーテル市ヶ谷ホールwebsite
https://www.l-i-c.com/hall/schedule/event-2654/

 

【補記1】
友人のシンガーソングライター大江友海さんに、とても素晴らしい詞をつけていただきました。やわらかく深い余情に包んで音楽を鮮やかに拓いてくれた大江さんに、心より感謝しています。


【補記2】
この作曲と楽曲についての解説文を、当日ご来場の方にお配りするプログラムに書きました。言葉で語り得ることは極めて僅かですが、当コンサート終演後にそれもweb公開したいと思います。
(公開しました→ 組曲「空と蝶」について


【コンサート後記】(追記 2024.10.7)
膨らんだ期待が音になってホールに響き渡りました。この嬉しさを表す言葉を知りません。
ソプラノの安孫子みどりさん、クラリネットの飯塚崇志さん、そしてピアノの水口綾子さんによって大切に音の一つ一つに魂が吹き込まれ、作曲時に思い浮かべていた様々な情景の中にいるようでした。
ご来場の方々からも嬉しいお声をたくさん頂戴しました。
皆々さま、ありがとうございました。




by りき哉

2024年6月14日 (金)

駅間で

駅間で速度がゆっくりになり、電車が少し遅れる旨の案内に続いて、「この辺りは紫陽花がきれいな場所です。どうぞご覧ください」との車内放送に思わず本から目を上げると、線路沿いに色鮮やかな紫陽花が咲き渡っていた。夕刻の井の頭線。

(日記_20240613)

by りき哉

2023年9月 4日 (月)

「わかる」と「わからない」のあいだ(序文)

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【0】 はじめに

時に、深遠な問いがふと素朴なものに感じられたり、素朴な問いの奥深さに思い至って呆然としたりする。
あらゆる問いは、素朴かつ深遠であるのかもしれない。

1+1 は 2 である。
だが私は「1+1=2」を、いったいどこまでわかっていただろう。
どれほど「当たり前」と思えることでも、というより、それが「当たり前」であればあるほど、「なぜ当たり前なのか」は言葉の彼方に溶けてゆく。

「わかる」とはいったい何か。
そもそも人は、「“わかる”とは何か」をわかることはできるのだろうか。
(できないと思われる)

対象の中に入ってわかること。
対象の外へ出てわかること。

一瞬にしてわかること。
年月をかけてわかること。

詩がわかること。
数式がわかること。
人の悲しみがわかること。
竹馬の乗り方がわかること。

「わかる」と「わからない」のあいだで、日々いろいろな光景に出会う。

その断片を折々に書き残してみようかと、最近思い立った。
小さな断片を重ねることで現れてくる何かしらも、無いとは限らない。

 

目次(本稿はこの先、以下のように展開していく予定です)

0. はじめに(上記です)
1. 理解と感嘆(近日公開予定)
2. 虚数とピーマン(近日公開予定)
3. 式と数のあいだ(近日公開予定)
4. ・・・ (以下、雑多に展開予定)


【追記】
続きはこちら→ 「わかる」とわからない」のあいだ(全文)


photo:
昼と夜のあいだ。(富士山の姿もくっきり)
2022年秋、横浜の洋上から iPhone で撮影。

by りき哉

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